「消されたヘッドライン」インプレッション記事

「必要なのは、真実を伝えること。そして、本物の記者」

巨大な権力を前に、ラッセル・クロウ演じるジャーナリスト、カルを中心とした、決して目を話すことができないサスペンス映画である。 終盤にいくにつれて、明らかな真実が次々と浮かび上がり、観客を映画の中に引きずり込んでいく。

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ジャーナリストが直面する葛藤とは?

巨大な権力を前に、ラッセル・クロウ演じるジャーナリスト、カルを中心とした、決して目を話すことができないサスペンス映画である。 終盤にいくにつれて、明らかな真実が次々と浮かび上がり、観客を映画の中に引きずり込んでいく。


 カルは、あくまで新聞にこだわる古い体質の1人の記者ではあるが、真実を追いつめる中では圧倒的な存在感を示す。そして、誰もが真実という揺るがない力強さを感じることになる。その中で、真実が曖昧な情報にも関わらず、新聞社の利益の為に一刻も早く新しい情報を掲載したい経営側と、真実を伝えることにこだわる記者との間にある新聞社の抱える葛藤と問題が上手く絡み合う。

 

貴社がこだわる真実とは?

映画の中心となるのは、ある事件の真実を伝えることだ。「真実を読者は見抜く」という想いから、主人公であるカルはあくまで真実だけにこだわる。 推測や噂で記事を書くことを決して許さない。間違った報道がされると真実がどんどん曲がっていくという現実の中で、彼が真実を追い続けたからこそ、真実は衝撃的で、予想外な展開になったのだろう。


 さらに、私は大学院でジャーナリズムを学ぶ中で、「自分のネタにこだわる」ことが重要だと講義の中で、記者から何度も耳にする。カルも最後まで、自分のネタにこだわり続けた。警察との間では、「事件」を「自分のネタ」として、スクープの為に自分で裏を取るべきなのか。 警察に情報を渡すべきなのか。といった葛藤が描かれている。さらに、上司であるデスクとの間でも、最後まで簡単に「自分のネタ」に妥協することはない。自分の身に危機が迫ろうと、できることは何でもする。その結果が、最終的に真実の解明となり、スクープに繋がるのだ。

 

新聞社が抱える課題と記者の在り方

この映画は、現在の新聞社が抱える危機がリアルに描かれている点も見逃せない。インターネットで情報を得ることができるようになり、新聞の売り上げが減少し、新聞社の経営にも影響を与えている。現代、人々の情報源がインターネットが中心となり、新聞社各社がネットで情報を発信している。この現状の中で、まだ新聞が残っている理由は、ブログなどで誰もが情報を発信することができることで、まだインターネット上の情報が信頼されていないからだろう。カルもその点において、新聞で真実を伝えることにこだわる。


 今後、テクノロジーの進化により紙としてではなく、インターネット上で全く新聞と同じ記事が読めるようになるとどうだろうか。実際、今話題のiPhoneでは画面上で新聞の形式のままでの持ち運びが可能になった。紙媒体との違いはなくなりつつあると私は考える。

最後に、現代までいつの時代でもメディアがど変化することは現実として起こってきた。しかし、真実を伝えるということにおいて、カルのような本物の記者が必要なのは同じだということである。

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