成城の端っこで見つけたもの/東京・成城学園

 世田谷区、成城。日本を代表する高級住宅街とされるこの町で、「品(ひん)」を探して散策してみた。 世田谷区、成城 ティーカップがソーサーに接する音が心地良く響くPM2:00。 外を走る高級外車は、メリハリのある動きで通り…

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 世田谷区、成城。日本を代表する高級住宅街とされるこの町で、「品(ひん)」を探して散策してみた。
世田谷区、成城
ティーカップがソーサーに接する音が心地良く響くPM2:00。
外を走る高級外車は、メリハリのある動きで通りをスムーズに抜けていく。
道端では、園児を連れた母親たちが控え目な声でしばしの談笑を楽しむ。

 「世田谷区成城」。「品」の代名詞であるこの語が私に与えるイメージはそんなところだ。小田急線・成城学園前駅の二つ隣の駅を利用する私は、幼い頃、習い事のためにこの町によく通っていた。だが、最近はご無沙汰である。成城が確かに品の漂う町であったかも定かではない。「そもそもどんな町だったのか」。ぼんやりと疑問が浮かび、久々に成城にお邪魔することを思い立った。


成城学園前を歩く

 小田急線成城学園前駅。かつてホームは地上にあったが、1994年に着工した小田急線の複々線化事業(世田谷代田~喜多見間)で、今では地下に電車が流れ込んでくる。駅の地上部分には、2006年9月にオープンしたショッピングセンター「成城コルティ」があり、昼間から主婦たちで賑わっている。ここを私は初めて訪れたのだが、店先に並ぶ果物たちのグラデーションが鮮やかで、「なるほど、これが成城の内包する『品』というものか」と一人で納得した。買い物をする主婦たちに話を聞いてみると、電車やバスを利用してやや離れたところから来ていると答える人が多かった。この場所に成城の匂いは感じるものの、どうやら成城の町そのものではないらしい。そこで、駅を離れて住宅地を散策することにした。


 住宅街では、風で木々がなびく音が一番の騒音である。もちろん実際に騒音なのではなく、それほどの静けさが辺りに広がっているのだ。道を歩く人もまばらで、散歩するには心地良い。しかし、同時にある異様さにも気がついた。成城5丁目と6丁目の辺りには、整然と区画された土地に、高い塀や柵で囲まれた、見るからに建って間もない家々が連続する。これらに共通するものは、軒先の防犯カメラと高級外車。現代の発明品で大袈裟に飾られた家々には、私が抱いていた「品」の類はほとんど感じられなかった。それどころか私の眼には、ひどく無機的な町に映ってしまった。辺りの静けさが、これに一層輪をかけた。


住宅街にて

 ちょっとした期待を裏切られた私は、心の空白を埋めてくれる何かを得るために、あてもなく住宅街を南に向かって歩き出した。気がつくと喜多見と成城の境界に近い、成城4丁目にたどりついた。成城は地理的に見て高台に位置し、そこから坂を下ったところに野川が流れている。この野川の向こう側が喜多見である。成城4丁目は、高台と低地を含んだ起伏の富んだ地域なのだ。この場所で私の足は急に止まってしまった。無機的な町並みから一変し、この町にはえらく不似合いな大きな藪が目の前に現れたのだ。さらに、傍らにはかなりの急傾斜で急カーブの坂道もある。ほとんど崖のような地形であるため、傾斜がきつい上に、S字カーブのような急カーブの坂道を作ったのだろう。惹き付けられるがままに、私は崖のような坂道を一気に下った。


 坂を下ると、左手には小田急線の高架、正面には野川、さらに右手には住宅地が見える。右手に進むと、異様な光景に出くわした。道を挟んで左手の野川の側には築5年以内であろう新しい家々がたくさん立ち並んでいる。反対に道を挟んで右手の崖を背にした側には築30年ぐらいであろう、古い家々がほんの僅かに立ち並んでいる。藪といい、道を挟んだ家々のコントラストと言い、ますます知的欲求を刺激された。そこで、ある崖側の家の呼び鈴を押してみた。


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老婦人の語り

 この家に住む中村淑子さん(84)は初対面の私を笑顔で迎えてくれた。中村さんは、この場所に住んで約50年が経つ。ご主人はすでに亡くなっており、今ではこの家に一人暮らし。息子さんもいるが、現在は離れて暮らしている。一人暮らしは不安ではないかと尋ねると、「ご近所にお友達が多いから安心なの」と笑顔が返ってきた。ご近所に住む飯田さんは、毎朝の散歩の際に、必ず中村さん宅のカーテンが開いているかを確認するという。もし閉まっていれば「何かあったのでは」と、駆けつけるというのだ。こうした密なご近所付き合いは、最近の世の中ではなかなか真似できない。 居間に入って一番に私の目を引いたのは、壁に飾られた一枚の絵画。亡くなったご主人が描いたものだという。中村さんはこれを指さして、「この絵の通り、当時(昭和40年頃)この辺りは、田んぼと畑と沼が広がっていて、遠くには富士山が見えたのよ」と、年齢を忘れさせるほどのハキハキとした口調で話した。


かつての成城を偲ぶ

 昭和40年頃のこの地域は、中村さん宅をはじめ数軒の家々が崖沿いに建っていただけだった。私が歩いてきた道の崖側の家々は50年ほど前から存在し、反対に野川側の家々が建っている場所には田んぼや畑、沼が広がっていたのだ。それが、年々進む開発により現在の住宅地が出来上がった。特にここ5年間で急速に開発が進んだという。この理由には、小田急線の複々線化事業や近くを走る幹線道路の地下化などによる、居住環境の向上が挙げられる。また、崖一帯を覆う藪は、「神明の森みつ池」として世田谷区により指定されている特別保護区であった。ここは、ゲンジボタルが有名で毎年6月頃には見られるという。 「昔は軒先まで蛍が飛んできたわよ」と開発が進む以前を中村さんは懐かしむ。あの急な坂道についても聞いてみると、「不動坂」という名前だった。私でもしんどいこの坂を、中村さんは今でも上り下りしているという。


 「開発が進んで良かったですか?」という質問に、中村さんはしばし考えた後、「緑も好きだけど、新しくなることも良いかしら」と答えた。ご近所でのコミュニケーションや、自然を大事にし、その上で新しいモノも取り入れる。だからこそ、新しくなることも良いのだと思う。時代が進めば、技術が進み、世界も人間も変わってしまう。けれども、そこには忘れてはいけない、削ってはいけない有機的なものがある。成城の端っこで、思いがけず、「品」よりもはるかに大事なモノを見つけた。


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※この記事は、08年前期のJ-School講義「ニューズルームH」において、刀祢館正明先生の指導のもとに作成しました。

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