明日を描く今日

コンビニエンスストアでも、自動販売機でも手軽に購入できるペットボトル。そんな、どこにでもあるペットボトルの素材を使って『放射線』を測定できる技術を開発した人がいます。独立行政法人放射線医学総合研究所の中村秀仁先生(*)で…

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コンビニエンスストアでも、自動販売機でも手軽に購入できるペットボトル。そんな、どこにでもあるペットボトルの素材を使って『放射線』を測定できる技術を開発した人がいます。独立行政法人放射線医学総合研究所の中村秀仁先生(*)です。

* インタビュー当時(2010年12月)の所属。2011年1月から京都大学原子炉実験所 原子力基礎科学研究本部 助教

画家になりたかった研究者

  中村先生は画家になることを夢見て、有名な絵の先生に師事していました。ところが高校3年生の夏になって、「才能がない」と、夢をあきらめるように勧められてしまったのです。そこから進路を急転換、芸術大学ではなく総合大学を受験することに決めましたが、試験まで半年を切っていました。結果、受験総数20校のうち、19校は不合格。唯一残った大学に補欠で合格し、入学しました。専攻は応用物理学。これまでいた絵の世界とはかけ離れた、理系の世界に足を踏み入れることになりました。しかし、就職では失敗したくないと、中村先生は熱心に勉強に取り組み、大学の先生から大学院進学を勧められるほどの成績を取ります。そして、大阪大学の大学院に進学。小さなころから思い描いていた夢とは、だいぶ違った道を歩むことになりました。

  大学院に入ったものの、与えられたテーマにやる気が起きず、研究に集中できなかったそうです。そんな大学院生活を過ごしていたとき、先生の身内が次々とがんに侵されるという事態が起こります。祖父母が亡くなった上、母親までもが病に倒れてしまったのです。悲しい日々を過ごす中、先生はひとつの決意をします。「家族を助けたい」と、物理学ではなく臨床に近い場所に行こうと考えたのです。そしてそれが、放射線医学総合研究所で研究を始めるきっかけになりました。

 

放射線検出にかけた情熱

  研究を続けていたある日、先生に1通の封筒が届きます。左の肺に影があ るための、「要再検査」という健康診断の結果通知でした。多くの親族をがんで亡くしていたので、「ついに自分にも病魔が忍び寄ってきたのかと思った」と先生は言います。病気の恐怖と闘いながら病院で精密検査を受けているとき、検査の機械を見ると、自分が研究で使っている機械よりも10年以上旧式のものでした。ふだん自分が触れているような最先端の機械は設置にコストがかかるため、多くの医療現場では使われていないという現実を目の当たりにしたのです。

  検査を受けてから結果が出るまでの数週間、「もしかしたら自分もがんかもしれない」という不安と恐怖でいっぱいだったと先生は振り返ります。検査をしてから結果が出るまでに時間を要するほど、患者の心理的な負担は大きくなっていきます。「世界最高の機械を1台作っても、愛する人は救えない」――先生は、自分自身や家族の患者体験を通じて痛感しました。「『未来』のための研究をしていたのでは、『今』病気と闘っている人には遅いんです」。

  そもそも、がんの診断をする仕組みはご存知でしょうか。診断装置のひとつであるPETは、糖分を消費するというがんの特性を利用します。体内に特殊な化学物質を含んだ薬を注射します。この薬は糖分を含んでおり、そしてガンマ線と呼ばれる放射線の一種を放出する性質を持っています。つまり、その薬はがん細胞のある部分に集まりガンマ線を放出するのです。あとは、そのガンマ線が放出されている位置を正確に測定できさえすれば、がんのありかを特定できるということになるのです。 

kagaku.JPG  PETは、肉眼では捉えることのできないガンマ線を捕捉するために『シンチレーター』と呼ばれるものを使います。シンチレーターはガンマ線を目に見える『光』に変換することができるので、PETで測定ができるようになるのです。普通、シンチレーターは無機物の結晶を使います。しかし、無機物は、高いものでは親指くらいの大きさのもので100万円を超え、なおかつ1台の装置にたくさん必要です。これががん診断装置の価格を押し上げる大きな要因でした。

 

