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高田馬場で在日ミャンマー人の「駆け込み寺」

「リトル・ヤンゴン」と呼ばれる街が東京にある。およそ10軒のミャンマー料理店が集まり、その数は全国一。学生街やアトム誕生の地として知られる、高田馬場のもう一つの顔だ。その中心には、ミャンマー人の心の支えとなっている民間団体がある。

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   JR高田馬場駅から徒歩4分のビルの一室に、「日本ミャンマー・カルチャーセンター(JMCC)」がある。中へ入ると、日本語とミャンマー語の混じった声が聞こえてくる。毎週日曜に開かれている、ミャンマー人向けの日本語教室だ(写真)。ミャンマー仏教の仏壇、ミャンマー語で書かれたポスターなどが壁を埋め、異国の地に踏み込んだ気分になる。

  「こんにちは」。華やかな笑顔で出迎えてくれたのは、代表のミャンマー人女性、マヘーマーさん。忙しそうに動き回り電話に出ながら、気になる人が目に入るとすっと近づいて声をかけ、笑いあう。

  マヘーマーさんは、日本人とミャンマー人の交流の場を作りたいと、2002年にJMCCを立ち上げた。96年に来日。困ったことを誰かに相談したい、ミャンマー語で話したいと思っても頼る存在がなかった。そんな時、自分がミャンマーにいた頃、僧院で勉強し、そこで学んだことをボランティアで近所の人に教えたことを思い出した。「あの僧院のように、町のいろんな人たちが集まる場所があれば」と思った。その後日本人と結婚してからも、JMCCの活動を続ける。

  JMCCを高田馬場につくったのは、交通の便が比較的良く、隣町の大久保に韓国人が多いなど、外国人にとって住みやすい土地だからだ。日本語教室のほか、日本人向けのミャンマー語教室、ミャンマー文化を広めるためのイベントなどを行っている。

  そんなマヘーマーさんは、今では「在日ミャンマー人の若き母」のような存在だ。たとえば、日本語での授業についていけず、不登校になったミャンマー人の子ども。親は子どもを可愛がるあまり、学校へ無理には行かせないこともある。マヘーマーさんは親を説得したり、学校にきめ細かい指導を求めに出向いたりする。「ここはミャンマー人の生活サポートセンターでもあるんです」

  母国の厳しい政治情勢から、日本で複雑な思いをする人も少なくない。日本で働く20代のミャンマー人男性は、「日本に来たとき、日本人がミャンマーのことを全然知らないか、悪いイメージしか持っていないことに驚いた。自分がミャンマー人だと言うと、不法滞在者、さらにはスパイではと疑う人もいる」と語る。日本人の持つイメージは、ミャンマーでは軍事政権が続き、民主化指導者のアウン・サン・スーチーさんは今も軟禁状態に置かれていることが背景にある。

  そんな思いも、JMCCは受け止める。どんなミャンマー人も足を運べるよう、政治的には中立の立場を保つ。「きっと、みんな日本語教室がある日曜日は楽しみの日になっているんじゃないかな」とマヘーマーさん。ここに来れば似たような悩みを持つミャンマー人と母国語で話せる。日本語を教えるスタッフも、異国で生きていく手助けをしてくれるし、みんな悪いイメージにとらわれずにミャンマーを知ろうとする。

   「ミャンマー人も日本人も何か学ぶ姿勢でここに来てほしい。ここで得るものがあった!とか、日本の学校に合格したとか、初めてミャンマー旅行へ行ったとか。そういう報告が一番うれしい」と、マヘーマーさんは話している。 

※この記事は、10年度J-Schoolの授業「ニューズルームD(朝日新聞提携講座)」(林美子講師)において作成しました。

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