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極限環境に耐えるタフなやつ

2009年12月、日本分子生物学会でクマムシのゲノム解読に関して発表した、東京大学大学院理学系研究科の國枝武和助教に話を聞いた。

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 クマムシをご存知だろうか? ムシという名前がついているが昆虫ではない。緩歩(かんぽ)動物に分類され、体長は約0.5mm、淡水中、海中、陸上どこにでもいる動物である。そのクマムシなかに、乾燥状態になると形を樽状に変えて環境の変化に耐える種類がいる。耐えられる範囲は尋常ではない。-273℃から+151℃、ほぼ0気圧から75,000気圧、有機溶剤にも強く、電子レンジに入れられても耐えるという。この極限環境への耐性メカニズムの解明が遺伝子レベルで進んでいる。 

乾燥に強い「ヨコヅナクマムシ」

  どこにでも棲むクマムシだが、極限環境に耐えるのは陸上に棲む種類の一部だけだ。水中のクマムシは乾燥への耐性はなく、土壌から見つかったクマムシも耐性が弱いことが多い。「私たちが研究に用いたのは、北海道の乾燥したコケの中から発見されたヨコヅナクマムシです。極限環境への耐性が高く、耐性のあるクマムシとしては研究室内で比較的飼いやすいので、遺伝子の解析に向いています。とはいえ、とても小さい動物ですので、ハンドリングには気を遣います。われわれはヨコヅナクマムシを地道に25,000匹まで増やして遺伝子の解析を実施しました」

図1:クマムシの形態変化と極限環境耐性(提供:國枝助教)

  乾燥に耐えるクマムシでも、やはりいきなり乾燥したら死んでしまう。ヨコヅナクマムシの場合、1時間ほどかけて乾燥することで、通常の形態から数分の1の大きさの樽状に変化する。この状態を「乾眠」とよび、極限環境耐性をもつようになる。

  乾眠状態のクマムシは生きているのか死んでいるのか。現在の測定技術では、生きている証拠となる代謝反応を観察できていないという。しかし、「乾眠状態のクマムシに水をかけると、数分から数十分で再び活動を始めるのです」

 

乾眠が極限環境耐性を引き出す

  それでは、なぜヨコヅナクマムシは乾眠能力を得たのであろうか?「棲んでいる環境が大きく関係していると考えられます。陸上にすむ種はコケなどに棲むことが多いのですが、コケの中には頻繁に乾燥する場所に生えるものがあります。そういう場所に棲むクマムシが乾燥に耐える能力を身につけたと考えられます。極限環境耐性は、乾眠能力の獲得に付随して得た能力なのでしょう」

  

図2:ヨコヅナク マムシの特徴は高い耐性を持ちながら、植食性で比較的飼いやすいところ。(提供:國枝助教)

「乾眠状態のクマムシは、生命というよりはむしろただの物質として存在すると考えるといいと思います。物質として壊れない限り大丈夫というのが、クマムシの持つ極限環境耐性のイメージに近いと思います」。種類にもよるが、クマムシの寿命は1カ月から1年程度。乾眠状態ですごした時間は寿命に含まれない。

  さらに「乾眠中に遺伝子が傷つくことがあるので、こうした傷を修復する能力が高いことも重要です。活動状態でも、人間の致死量の1000倍にあたる放射線を被爆してなお生き続けられることも、優れた遺伝子修復能力を示しています。まったくタフな連中です」

 

乾眠に必要なタンパク質

  クマムシ以外にも乾眠能力をもつ生物はいる。線虫の一部やネムリユスリカの幼虫などがそうで、乾眠中にトレハロースという糖類が高濃度に蓄積することが観察されている。トレハロースは、さわやかな甘みをもち、水とのなじみがよく、最近は大量生産が可能になったため食品や化粧品の保湿剤として使われるようになった。

  これまで、このトレハロースが水の代わりに生体物質を保護することで、乾眠能力を獲得したのではないかと考えられてきた。

  ところが、乾眠中のヨコヅナクマムシにトレハロースの蓄積はほとんど確認されなかった。「今回の研究で、ヨコヅナクマムシから3つの特殊なタンパク質を見つけました。これらのタンパク質はとても水溶性が高く、トレハロースと同様に生体物質を保護する機能があるのではないかと予想しています。トレハロースは乾眠中のみ高濃度になりますが、これらのタンパク質は、活動中と乾眠中では大きな濃度差がありません。このタンパク質は、作り置きができる乾眠用の常備薬といえるかもしれません。常備薬を持つためか、ヨコヅナクマムシは非常に速く樽状に変化して乾眠状態に移行できるのです」

 

将来は粉末血液も可能か

國枝助教

  「研究が進めば、この種のタンパク質などを使うことで、細胞の乾燥保存が可能になるのではないかと期待しています。現状の冷凍による保存よりもはるかに低コストになります。実現が期待される例は血液保存です。血液は赤血球、白血球などの細胞と、電解質、タンパク質などで構成されています。血球をこのタンパク質で乾眠状態にすることができれば、常温のまま血液を保存できるでしょう。あるいは、臍帯血を保存しておいて自らの細胞をいつでも自由に作り出せる、そんな時代が来るかもしれません」

  最後にヨコヅナクマムシを見せてもらった。倍率30倍ほどの顕微鏡の下で、4対8本の脚でノコノコ歩き回る姿はびっくりするほどユーモラスだ。餌である緑色のクロレラの周りを予想外に速く歩き回る明るい褐色のヨコヅナクマムシ。その愛らしい姿からは想像できない能力をもつ。今後の研究成果が大いに期待される。

 

※この記事は、09年後期MAJESTy講義「科学技術コミュニケーション実習4B(吉戸智明先生)」において作製しました。

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