  そこで先生は、このシンチレーターの部分を改良することで診断装置の価格を下げようと研究を始めました。そこで目を付けたのが有機物。ただし、無機物よりもコストがかからない反面、ガンマ線を捕まえる能力が低いという欠点がありました。それを克服するため、有機物と無機物の両方を用いてシンチレーターを作ったのです。これを組み込んで作られたものが、PETのプロトタイプであるCROSS-ZEROでした。

 

絵筆ではなく、ペットボトルで

  シンチレーターに使うのに最適な有機物を探していたときに、先生はあらゆるプラスチックを試してみました。プラスチックは安価であり身近なものだからです。下敷きはどうか、クリアファイルならどうかと、いろいろなものを試すうち、たまたま手にしていたお茶のペットボトルに目が留まりました。試しにペットボトルにガンマ線を当ててみたところ、光を放ったのです。これが実用化されれば、一層のコストダウンが可能となる大発見でした。

  この技術はがん診断にとどまらず、原発事故が起こった時などに放射能漏れを検出したり、核テロ対策に利用したりできるそうです。また、安価であり身近なものであるため、理科の教材としての利用も考えられています。「100年後の人類のためではなくて、『今』を生きる人々を救いたいんです」。子供たちへのアウトリーチ活動を行っている先生はこう続けます。「この研究がもし完成しなくても、未来の研究者が引き継いでくれたらうれしいですね」――受験で苦汁をなめたときにも、先生は諦めませんでした。だからこそ『今』、つまり、高校3年生のときからから見れば『未来』があるのです。

 先生が若き日に握りしめていた絵筆は、画家になるという夢を描くことはできませんでしたが、今、世界中のたくさんの人の『明日』を描きつづけています。

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この記事は、2010年度J-School秋学期授業「科学技術コミュニケーション実習2」(青山 聖子講師)において作成しました。

Topics

「自立」して生きる~遺品整理の現場から

「自立」して生きる~遺品整理の現場から

世界で初めて遺品整理サービスを開拓した吉田太一さん(46)。故人の住まいに残された遺品は、その人が「生きてきた証」だ。親族だけでは対処しきれない、膨大な遺品の整理を通して、「死」の区切りをつける。
取材・執筆・撮影 岩井美郷
2011.7.11

  世界で初めて遺品整理サービスを開拓した吉田太一さん(46)。故人の住まいに残された遺品は、その人が「生きてきた証」だ。親族だけでは対処しきれない、膨大な遺品の整理を通して、「死」の区切りをつける。

  94年に運送業を立ち上げ、02年に名古屋市に有限会社「キーパーズ」を設立した。これまでに受けた依頼は1万件以上に上り、会社は急成長を遂げた。背景にあるのは孤立死の問題だ。死後数週間以上経過し、近隣から異臭の苦情を受けた家主や親類からの依頼をうけて現場に向かう。遺体からわくハエやウジの大群には今も慣れないという。「虫がわく現場をちゃんと“気持ち悪い”と思えることが人間として正常なんだ

  最も多いのが仕事から離れた独身男性の孤立死だ。地方から単身上京してきた男性は仕事がなくなると同時に、社会とのつながりも失ってしまう。「男はプライドを捨てられないから、“助けて”となかなか言えない。素直に人に甘えたり、頼ったりできるといいんだけど、これが難しい」

  大阪府出身。何事も“まずやってみる”チャレンジ精神が信条だ。運送業時代に遺品整理を初めて引き受けた時、遺品の処し方に呆然とする遺族に「お任せください」と声をかけた。「誰もやりたがらない仕事だから、一番喜んでもらえた」。事務所のコルクボードには、依頼主からのお礼の手紙が無数に張ってある。

  人助けの気持ちだけで仕事をしているわけではない。万年床で食事もインスタントのものばかり、現場で目にする「だらしない」生活スタイルに警鐘を鳴らす。自暴自棄になることなく、自立して生きることの重要性を感じてきた。各地で講演会を行い、充実した人生を送るためのアドバイスを送り続ける。

  5月下旬、仕事で引き取った家具や家電などの遺品を、4トントラックいっぱいにつめて、東日本大震災で被災した宮城県大崎市へと向かった。「大崎市は家屋の全壊率が最も高い。会社として被災者の力になれたら」。被災者への継続的な支援を目指している。

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※この記事は、10年度J-Schoolの授業「ニューズルームD(朝日新聞提携講座)」(林美子講師)において作成しました。

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