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若者ミュージシャンが見た3.11

東京都に住む田中健介さん(23)は、「ヒラオ・コジョー・ザ・グループサウンズ」のギタリストとして活動するかたわら、3月11日の東日本大震災の直後から被災地でのボランティア活動を続けている。「被災地で感じた想いを、音楽を通して東京の人に伝えていきたい」と語る田中さん。音楽家として、一人の若者として、彼はこの大震災をどうとらえたのか。そして音楽は、復興の力となるのだろうか。

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音楽が被災地へと動かす

  ――田中さんは兵庫県出身です。今度の震災直後からボランティア活動をしているのは、阪神大震災の経験が関係しているのでしょうか。

「兵庫県の出身だが、西部の赤穂市で阪神地域から遠く、被災の経験はなかった。今度の大震災の時は東京にいて、帰宅できないなど初めて震災の不安を実感した。東京でこれだけの混乱なら被災地はもっと大変だろうと思い、ボランティア組織に入った」

  ――支援活動として、被災地でのボランティア活動を選択した理由は。

「現地ではいろいろなニーズがあって、それぞれ身の丈に合った活動があると思う。有名なミュージシャンなら音楽で救える人がいるかもしれない。お金がある人はそれを使える。自分にあるものといえば時間と体力。実際、汗をかきながら瓦礫や泥を撤去をすることが東北の人に喜ばれ、自分も微力ながら力になれると感じた」

  ――被災地での活動で特に印象的だったことは何ですか。

「福島では4月までボランティアの態勢が整っていなくて、やっといわき市の小名浜に入れた時には『今ごろ(来たのか)』という空気を感じて、自分の無力感を悲しく思った。また、家の泥かきや瓦礫撤去の際、自分と同じようにギターとかレコードがたくさんある家を担当したこともあった。当たり前かもしれないけど、被災地にもバンドをやっている人たちがいることを知って、その時初めて東北の人たちを『被災者』でなく『個人』として思いを馳せるようになった」

  ――被災地での活動は音楽活動に生かせると感じる部分はありましたか。

wakamono_01.jpg「正直、ボランティア活動に行く前は生かせるんじゃないかと考えていた。単純にチャリティーライブで募金集めて、ついでに名前も知ってもらえるんじゃないかって。でも実際の被災状況を知るとそんな簡単な話じゃないって思った。ミュージシャンとして何ができるかを考えるより先に、まず個人的に何かしなきゃという焦燥感があった。現地でのボランティア活動が音楽活動に反映するとか考えられる余裕なんてなかった。とにかく、東北の人が何を必要としてるのか考えるのに精一杯だった」

  ――バンドとしてはどういう支援活動を行っていますか。

「他のバンドとコンピレーションアルバムを制作・販売し、売り上げのすべてを(被災地に)寄付している」

  ――音楽による支援活動に葛藤を感じることは。

「東京では『不謹慎だ』というムードがあって、売名行為とか言われたりして、たしかに葛藤はあった。でも被災地の人々が、ぼくらの行為に理解を示してくれたお陰で、入口はシンプルに『手伝いたいから』でいいのかなって思えるようになった。停滞しても何も生まないし、売名行為とかそういうことを考えていたら何もできない。行動しながら考えて、ベストなやり方をとっていけばいい。そう思ったから、活動の継続を決めた」

  ――震災後に音楽活動に関してメンバーの間でもめたそうですね。

「震災から10日後のライブで黙祷するかどうかでもめたことがあった。普通にライブすることに抵抗があるという意見と、お客さんを楽しませることが優先だという意見があって対立した。話し合った末、黙祷は単なる自己満足であって、ステージにのぼってやることじゃないということでまとまり、やらなかった」

  ――音楽活動は被災地の支援に役立つと思いますか。

「正直、そんなに役立ってないんだよね。知名度もなくて寄付金の額も少ないし、続ける意味あるのかなと迷う時期もあった。でも大事なのってきれいごとじゃなくて、やってることだと思う。『自分はこんな活動やってます』『こう思いました』とかをtwitterやライブで発言することで、誰かが何かを感じていくと思う。実際、ライブのあとで『自分にもできそうな気がします』と共感して行動を起こす人もいて、すごくうれしかった。この震災も、時間が経つにつれて忘れられていくと思う。でも、東京の人たちが震災について少しでも長く考えてくれるように、現在は活動している」

  ――今後の音楽を通じた支援活動の予定は。

「やっぱりミュージシャンをやっている以上、音楽が一番自分の強みだと思ってる。だから今後も音楽での支援活動を続けていきたい。何十年後かに今を振り返って、後悔しないよう自分なりに一生懸命にやりたい。音楽で世界は変えられないと思うけど、音楽は人が動くきっかけになると思う」

 

取材を終えて

  様々な葛藤や今後の目標を話す田中さんの口調は、穏やかでありながらも、静かに熱いメッセージが胸を打つ。3.11以降、多くの人々が変化を強いられている。そんな中、停滞するのではなく、模索しながら前進しようと努力する田中さんとの出会いは、筆者にとって大きな刺激となった。田中さんの音楽が今後、多くの人にとって「人生のBGM」になり、人と人とをつなぐことを期待している。

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※この記事は、2011年度J-School春学期授業「ニューズルームE」(刀祢館正明講師)において作成しました。

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