渡辺一史さん写真_kujira

「裏切られなければ、取材が足りない」  第12回早稲田ジャーナリズム大賞 『北の無人駅から』著者 渡辺一史さんに聞く

 北海道に根差した取材をつづけるフリーランスのノンフィクション・ライター、渡辺一史さん。広大な土地をつなぐ鉄道の無人駅を巡り、そこに住む人々の生き方を『北の無人駅から』(2011年、北海道新聞社)に表した。2012年10月4日、第12回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞の受賞作品の選考結果が発表され、同書が地域の共生に根差した作品に贈られる「草の根民主主義部門」大賞を受賞することが決まった。渡辺さんに、ノンフィクションとして地方と人々を描くことについて、お話をうかがった。

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無人のなかにある色々な人のドラマ

―受賞を知ったときにお気持ちは

 賞金がありがたいなと思いました。人にもよりますが、フリーランスの生活は楽ではありませんので。

―では、8年間どのように生活されていたのですか。

 ほとんど生活できていなかったですよ。23歳のときからしている、北海道に関する種々雑多の出版物を手掛ける仕事をしながらでしたので、必要最低限の生活はできていましたが。

 あと、取材するより、書く方が、悩む方が長いですね。途中まで取材していて、結局書かなかったものもあります。取材した人を全て出すわけでないので、埋もれてしまう取材はたくさんありました。

―そこまでの年月をかけて完成させようと思った理由は何でしょうか。

 二つあって、本の「はじめに」(注1)と「おわりに」(注2)に書いてあります。8年で終わったから良かったけど、もしかしたら20年かかっていたかもしれないですね。フリーランスは誰かに要請されて書くわけでもないし、時間に追われるわけでもありません。自分がいかに納得するものを書けるかが重要です。 

(注1)「1987年、大学入学を機に渡辺さんは大阪から札幌に移り住み、バイクで道内各地を回り無人駅で夜を明かしていた。無人駅の存在に惹かれ、JRの鉄道PR誌で無人駅の連載記事を書くようになる。その後、印象に残った無人駅を改めて取材し、深く掘り下げてみたいと考えた。」(『北の無人駅から』「はじめに」要約・斉藤)

(注2)「もう一つの理由は、北海道の生活の中で見て感じた全てのことを、仕事の地域情報誌には書けないでいたこと。北海道の『本当のこと』を書きたいという想いが募っていた。」(同書「おわりに」要約・斉藤)

―若いころバイクで旅をしていた時に寝泊まりをしていた無人駅について、なぜ掘り下げようと思ったのですか。

『北の無人駅から』の表紙

『北の無人駅から』の表紙

 旅の最中、今は無人だけれども以前は町の中心だったとか、実は人の色々なドラマがあると知りました。だからバイクで初めての町に行ったら、とりあえず駅に向かいます。そんな感じ、ないですか。 駅って独特な空間だな、と僕は思います。駅で友達と話していると離れがたくなった思い出とかがあって、物心ついた頃から惹かれていましたね。

〈『北の無人駅から』は約800ページにわたるルポルタージュ。筆者の渡辺一史さんが北海道内の6つの無人駅を訪ね、駅をとりまく地域に住む人々から話を聞いている。実に様々な資料をもちい、北海道の郷土史や専門的な話もわかりやすく書かれている。渡辺さんは1968年名古屋生まれ、中学・高校・浪人時代を大阪で過ごす。1987年から札幌で生活。2003年「こんな夜更けにバナナかよ」刊行〉

―人に関心を抱いているのは、昔からだったのですか。

 僕には昔から他人と通じ合えない、噛みあわない体験がたくさんあったからこそ、「他人って一体何だろう」と興味が芽生えたのかもしれません。もともと友達も少ないほうでしたし。他人と理解できるような幸福な体験があったら、僕は今ノンフィクションを書いてないかもしれないですね。

―取材・執筆する上で感じた喜びと、辛さはどういったものでしたか。

 喜びよりも、辛いことのほうが多いですよ。人の話を聞くということは、聞いた話を自分が背負うということ。もちろん、深い話が聞けたなって思える瞬間はあります。でもその瞬間、どう受け止めてどう表現できるかという課題にすり変わるでしょう。だから喜んではいられません。

