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シーサイド大西と豊島の三十年

豊島の家浦港の近くに「シーサイド大西」というカフェがある。1977年に開店し、産廃問題で揺れる豊島の歴史をともにしてきた。女主人として一人で「シーサイド大西」を経営する大西妃佐子さん(69)に、豊島の30年について聞いた。

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産廃が奪ったもの

大西さんは九州の出身だ。地元出身のご主人と一緒に豊島に来た。1977年に夫婦で「シーサイド大西」を開いた。開店当初は、民宿と食堂を営み、お客さんは主に豊島海水浴場に来る海水浴客だった。

 ちょうどシーサイドの前に位置したお店は、海水浴客で連日満席だったようだ。しかし、いつの間にか産業廃棄物を運んだ船がこのシーサイドに入ってきていた。かつての海水浴は廃棄物捨て場になったのだ。人気のあった「シーサイド大西」も、観光客が大幅に減った。その代わりに、廃棄物作業員やマスコミの報道陣が常連客になってきた。「毎日窓から見ている景色が、綺麗なシーサイドからいきなり廃棄物に変わった。嫌な気分になった」と当時の状況を語る。

シーサイド大西のこれから

 産廃問題の影響を受けて民宿はやめ、主に地元の人向けのカフェに変わった。

 ご主人がなくなり、子供たちも島外に移住し、都市で働いている。

 大西さんは今一人で働いている。生活はのんびりしている。大西さんは「朝起きてから、テレビを見たり、営業の準備をしたりして、昼と夜は食事のお客さんに軽食を提供し、午後たまにはコーヒーを飲みに来るお客さんがいらっしゃる」と話す。

 直島福武美術館財団は、豊島に新しい美術館を建設する。来年8月に完成予定だ。店の将来について、とくに豊島美術館のことを話したとき、大西さんが期待する表情を見せたのだ。「豊島に新しい美術館ができ、観光客が増えるにつれて、うちの店にももっと多くのお客さんが来ると思います。その時はたぶん一人では無理かもしれない。アルバイトの人を雇うか、子供たちに手伝ってもらいたい」と大西さんは言った。

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※この記事は、09年夏の「直島・豊島インターンシップ(ベネッセ、直島福武美術館財団など協力)」で、瀬川至朗先生の指導のもとに作製しました。

 

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