第81回センバツ出場・日本文理(新潟)切手孝太選手インタビュー

 2008年11月15日、秋の高校野球日本一を決める明治神宮大会が東京の神宮球場で開幕した。1回戦終了後、正面玄関から出てきた彼と目が合うと、「(負けて)すみませんでした!来ると思いましたよ……」…

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 2008年11月15日、秋の高校野球日本一を決める明治神宮大会が東京の神宮球場で開幕した。1回戦終了後、正面玄関から出てきた彼と目が合うと、「(負けて)すみませんでした!来ると思いましたよ……」と、はにかみながらも大きな声で挨拶してくれた。

 

 日本文理(新潟)の切手孝太選手(17)は、東京都新宿区出身である。この試合こそ他の選手の故障でサードにまわったが、秋の地区大会は不動の1番ショート。チームの副キャプテンを務める。彼は、私が勤務していた区立児童館の利用者だった。中学3年の1年間、一緒に遊んだ”仲間”である。この日、1年半ぶりに会ったが、174cm、66kgのスマートな体型は、当時の面影もそのままにあまり変わっていなかった。

野球留学の戸惑いと苦悩

 北信越1位校として故郷に凱旋してきたが、1回戦で鵡川(北海道)に6-11の敗戦。切手君自身は3安打を放ち気を吐いたが、投手陣が打ち込まれた。守備の乱れも重なった中盤までの大量失点が最後まで響いた。

 「悔いが残らないといえば嘘になります。センバツに向けて、課題が残りました」

 しかし、今大会でも好投手の一人に挙げられていた西藤投手の速球に対して、打線は決して振り負けてはいなかった。

 

 野球は、母の勧めで小学2年から始めた。川崎中央リトルシニア時代に全国大会を経験し、中学3年時には複数のチームから声が掛かっていたが、「少しでも甲子園に近い学校に」と、日本文理を選んだ。しかし、新潟県は縁もゆかりもない土地。まずは県民性の違いに戸惑った。

 「新潟の人は、自分から話し掛けてくるタイプの人が少なくて、最初はどう接していいかわかりませんでした。でも、すぐに打ち解けるようになりました。県外人の自分を受け入れてくれるいい仲間に恵まれたと思います」

 洗濯など、身の回りのことも全部自分でやらなければならなかったが、周りの人たちが応援してくれたので、弱音を吐かず自分の成長を前向きに考えた。

 

 地元出身の選手が多数を占める中、東京から来た野球エリートのはずが、スタンドでの応援が続いた。今春には、1学年下で入学してきた柏崎市出身の高橋隼之介君が、先にショートのレギュラーを獲得した。

 「口には出さなかったけど、すごく悔しかった。『夏には絶対に追い抜く』と、自主練習もがむしゃらにやりました」

 その思いが実を結び、レギュラーの座はすぐに奪い取った。

 そして臨んだ2年の夏。甲子園まであと2つとしながらも、準決勝で新潟県央工に敗退する。

 「2年生という立場で試合に出させてもらって、ベンチやスタンドで3年生が応援してくれている中で負けてしまった。ヒットも打てませんでした」

 今までの野球人生で「一番の悔しさ」を味わった。

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「どこであっても野球をやることに変わりはない」
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  投手をはじめ夏の主力が半数残った新チームは、秋の新潟県大会、そして北信越大会を制覇し、センバツ出場を決めた。

 「うれしかったという気持ちと、やっと手が届くというほっとした気持ちです」

 小学生の頃、周りの仲間たちが「夢はプロ野球選手」という中で、彼の夢は「甲子園出場」だった。高校野球で終わりということはないが、野球人生の中で1つの区切りだとは考えている。

 

 野球の技術を成長させ夢を叶えたが、高校では、野球選手の前にひとりの人間として成長する部分が大きかった。

 「挨拶や礼儀、人との接し方など、社会に出た時の常識を学びました。自分のため、将来のためになっているなと感じています」

 少年野球の頃から指導されてきたことだが、本心として大切さに気が付いたのは、高校に入り毎日野球をする環境になってからだ。

 

 新潟での生活にもだいぶ慣れた。オフの日は、遠出することなく、近所のスーパーで買い物をし、寮で休養している。

 最後に、野球留学について尋ねてみた。

 「その高校で野球がやりたいとか、甲子園に行きたいからという思いでやるのはプラスになる。それで甲子園に出られれば、大きな財産になる。県外であっても、野球をやることには変わりはないと思います」

 その言葉からは、確かな彼の成長が感じられた。

(了)

 

<日本文理・2年 切手孝太(きってこうた)/遊撃手>
0903-kitte2.jpg 1991年11月21日生まれ。東京・西早稲田中出身。小学2年から地元の東戸山スリースターズで野球を始める。中学時代は、硬式の川崎中央リトルシニアでプレー。2年時に全国大会出場を果たす。秋の北信越大会準決勝・福井工大福井戦では1番打者として4打数3安打と活躍し、今春のセンバツ出場を決める。174cm66kg。右投げ右打ち。
※ポジションは取材時のもの。

≪関連記事≫こちらもご覧ください。
第81回センバツ出場・日本文理(新潟)大井道夫監督インタビュー(3月号)
ルポ「都会の少年スポーツ~中学生の選択~」(4月号)

※この記事は、08年後期のJ-School講義「ニューズルームG」において、冨重圭以子先生の指導のもとに作成しました。

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