2010年7月27日
执笔・撮影:倪暁雯
早稲田最後の洋服店/学生服とともに、90年の盛衰
1920年に開店した神崎洋服店は今、早稲田大学の早稲田キャンパス周辺に残る最後の洋服店だ。西早稲田商店街の2階建ての建物で、看板は昔のまま。だが、学生が学生服を着なくなり、紳士服も安売り店に押されて、商売は厳しい。後継者もいず、「これからどうなるか私も分からない」とオーナーの神崎和通さん(70)。最後の洋服店も、いずれ消えていくのだろうか
2010年7月27日
执笔・撮影:倪暁雯
1920年に開店した神崎洋服店は今、早稲田大学の早稲田キャンパス周辺に残る最後の洋服店だ。西早稲田商店街の2階建ての建物で、看板は昔のまま。だが、学生が学生服を着なくなり、紳士服も安売り店に押されて、商売は厳しい。後継者もいず、「これからどうなるか私も分からない」とオーナーの神崎和通さん(70)。最後の洋服店も、いずれ消えていくのだろうか
店内に入ると、詰め襟の学生服がハンガーに数着かかっている。注文服用の布がきれいに棚に置いてある。ソファが3つ、お客を待っているかのようだ。だが、服を買い求める人が出入りする姿はほとんど見られない。神崎さんが、奥の部屋で仕事をする後ろ姿が見えるだけ。
「でも全盛時代はすごかったよ」と、神崎さんは言う。「地方から上京した学生たちは、学生服は初めてだからみんな注文した。4月10日の入学式に間に合うよう、毎年3月から同僚たちに頼んで、徹夜で縫製をした」。芸能人がここで学生服を注文し、週刊誌に載ったこともあるそうだ。
「あのころは学生との付き合いが深かったなあ」と、神崎さんは楽しそうに振り返る。「大学の施設が整っていなかったから、弓道部の学生たちが、ここを連絡場としてよく遊びに来た。卒業しても時々訪ねてきてくれるよ」
学生服は大正中期から普及し始めたが、戦後、学生のファッションが多様化して学生服離れが加速。80年代以降、次第にキャンパスから学生服姿が消えた。学生向けの帽子屋と洋服店も、次々と地図から消えた。
昭和の初めごろには、早稲田大学の正門と西門の商店街あわせて洋服店が17軒あったが、今は西門の神崎洋服店のみ。廃業した洋服店のうち数軒は、オーナーの住宅になったり、食堂や床屋など別の事業を始めたりしたが、多くは売却されてコンビニなどになってしまったと神崎さんは言う。
そんな中で神崎さんは、30年ほど前から弟に学生服の方を任せ、自分の好きな不動産業をはじめた。洋服店のスペースの4分の1ぐらいを利用し、別会社として「株式会社神崎」を作った。バブル経済が崩壊する前に始めたので、当初はすごくもうかったそうだ。
「学生服は利益が出ないから力を入れなくなった」と、神崎さん。今、店の売り上げの9割以上は不動産に頼っている。学生服は、大学の応援団と体育会系の制服を作るだけとなったが、たまに記念に注文する人もいるそうだ。
「息子は法律の仕事をしている。まだ独立していないが、店はやらせたくない」。神崎さんは淡々とした微笑を浮かべて、「時の流れに逆らえないね」。90年の歴史を持つ神崎洋服店は、学生服の時代とともになくなっても、ウィンドーに張ってある白黒ポスターの映画「ローマの休日」ように、人々の記憶に残るのだろうか。
※この記事は、10年度J-School授業「ニューズルームD(朝日新聞提携講座)」(林美子講師)において作成しました。