 ルポルタージュは他者を取材して初めてできるものですから、自分の思いだけではどうにもなりません。他者によって自分は動かされるし、最初に思い描いていた筋書きは必ず裏切られます。裏切られなければ、取材が足りないということです。

大切な「私」の悩みと視点

―記者とフリーのノンフィクション・ライターの違いは何でしょうか。

 僕の場合、毎月の給料も締め切りもないし、上司がいて怒られるわけでもありません。新聞記者たちは、会社としての責任を背負って取材しているかもしれないけど、僕は自分の興味だけで動いています。ノンフィクションとは、全て自分がゼロから作りあげた者だけが通用する世界です。資格も方法もスタイルも、フリーランスには関係ありません。

―では、ノンフィクション・ライターの強みは。

 何もないと思いますよ。弱みばかりです。取材依頼の時も、「フリーライターですけども」って突然電話すると怪しいですよね。新聞記者だと通るけれど、自分はそこでつかえてしまいます。経費も出ません。

 ただ、それでやめるかと言ったらやめないですけれども。取材で行きづまったら、その過程を書けばいい。質問をした「私」と、答えた相手の間にある、やり取りを表現しないと嘘をつくことになってしまいます。僕が書きたいのは、生身の人間を描いたノンフィクションですから。

―ノンフィクションは、客観性の面ではどうなのでしょう。

 「客観的」って言葉は難しいですよね。何をもって客観性って言いますか。「私」という軸がしっかりしていなければ、そのまま事実が描かれても書く意味がありません。「色々な意見がありました、終わり」よりも、書き手である「私」は何をどう感じたのか、どう悩んだかっていう軌跡を描いていかないと。客観的であろうとか、あまり考えたことはありません。

「地方を地方として描きたい」

―ご自身のホームページで、「言葉にできるのはごく一部しかない」とあり、共感を覚えました。書くことの難しさを知りながら、なぜノンフィクションを書き続けるのですか。

 現実は複雑なものが絡み合っています。それを自分の視点で切りとり、順序づける作業が書くということであり、ノンフィクションはそのように現実を書くことです。そこに書き手の個性が出ます。

 この本には農業、漁業、自然保護、観光問題、過疎、限界集落、市町村合併、地方自治の問題を書きました。取材を積み重ねるたびに、世間で言われている一般的なことは表面的であり、その下に全く書かれていない問題があることがよくわかります。まだ言葉になっていない部分を書いていくということは、誰かを傷つけることになるかもしれない。難しいことです。けれども知ってしまった以上、物事の本質を言葉にしていかないと、自分に話をしてくれた人に対して申し訳なく思います。見てしまった、という責任感を感じますね。

 ですから、100人に取材をすれば、100人分の責任感がのしかかってきます。ノンフィクションには実名を使うから、相手と信頼関係を築かないといけません。一回目で話が噛み合わなかったら、また相手を訪ねて何度も話を聞く。そのような「私」の思いや悩みを入れた自分の視点をノンフィクションのなかに書かないと、読者には伝わりません。辛抱強く言葉を積み重ねていけば、読み手に三次元の世界を見せることができますよね。筆者に共感してくれたとき、読者は次のページをめくってくれます。そのようなところに書くこと、読むことの面白さはあると考えています。 

―今後、どのようなテーマのノンフィクションを手掛けたいと思いますか。

 今は東京の視点ばかりの情報が日本を覆っています。僕は普通の人を普通の人として、地方を地方として書くことに挑戦したいし、これからも自分なりの方法でやりたいと思います。

【取材・執筆・撮影 : 斉藤明美】

 

取材を終えて

 取材中、間を置きながら語っていただいた渡辺さんには、落ち着いた佇まいがあった。自分の視点を入れながら書くことの難しさに頭を抱えつつも、人の描写には慎重になり、話を聞いた一人ひとりを大切されている。フリーランスとして決して有利ではない立場にありつつも、見えていない現実を粘り強く追う姿に個としての強みを感じた。(斉藤明美)

 

・石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞HP
http://www.waseda.jp/jp/global/guide/award/index.html
・『北の無人駅から』紹介ページ(北海道新聞社)

http://shop.hokkaido-np.co.jp/book/products/detail.php?product_id=382

※この記事は、2012年度J-School秋学期授業「ニューズルームB」(担当教員・瀬川至朗)を中心に作成しました。

 

 

 

 

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