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産廃の教訓に風化危機 ~ 語り継ぐ砂川三男さん

香川県豊島で25年の歳月を経て住民と県が最終合意した産業廃棄物不法投棄事件。最終合意から9年経った今、得られた教訓の風化に危機感を持つ人がいる。廃棄物対策豊島住民会議議長を務めた、豊島生まれの砂川三男さん(81)だ。

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産廃の教訓を伝えたい

 「突拍子のないことをやってきたかもしれん」と砂川さんは振り返る。東京の銀座数寄屋橋で産廃の現状を訴えるパレードに参加し、島民の声を県に伝えるために出馬した香川県議・石井亨さんの当選に尽力した。しかし、年間5000人いた「こころの資料館」の訪問客も現在は2500人程度で、今後は更に減っていくと見られる。「訪問客だけでなく、豊島の人たち自身も忘れようとしていることは非常に残念だ」。

 最終合意が得られた後、住民が県と町主導で資料館を建設しようとしたとき、砂川さんは共に戦い続けた弁護士の中坊公平氏から「行政依存の安易な考えで資料館をつくることは人間廃棄物として世にさらけ出すことだ」という叱責を受けた。そのとき、「自分は死ぬまで、産廃の歴史を伝えていこう」と決心したという。

 「世の人に大変な支援を受けた。その人たちのためにも伝え続けていかんとと思います」

 1995年の警察庁長官狙撃事件で瀕死の重傷を負った國松孝次さんが兵庫県警時代に物怖じせず認定したからこそ、事件が摘発された。全国47万人の方々から署名もいただいた。県庁での抗議行動で道すがらの女性から「寒いんやから飲みぃ」と甘酒をいただいたときは、涙で飲むことができなかったという。

 

終わらぬ産廃の影響

 砂川さんは月に3万円の生活費を使う以外は全て自給自足で米や獅子唐、いちご作りにも精を出す。「豊島が今後生き残っていくには第一次産業を大事にしていくしかない。これを疎かにしたら、豊島が生きる道はない」

 瀬戸内海で米ができるのは豊島だけだという。

 不法投棄された廃棄物は直島に輸送され、処理される。直島の産業処理施設では月に5000トンの廃棄物処理が現在も続く。予算500億円の6割が国の負担であり、2016年以降も処理が続いた場合県が処理にかかる費用をすべて負担しなければならない。

 一度失ったものを取り戻す困難さと再生への道。砂川さんの「歴史語り」はこれからも続く。

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※この記事は、09年夏の「直島・豊島インターンシップ(ベネッセ、直島福武美術館財団など協力)」で、瀬川至朗先生の指導のもとに作製しました。

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