熊本で全早慶戦開催
熊本出身・早稲田の大竹投手が力投
地震で大きな被害を受けた熊本で8月5日、現役選手にOB選手を加えた全早慶戦(オール早慶戦)が開催された。もともとは昨年の夏に開催される予定だったが、震災の影響で中止となり、今年ようやく実現した。熊本出身で、高校時代に済々黌(せいせいこう)のエースとして、夏の甲子園大会、春の選抜大会に出場した左腕、早稲田の大竹耕太郎投手(22)が先発で出場。熊本城公園内にある藤崎台県営野球場には、早慶のOB、済々黌の関係者ら多くの県民が訪れ、スタンドを埋めた。早稲田大学、慶應義塾大学両校の応援指導部やチアリーダーズも駆け付け、神宮球場さながらの光景が広がった。
(トップの写真:試合前に挨拶をする早稲田大学と慶應義塾大学の選手たち=2017年8月5日、熊本県熊本市中央区、藤崎台県営野球場、森江勇歩撮影)
コンバットマーチで応援席を盛り上げるチアリーダーズ
地震の傷跡が残る球場に、「紺碧の空」と「若き血」が響き渡る。両校の応援歌、エール交換から応援合戦が始まり、試合開始前から球場は大きく盛り上がりを見せた。学ラン姿の応援部の気合の入った指導に、チアリーダーズが華を添える。早稲田側でブラスバンドを担当したのは、大竹投手の母校である済々黌吹奏楽部の生徒たちだ。曲を重ねるごとに早稲田の応援部と済々黌のブラスバンドの息も合いはじめ、ひとつにまとまっていった。
今大会で注目されたのは、熊本出身の現役部員たちだ。早稲田に1人、慶應には4人の部員がいる。中でも大竹投手には、大きな注目が集まった。試合開始直前、電光掲示板に「P 大竹」と表示されると、ピッチングを待ち望んだ観客からは歓声が上がった。背中には「13」。大学1年生のころからつけてきた背番号だ。「熊本のみなさんに、大学でやってきたこと、成長した姿を見せたいという思いだった」と大竹投手。
久しぶりに藤崎台のマウンドに立った大竹投手に緊張している様子はなく、観客はその一球一球に注目した。プレーボール直後、早くも済々黌対決が実現した。最初のバッターは、同じ済々黌出身の安藤太一選手(22)。高校時代はキャッチャーとして大竹投手とバッテリーを組み、春のセンバツ大会に出場した女房役だ。初球は、ボールを選び、続く2球目はサードゴロに。後続の打者二人をピッチャーゴロ、三振に打ち取ると、スタンドからは大きな拍手が起こった。
大竹投手はその後の2回も三者凡退に抑え、上々の立ち上がりを見せた。3回表に慶應に1点を先制されるも、4回裏に早稲田が同点に追いつく。だが、6回表に熊本の八代高校出身の長谷川晴哉選手(20)がホームランを放つと、早稲田の髙橋広監督(62)は大竹投手に降板を告げた。多くの観客が落胆する表情を見せるも、早稲田の応援席から帰ろうとする人は、ほとんどいなかった。その後も多くの観客が声を張り上げ、手をたたき、最後まで応援を続けた。
「高校の時ほどの声援はもらえないだろうと思っていた。でも、三振を取った時の歓声や、交代時の拍手を聞いて、まだ応援してくださる方がいることを実感した」。大竹投手は振り返る。
結果は、3—14で慶應の大勝だったが、試合後、大竹投手には笑顔があった。「終盤は打たれたが、収穫の多い試合になった。1週間くらい前からすごく不安で、やっと終わったという気持ちだった」
済々黌の前監督(現在はコーチ)で、今大会の開催に尽力してきた慶應野球部OBの池田満頼さん(44)は、「慶應を応援しつつ、大竹のことも応援していた。もう少し競ったら面白い試合になったが、無事に開催できたことが何よりだった」と語った。
4年生の大竹投手にとって、残すは秋季リーグ戦だけとなる。池田さんは、最後に元監督として大竹投手にメッセージを残してくれた。「もともとコントロールはいいから、あとは配球を考えて投げるだけでピッチングは変わる」。最後のリーグ戦で活躍する教え子の姿を、熊本の地から応援している。
この記事は2017年春学期「ニューズライティング入門(朝日新聞提携講座)」(柏木 友紀講師)において作成しました。
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