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デジタル写真時代の〝銭湯〟―国籍や人種を超える大暗室の魅力

 文化芸術都市を目指す横浜市では、近年、歴史的建造物を保存し、アーティストの制作や発表の場に活用するプロジェクトが活発だ。その一つとして、旧関東財務局・旧労働基準局の建物には、日本初のレンタル大暗室があるとの噂を耳にした。手軽に綺麗な写真が楽しめるデジタルカメラ全盛の今、なぜレンタル暗室なのか。どのような人々がどのような思いで活動に関わっているのだろうか。学部時代に撮影したモノクロ写真のネガと地図を片手に、レンタル暗室を訪れてみた。

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横浜駅からみなとみらい線に乗って4駅の日本大通り駅で降りて徒歩3分。かつて外国人居留地と日本人街を隔てていた日本大通り沿いに居を構える瀟洒な煉瓦造りの建物、その4階部分が、NPO法人「ザ・ダークルーム・インターナショナル」(NPO法人)が運営するレンタル暗室だ。  

 木造のエレベーターで上がると、フランスの写真家ロベール・ドアノーの代表作「市庁舎前のキス」の大きなモノクロプリントが目に入る。事務局長の小山優子さん(35)が出迎えてくれた。

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 案内してもらった暗室に驚いた。約23平方メートルの空間に一般的な35mm判から8×10と呼ばれる大判のネガまでを扱える各種の引き伸ばし機が8台並んでいる。赤い光がうっすら灯る暗闇の中で利用者が和気あいあいとプリント作業を楽しんでいた。

 「ニューヨークとロサンゼルスの大暗室の仕組みに学んだんです」。日本初の本格的レンタル暗室誕生の秘話を小山さんは語る。ザ・ダークルーム・インターナショナル代表の斎藤久夫さん(41)が、本場の暗室を学ぶため訪れたロサンゼルスのレンタル暗室が大暗室だった。最初は「変な東洋人が来た」と奇異の目で見られたが、プリントを始めると「なんだ、なんだ」と鎌倉の鶴岡八幡宮の写真に周囲が興味を示し、すぐに暗室でコミュニケーションが生まれた。その経験が印象的で大暗室のシステムでレンタル暗室を始めようと決意したという。

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 実際にザ・ダークルーム・インターナショナルの大暗室でプリント作業を体験してみたところ、一週間に一度ここを訪れるという60代の男性に「良いトーンが出てますね」と現像液の入ったバットを挟んで声を掛けられ会話が弾んだ。  「国籍や世代も超えて写真で人と人とが繋がれるのが大暗室の魅力です」と事務局長の小山さん。

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 実は、小山さん自身、このスペースの利用者だった。元々、土木関連の会社に勤めていたとき、横浜美術館の展覧会で出会った写真家、金村修氏の作品に魅せられ、モノクロ写真の世界にどっぷり浸かるようになった。そんな折、友人から横浜のカフェで作品を展示しないかと持ちかけられた。展覧会は2週間後だという。

 「思い返すと顔から火が出るほど恥ずかしい」

 当時、ほとんど暗室経験のなかった小山さんはザ・ダークルームの扉を叩くなり「二週間で大全紙のプリントを15枚用意したいんです」という相談を持ちかけた。大全紙とは、展覧会などに用いる508mm×610mmの大判写真。小山さんは、そのプリントを1枚仕上げることの大変さを知らなかったのだ。

 しかし、小山さんの熱意が当時のザ・ダークルームのスタッフを動かした。全員で会議まで開いて全面的にバックアップしてくれ、無事に展覧会を終えることができた。これを機に、小山さんはすっかりザ・ダークルームの虜になった。

 それからはザ・ダークルームに通い詰める日々だった。事務局長となった今、「お客さんが『ここにくればなんとかなる』と思える場所でありたい」と思う。

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 モノクロプリントの講習会を始め、小中学生向けのピンホールカメラのワークショップ、中華街全店撮影プロジェクトなど、単なるレンタル暗室ではない、映像教育とコミュニケーションの場づくりを進めている。

 「ゆくゆくはここをニューヨークのICP(International Center of Photography)みたいな場所にしたいんです」。ICPは20世紀を代表する報道写真家ロバート・キャパの実弟、コーネル・キャパが開設した写真の世界的な総合機関だ。日本で写真文化がもっと認知されるようになれば当たり前のようにICPのような機関に育つはずだと小山さんは考える。

 横浜は、1867年に下岡蓮杖が関東初の営業写真館を開いたことから日本の写真発祥の地の一つとされる。今年で横浜は開港150年、横浜の歴史はそのまま写真の歴史とも言える。だからこそ、横浜には再び写真文化を発展・継承させるのに十分な文化的な厚みがあると信じる。ザ・ダークルーム・インターナショナルが横浜に活動拠点を置いた理由だ。

 この日、暗室を利用していた会員の多木和夫さんは「ここはパラダイスだよ」と笑顔で語った。来春から写真の専門学校に通って写真家を目指すと話す20代の男性は真剣な眼差しで焼き上がったばかりの写真をチェックしていた。現在会員数700名、デジタル写真全盛の時代だが利用者数は右肩上がりだという。

 写真家の森谷修氏は著書『銘機浪漫』で、ザ・ダークルームを「自宅に風呂があるのに銭湯があるような感覚」と評する。自宅に暗室がある人でもコミュニケーションを求めてやってきたくなるほど、人と人との確かな繋がりがここにはある。

 

※この記事は、08年前期のJ-School講義「ニューズルームD」において、瀬川至朗先生の指導のもとに作成しました。

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