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今も残る風評被害、はやく食べたい『豊島みかん』

 豊島は、清水がこんこんと湧く棚田の美しい島だ。もともと漁業、農業、石材業が盛んだった。しかし産廃問題の解決のため、島民が産廃の現状を語りマスコミが取材に来ればくるほど「豊島=産廃」のイメージが強くなっていった。島民の必死の活動によって産廃問題が解決へ向かうのと引き換えに、豊島は風評被害によって農業を失った。

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「不法投棄報道で売れなくなった」

 1990年11月16日、約50万トンに上る産業廃棄物の不法投棄をしていた豊島観光らを、兵庫県警が強制捜査した。夕刊の一面トップで大きく取り上げられ、豊島の有害産業廃棄物不法投棄事件として日本中に知られることとなった。

 それと同時に、豊島のみかんが売れなくなった。みかん農家を営む山本彰治さん(写真)は、摘発の日の1週間後に4000箱の「豊島みかん」を出荷する予定だった。だが全国ニュースで知った問屋から問い合わせが入り、「豊島のみかんという名前ではもう売れない。みかんのブランドの名前を変更しろ」と言われた。

 山本さんは、報道によるダメージの大きさと、イメージが復活するには相当の時間がかかると分析する。「テレビでゴミが映されたら、それが全部豊島じゃと思うやろう。石を放ったらすぐゴミにあたる、いうて。産廃の中でどう暮らしてるんだと聞かれた人もいる」。山本さんの畑は島の産廃現場の反対側にあり、豊かな土壌と日照時間に恵まれている。産廃による汚染もない。55年間かけてみかん作りに取り組んできた。どこよりもおいしいみかんと自負している。

 山本さんは来年開催される瀬戸内国際芸術祭に期待を寄せる。「瀬戸内国際芸術祭協賛という形で、みかんのブランドを豊島みかんに変えようと考えている。ちょっと抵抗があることは間違いないが、豊島産物として売り出していきたい」

質の良い商品を出して証明していくしかない

 産廃問題に対する農家の考え方は一様ではない。

 農業を産業化させるため活動する、農事組合法人「てしまむら」の代表理事、多田初さんはいちご農園も営んで13年になる。「僕らがいちご農園を始めた1年目、大阪の市場から『豊島のいちごが出始めたってテレビの報道で聞いたけど、大丈夫なの?』と香川県農協に問い合わせがあったそうです。しかし、マスコミがすべて敵になったわけではない。地元のマスコミはずっと豊島のいちごを取り上げてくれていた。一生懸命取り組んでいる姿をテレビで流してくれ、豊島のいちごのイメージを上げることにつながっていると思う。」

 産廃問題について多田さんは「簡単に言えば、忘れちゃいけないと思います。負の遺産というのは、人間は必ず背負っていかないと、同じ過ちを繰り返す。僕らはそこを選んで農業を始めたわけですから。だから僕は必ずいちごを販売するときに『あの産廃で有名だった豊島で、なんとか10年間頑張って安心と安全を勝ち取ってきました』という文面にします。共存は、豊島で生きていく以上必要なことだと思います。」

 「質の良い商品を出して証明していくしかない」。山本さんと多田さん。二人が共通して語った言葉が印象に残っている。

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※この記事は、09年夏の「直島・豊島インターンシップ(ベネッセ、直島福武美術館財団など協力)」で、瀬川至朗先生の指導のもとに作製しました。

 

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