2009年7月31日
筑紫哲也氏追悼シンポジウム(8): まとめとして〜映像メディアと活字メディア
白熱した「多事争論」は、パネリスト一人ひとりが、シンポジウムの感想やメディアに対する想いを述べることで、幕を閉じた。 映像メディアの危険性/テレビは嘘をつく【姜さん】 田原 姜さん。多分これが…
2009年7月31日
白熱した「多事争論」は、パネリスト一人ひとりが、シンポジウムの感想やメディアに対する想いを述べることで、幕を閉じた。 映像メディアの危険性/テレビは嘘をつく【姜さん】 田原 姜さん。多分これが…
白熱した「多事争論」は、パネリスト一人ひとりが、シンポジウムの感想やメディアに対する想いを述べることで、幕を閉じた。
田原 姜さん。多分これが最後の発言になります。
姜 映像の影響力は、湾岸戦争の後に強くなりました。ある意味ではテレビと活字との関係というものが、逆転した面があると思うんですね。例えばサンデープロジェクトを見て、政治部の記者が直ぐに記事を書く。すると、それ自体がもう事件になるわけです。
その結果として、僕の印象では、インターネットも含めて「感情を増幅させやすい」ことの方がメディアとして「ウケる」という雰囲気が出来上がっている気がします。
僕はもう20年くらいテレビに出てます。その中で感じることは、特に「映像メディア」というのは一面において「感情メディア」だなぁ、ということです。そして、その感情の増幅というのが非常に激しいので、逆にこれは取り扱いを注意しないと、これほど危ないメディアもないと思います。
田原 両面ある、と。
姜 両面ありますよね。
田原 ちょっと、ここで姜さんにお聞きしたいのですが、活字メディアと映像メディアの一番の違いは、新聞にしても雑誌にしても活字っていうのは全部言葉になるということです。言葉以外のものは全部なくなる。
姜 そうですね。
田原 ところが映像メディアでは、言葉は表現のワン・オブ・ゼム(one of them)に過ぎないのです。表情もある、目の色もある、声の大きさもある、或いは身振り手振りもあります。だから言葉がワン・オブ・ゼムになるということがありますね。
姜 そうですね。だから、テレビはとりわけ嘘を吐く。しかし一方で嘘を吐くことを徹底して見破るということもあって、この二つはある意味で活字とは違いますね。
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道傳さんは、姜さんとの会話の中で言葉を締めくくった。
姜 NHKに僕は素朴な質問があります。深夜になるほど、段々ニュース番組が良くなるなあと思うんですよ。そういう傾向はないですか?僕のバイアスがかかっているんでしょうか?
道傳 その辺は毎年、編成は変わりますので一概にはいえませんが、解説番組が深夜にあるということも影響しているかもしれません。で、私のような拙い解説でも、それこそ何百万人もの方が見て下さるわけです。
それは例えば本屋さんに入って、「3分でわかる何とか」という、イラストが沢山入っているマンガのようなものを手に取るのか、それとも学術書とはいかないですけど、きちんと「良質の書物」を手に取ろうと思うのかという感覚の違いであって、そちらを選ぼうという方たちが、まだ沢山あるんだなということを感じます。
田原 はい、金平さん。最後にどうしても言いたいことがあればどうぞ。
金平 今のお話を受けて言うと、「活字メディアと映像メディアは、片方が言葉を大事にして、片方が映像とか感情のメディア」だという分類があるとしても、筑紫さんがやろうとしてたことっていうのは、それを乗り越えようとしたんだと思うんですよね。
田原 そうですよね。
金平 だって「多事争論」なんていうのは最もテレビ的じゃないやり方をやったんです。僕はそういう棲み分け自体を彼は乗り越えようとしたんだなあと思って聞いていました。
それからさっきの新聞の役割とテレビの役割の区別にしても、「速報性」と「もっとバックグラウンドを解説をして、分かりやすくする」、その点だって僕はテレビで出来ると思うのです。だから役割をメディアによって何で分けようとするのか?というのが理解できないのですよ。
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田原 田勢さん、どうしても言っておきたいことがあればどうぞ。
田勢 ジャーナリストの仕事っていうのは、本当は大変地味な仕事で、みんながみんな、筑紫さんや田原さんのような大きな存在になれる訳じゃないのです。ほとんどのジャーナリストは、名前も知られないまま、こつこつと仕事を続けているわけです。ジャーナリズムを目指している人は、そういうものなんだと認識しておいて貰った方がいいと思いますね。
今頃の季節になりますと、学生さんたちが何人か私の所へ来て、「どうすれば早く署名記事が書けるようになりますか?」と聞きに来るんですね。そんな方法があるなら教えて欲しい、と思いますよ。そんな華やかな世界じゃないですよ。時には危険を伴うような地味な仕事である。ジャーナリストを目指す皆さんには、これを機会に理解して戴きたいと思いますね。
田原 はい。野村さんどうぞ。
野村 私も「だから棲み分けをしよう」ということではなくて、新聞が生き残っていくためには、新聞の特性である調査報道とか、解説であるとか、そういったものを充実させていくしか生き残っていく道はないだろうと思っています。
それからもう一つだけ。新聞についてもテレビについても、メディアの将来の暗い面がずっと話された訳です。一方、フランスのサルコジ大統領が、大学生に新聞を読ませようとしました【注】。政府がお金を出して新聞を読ませることがいいかどうかは別ですけれど、そこへ着眼したサルコジという人は、非常にいい感覚を持っているなと思います。
つまり、活字メディアが衰退した時に、フランスの文化そのものも衰退しかねないという危機感を、恐らく彼は持っているんじゃないかと思うんです。日本の政治家にもそういう危機感を持って欲しいですね。
田原 なるほど。また金平さんに批判されるかも知れませんが、活字メディア、新聞を読むには努力が必要です。アクティブにならないと読めないんです。
それに対して映像は、受け身で見られちゃうんですよ。そこでテレビがどんどん、分かりやすいと言えば聞こえが良いが、受け身で安易に見られる見られる映像を作るようになると、これは非常に良くないと思っています。
どうも有難うございました。丁度時間になりました。これで終わりたいと思います。
【注】:フランスのサルコジ大統領は1月23日(2009年)、18歳を迎えた国民全員に日刊紙を1年間、無料配達する方針を明らかにした。広告収入の減少などで経営状態が悪化した活字メディアの支援策の一環。発行費は新聞社が、配達費は政府がそれぞれ負担する。欧州メディアが24日報じた。
サルコジ大統領は、「新聞購読の習慣は若いうちに身に付ける必要がある」と語った。フランスでは18歳で選挙権が与えられ、成人とみなされる。
(2009.1.24 共同通信報をもとに改編)
<筑紫哲也氏追悼シンポジウム・スタッフ>
総指揮:瀬川至朗
【J-School学生スタッフ】
青山幹史
石川健二
岡田圭司
松田香織里
山下真規恵
【協力】
早稲田大学政治学研究科の皆様
早稲田大学広報企画課の皆様
早稲田大学J-Schoolの仲間たち
早稲田大学MAJESTyの仲間たち
*この記事は、09年前期のJ-School講義「ウェブジャーナリズム」において、田中幹人先生の指導のもとにJ-School学生が編集しました。