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昆虫の翅(はね)の起源を探る

2009年12月の日本分子生物学会で、翅の起源について新しい説を発表した、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの丹羽尚研究員に話を聞いた。

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  チョウ、トンボ、カブトムシ…、昆虫はそれぞれ個性豊かな特徴をもつ。翅(はね)の色や形もさまざまだ。ほかの生物にさきがけて翅を得た昆虫の仲間は、一気に地球上のいたる所へと広がった。しかし、昆虫がどのように翅を得たのかはよくわかっていないという。

謎に包まれた翅の起源

  いまから4億年ほど前のデボン紀には、翅を持つ昆虫が登場した。昆虫が翅を持つようになったのは、地球上に現れてから2千万年ほど経ったころ。丹羽さんは「翅の進化過程を示すような化石は残っていないんです。翅は急に現れた」と話す。翅を持たない昆虫から、背中に翅をもつ昆虫へと段階的な変化を示す一連の化石記録は見つかっていないのだ。

  翅の特徴は、平たい構造をしており、筋肉が直結していて動かすことができ、そして背中を覆う板(背板)から生えていること。翅は脚(あし)と同様に、「付属肢(ふぞくし)」に分類される。

図1:今回の研究で使われた昆虫の系統図と、それぞれが持つ付属肢の顕微鏡写真。いずれの付属肢も機能や位置が異なる。(提供:丹羽研究員)

  翅の起源を探るため、丹羽さんたちは2種類の昆虫、カゲロウとイシノミを使って研究を行ってきた(図1)。カゲロウは昆虫のなかでも翅を獲得した直後の姿を残しているといわれている。カゲロウの幼虫は,水中で呼吸をするために使う「気管鰓(きかんさい)」という付属肢を持っている。

  イシノミは翅を持たないが、「腹刺(ふくし)」という付属肢を持つ。腹刺はその名のとおり腹部から生えている刺(とげ)で、丹羽さんによると「付属肢の一部での、腹部が地面に触れているかのチェック、もしくは腹部を支えるために使われているのではないか」という。丹羽さんたちは、これらの付属肢の発生に関わる遺伝子を調べることで、翅の起源を探ろうとした。どうしてこれらの付属肢に注目したのだろうか。

 

矛盾のない説明をしたい

  翅の起源については大きく分けて2つの説がある。1つは「付属肢に生じた器官が変化したもので、その位置が徐々に背側に移動してきた」と考える「付属肢器官起源説」。この説では、気管鰓や腹刺のような付属肢由来の器官が変化して翅になったと考える。

 もう1つは「全く新しいものが背板から出てきた」とする「側背板起源説」。側背板とは、背板の側面側の部分だ。どちらの説も古くからあるが、翅のすべての特徴を説明できないためにどちらが正しいかの決着はいまだついていない。

  付属肢器官起源説では背板に翅が存在することや、翅のもつ独特な形をうまく説明できない。一方、側背板起源説にとっての障害は翅の可動性の説明だ。そしてどちらの説も、翅の急速な進化を説明できない。そこで丹羽さんたちは、いままでの問題を矛盾なく説明できる、両方の説を取り入れたコンビネーションモデルを提案した。この説では、付属肢に腹刺などの器官を作る際に活動する遺伝子が、背板の特定の部位で活動することによって翅が作られるとする。

 

遺伝子の発現場所の違いが付属肢の形を決める

図2:昆虫を輪切りにして見た場合の遺伝子の発現を示す。3種類いずれも、付属肢形成の場にwgとvgの発現が見られた。また、いずれの昆虫においてもハエの翅形成の場にあたる場所(背板)にapの発現がみられた。(提供:丹羽研究員)

  翅を作るためのキーとなる遺伝子はいくつかあるが、今回、丹羽さんたちはwingless(wg)、vestigial(vg)、apterous(ap)の3つの遺伝子に着目し、その発現部位を調べた(図2)。

  wgは昆虫の身体の背側と腹側に、どの昆虫でも似たように発現している。はじめは2つの発現部分の間にwgはないが、やがてここにwgvgの発現を伴って再度はたらくようになる。これによって翅と同じように、気管鰓や腹刺の形成も始まっていたのである。ただ、このwgvgが一緒にはたらく場所は、付属肢の種類によって異なっていた。翅なら背板、腹刺なら脚の近くというように。つまり、これらの遺伝子のはたらく場所は昆虫によって簡単に変わるのである。

  もう1つのキーとなるapは、「翅らしさ」をもたらすはたらきをする遺伝子。実は、翅は1枚のシートを折りたたんだ形をしている。このうちの表側に発現し、この折る「へり」の場所を最初に決めているのがapだ。付属肢におけるapの発現は翅以外では見られない。だが、カゲロウやイシノミでは背板にapが発現し、その「へり」を決めていた。「翅らしさ」とは、もともと背板に由来している可能性が見出されたのだ。

  腹刺などを作る遺伝子の活動の場が背板のごく近くに生じたとしたら、「翅らしさ」をもたらす機構と出合い、組み合わさることで翅ができる。これなら、翅が背板でしかできない理由も、急にあらわれた理由も矛盾なく説明できる。「この説の最もシンプルな証明方法は、翅のない昆虫に無理やり遺伝子をはたらかせて翅を生やすこと。でも、生き物は複雑ですからそう簡単にはいかないでしょうね」

 

マイナーな研究対象をあつかう難しさ

  「結果が出た瞬間は、うれしいというよりホッとした感じでした」と苦笑交じりで丹羽さんは話す。生物学の研究で広く使われているショウジョウバエなどと比べると、カゲロウやイシノミはマイナーな研究対象。そのため遺伝子を使った解析手法も確立されておらず、キーとなる遺伝子の発現を調べる方法も手探り。試行錯誤の繰り返しだった。

千差万別な付属肢の謎にせまる、丹羽尚研究員(提供:丹羽研究員)

  また、丹羽さんの研究では、研究対象自体を手に入れるにも、ショウジョウバエのように簡単にはいかない。「この研究の最初の仕事は、それぞれの昆虫の専門家に共同研究をお願いして回ることでした。いまはゴカイも研究対象としています。共同研究者は養殖場のおじさんです」。研究に使うゴカイを分けてもらうために、出荷の仕事も手伝ったこともあるという。

  丹羽さんは付属肢のさまざまな形態進化を追っている。形も機能も多様な付属肢だが、いままでは付属肢の見た目の形や機能で語られていたものが、遺伝子を分析することで新しい見方をすることができるようになった。「今回の研究で一番うれしかったのは、付属肢のところに新しい何かを作り出すポテンシャルが存在するのがわかったこと。付属肢の変化の1つの解釈ができたことです」と丹羽さんは話した。今日も丹羽さんは付属肢の形態進化から、生物の歩んできた歴史、そして生物の持つ多様な可能性に迫る。

※この記事は、09年後期MAJESTy講義「科学技術コミュニケーション実習4B(吉戸智明先生)」において作製しました。

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