今なお続く「君が代」起立訴訟

今なお続く「君が代」起立訴訟/元教師たちの思いは

卒業式や入学式で、国歌斉唱時に教職員に起立させる校長の職務命令をめぐる裁判が続いている。2011年7月までに、最高裁判所が10回にわたり、職務命令を合憲とする判決を出した。そんな中でも、君が代斉唱時に着席して処分された元教師たちが、訴訟を続けている。

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  東京地方裁判所(渡邉弘裁判長)で11年9月12日、起立しなかった元教師が定年後に再雇用を拒否されたことをめぐる裁判の第9回口頭弁論が開かれた。原告の一人、佐藤信夫さん(63)が法廷に立った。佐藤さんは、教鞭をとっていた都立小石川高校の04年3月の卒業式で、国歌斉唱時に着席し、戒告処分を受けた。

  4年後に定年退職を迎えた時、非常勤教職員としての再雇用を希望したが、採用されなかった。口頭弁論では「非常勤教職員制度は、希望者は全員採用されるのが基本」とし、「(採用を拒否された)唯一考えられる理由は、職務命令に対する私の対応だったと思われます」と述べた。

  この裁判の原告は、07~09年の3年間に都から定年後の採用を拒否された元教師24人。09年9月29日に提訴した。判決が出るまでに、あと1年ほどかかる見通しだ。

  式典時に国旗を掲揚させ、教師全員が国歌を起立して斉唱させる職務命令を出すよう、都教育委員会が校長に初めて通達が出したのは03年10月23日。通達に基づいて処分された元教員らでつくる「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」事務局によると、04年3月の卒業式から11年4月の卒業式にかけて、のべ437人が通達に基づいて戒告、減給処分などを受けている。

  都教育庁指導部の担当者は取材に対し、処分について「職務命令に違反したから」とし、「以前は国旗を見えないところに掲げるなど、卒業式の様式が学校によってバラバラだったため、通達を出した」と説明した。その上で、通達は「個人の内心に触れるものではない。学習指導要領に基づいて式を清新に行い、国際社会に尊敬され信頼される日本人になるためのものだ」と強調する。

  原告団事務局長の近藤徹さん(62)は、「卒業式は誰のためのものか」と問いかける。「卒業式は生徒たちのためにある。だから、各学校で特色ある式を行えばいい。それを上から無味乾燥なものを押し付けるのは違う」と語った。

  都教委の通達をめぐる裁判は、2011年9月現在で14件が継続中だ。

それでも、法廷で争う理由

  「気が付いたら座っていた」。堀公博さん(63)は、自身が勤めていた都立荒川商業高校の2004年の卒業式で、君が代斉唱時に起立することを選ばなかった。2003年に都教委の通達が出ており、起立しなければ処分されることは理解していた。迷った末、起立しなかったのは、「自分に嘘をつきたくない」という思いからだ。

  堀さんが今も裁判で闘い続ける理由は、教育現場における「締め付け」を感じてきたからだ。都教委が卒業式のあり方を強制的に指導することに危機感を覚えた。「裁判では、君が代や日の丸に対する歴史認識の是非を争っているわけではない」と強調する。

  教育現場での「強制」に疑問を持つようになったのは、1973年から15年間、葛飾区の盲学校で障がい児教育に携わったことが大きい。79年に養護学校が義務教育となる以前は、障がい児の就学が難しかった。教員生活を始めて5、6年は、子どもが等しく教育を受けられない環境について、教員同士で激しく議論することも少なくなかった。そんな中、堀さんは、生徒同士が知的格差を超えて、互いに支えあい、対等に接する姿に胸を打たれたという。年齢や性別、外見、考え方など、さまざまな違いを認め合える人間に育てることが教育の基本だと感じてきた。

  堀さんが教員生活を通して、日の丸や君が代に対する認識の「違い」を不起立という形で表してきたのは、教育に対する信念の反映だった。2004年の卒業式の後、3月31日付で戒告処分が出た。4年後に定年退職を迎えた際、非常勤職員に応募したが採用されなかった。「面接ではマイナスの要素はなかったと思うけど・・・」と話す。

  教員生活を終えることに未練はあった。それでも「あのとき、立たなくてよかった」と堀さんは話す。

  「そもそも教育は、『強制』で動かすものではない。生徒一人ひとりが持っているものを引き出すものだ」。堀さんは国旗・国歌を尊重する態度を育てることを強制する都教委のやり方に反対し続ける。03年の通達以降、都の方針に反する考えを持つ教師が「日の丸・君が代」によってあぶり出される形で解雇されることを許すわけにはいかないという。

 

取材後記

  東京地裁の前にのぼり旗がいくつも立っていた。旗には「日の丸・君が代強制反対」の文字。正直に言えば、私は少し身構えた。

  私自身、都立高校の出身で「日の丸・君が代」の問題は身近なものだった。けれど、運動している方と直接お会いするのはこれが初めてのことだったからだ。ただ、教育にかける思いなどをうかがうなかで、教育についての思いがあって活動していることが伝わってきた。中でも、印象的だったのは「強制に反対している」という言葉だ。

  国旗国歌については、今でも様々な考え方がある。色々な出自の生徒もいる。そうした多様な立場や意見を生かした学校現場が作れないものだろうか。そんなことを取材中、ずっと考えていた。(北見英城)

  私は君が代を歌い、日の丸を掲揚することを当たり前のように学校で教わってきた。そのため日の丸・君が代をめぐる訴訟で闘い続ける人々に、「なぜ、ここまで?」という疑問を感じてきた。

  今回、この取材に関わり、実際に裁判を傍聴し、原告の方と直接話をすることで、教員の方は一人ひとり、自身の教育現場での経験に基づいて、「教育」について真摯に考えていることがわかった。一方で、教育委員会が2003年の通達で「強制」に踏み切っていった背景を知り、教育現場での自由と秩序のバランスをとることの難しさを感じた。

  国に誇りを持つこと、思想・良心の自由など、言葉だけでは実際にその重みは理解できない。自分たちが受ける教育がこれでいいのか、生徒自身がこの問題について知り、個々の考えを深めていくきっかけにすべきであろう。(岩井美郷)

 

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※この記事は、朝日新聞ジャーナリスト学校が開催した「夏季学生ジャーナリズム研修」の参加者が、「ニューズルームD(朝日新聞提携講座)」を担当した林美子講師の指導のもと、作成しました。

 

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