0909-oyama-top

生物学とアート、そして生命 ~研究者の心の旅

「バイオリズム」をうたった占いや、雑誌の記事を読んだことのある人は多いだろう。少し疑似科学的なその言葉とは別に、生物は、誰に教えられることなく各々に特有の形を作り、そして固有のリズムを持って生きている。その生物が持つ固有のリズム=概日性を、構成的手法を用いて研究する一方、生命の奥行きを芸術により表現する。そんなユニークな研究者の思索の森を、ほんの少しだけ垣間見る機会を得た。

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - 生物学とアート、そして生命 ~研究者の心の旅
Share on Facebook
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Livedoor Clip

  今回、早稲田大学理工学術院細胞分子ネットワーク研究室の岩崎秀雄准教授にお話をうかがった。岩崎准教授は先進理工学部電気・情報生命工学科で、2005年から教鞭をとる。シアノバクテリアという微生物を用いて生体内の概日リズムを研究すると同時に、切り絵などを使った造形作家活動も行う。
 微生物研究で用いられる「構成的手法」とは、実際の生物の作用モデル、現象を再「構成」し、そのメカニズムや妥当性を検討する比較的新しい手法だ。岩崎准教授は生物の営みを研究しながら、日々何を考えるのか。また、同時に芸術表現をするのはなぜなのだろうか。

意識と無意識のあいだ~そこからやってくるもの

 研究室に入った私の目を引いたものは、フラスコを組みあわせた立体アートと、その向こうに展示される、切り絵とモノクロ映像のコラボレーションアートだった。不思議な映像の正体は、岩崎准教授が概日リズムの研究に用いている微生物の群れだ。顕微鏡下で撮影された生物の流体は、集合体自体がひとつの生き物のように、渦を巻き形を変える。

「彼らはなにを考えてるんでしょうねえ。でもおそらく、彼らは無意識に、規則性を持ってこの模様を描いている」
映像を眺めながら岩崎准教授はつぶやいた。

 繊細な黒いレースを思わせる切り絵と、映像が壁面で調和する。無機物と有機物が織り成すその様は、ある種、幾何学的でもありながら決して無機的ではない。室内に展示されているアートは、切り絵という伝統的な技法と、生物を用いた新しい技法が一体となって、見るものに強い印象を残す。その切り絵を作る際は、下書きをしないという。

「出来上がりは全く決めていなくて、即興が多いです」

 1日に仕上げられる範囲は掌大よりも小さく、1つの作品を数カ月にわたって制作することも多い。

「時間がかかる即興の落書きです。意識した自分の創作行為と微生物が無意識に描いている物、そのあいだにあるものが面白いなと思う」

 無意識のうちに群れ集い形をなす生物と、意識をもって創作にあたる人間。だが創作の合間、空白の時間も、無意識の中でイメージが形作られているとも語った。2つの生物が意識と無意識のあいだで繰り広げることが、アートとして具現化される。

岩崎秀雄准教授と研究室。室中にフラスコを用いたアートが展示されている。


サイエンスとアートのあいだ~境界線への興味

 始まりは大学生のとき、生物の「体内時計」という概念と出会ったことだった。

「最初は科学史的なことに興味を持ちました。生命は混沌としたもののはずなのに、そこにリズムを見るのがなぜ面白いのかという興味ですね。ある意味つまらない規則的なものを、なぜ重要だと主張するのかと」

 だが調べてみると面白さを感じた。その概念が含む生物学としての色合いの面白さ、重要性に目覚めたからだという。その後、時計遺伝子*の研究と並行して科学史的探求を行い、生体内のリズムを探るうちに、動的な生命の営みを理解するための生物学、構成的生物学に学究領域が広がってきた。

 生命という広大な概念は、科学的に解明される面ばかりではない。自然科学から見ての「生命」と同時に、他の面からの「生命」を多角的に研究すること、そしてサイエンスとアートの境界線に興味を持ったという。そのため、現在の研究室は生物学、人文社会学、そしてアートをできるだけ同時に追求できる環境を目指している。

過去と未来のあいだ~構成的生物学の現在

 生命の現象を、遺伝子やたんぱく質によるネットワークとして再構成したり、新たな機能を創る構成的生物学。その必然的な帰結は「生命を創ること」であるという。今後どのような論議を生む可能性があるだろうか。

「構成的生物学は、それゆえに文化、社会と関連を持ちます。ただし今の生物学の現実では、人間は大掛かりなインフラを作ることができる一方で、細胞ひとつ作ることすらできない」

 とはいえ生命科学の発展は目覚しく、細胞の「パーツ」作成が可能になった今、いずれ生命が作られる日がくるのも全くのお伽噺とは思えない。

「生殖医療などの先端科学と同じく、その発展の先は必ず倫理的問題をはらみます。それに伴って死生観、人間観が変わることもあるでしょう」
社会の人間観、とりわけ死生観は宗教、文化などと関わってきた。では科学が死生観に影響を及ぼすのは、どのような理由からだろうか。

*時計遺伝子:概日リズムの基本振動の発生機構を構成する蛋白質をコードする遺伝子。概日性を司る。

自と他のあいだ~私はほんとうに「私」?

「再生技術が発展して、記憶を含めた個体の再生が完全に可能になったとき、『今』に対する捉え方は変わるでしょう。さらに『自』と『他』の区別も曖昧になるかもしれない。たとえば、映画『攻殻機動隊』で知られる押井 守さんがやっているようなことがそうですね。そのとき近代的な自我、個人の考え、パーソナリティを基礎付けているものが変わってしまうかもしれない」

 岩崎准教授は、同時にこう付け加えた。

「SF的な面も大事ですが、すこしエクストリーム過ぎる傾向もあります。実際に私たちは圧倒的なテクノロジーを、ただ圧倒的に受け入れているわけではない。試験管ベビーの技術がいつしか日常化したように、私たちは『慣れる』ための可塑性を持つものではないか」

 たしかに私たちは、科学技術を財として消費する歴史を繰り返してきた。その高度な可塑性こそが、科学技術に対する理解の障壁にはなっていないだろうか。

「その通りです。ただ、『学ぶ・慣れる』ことにより理解の障壁を乗り越えるのも、同時に可塑性があるからだという感じもします」

 漠然と考えるのは、このような思想的な問題で、可塑性について適切に論じることの難しさだという。「時がたてば人間はかなりのことに慣れていく」と考えると、問題は先送り化されて議論にならないが、その側面を考慮しないと議論が慌しくなり、極論に傾きがちになる、と語る。どちらが適当なのか悩ましいと述べ、危機管理を重視する立場からは後者のほうがよさそうだが、としながら論を締めくくった。

 議論は思索の森を歩きつつ、遺伝子工学から科学史、そして「生命」を扱うがゆえの哲学的な思考まで多岐に渡った。それはつまり既成の学問の枠には留まらない、岩崎研究室で扱う学問の複合的な要素と、その深遠さを表すものだろう。今日もそこでは理工学部の院生と、美大出身の芸術家が共にあって、岩崎准教授と共に「生命」の概念の探求を続けている。

デスクの上にプチトマトを発見。活動に没頭する合間に簡単につまめるのが魅力だという。そんな岩崎准教授の夢は「葉緑体人間になって、光合成をすること」。

トップ画像:切り絵作品の1つ。繊細なパターンが黒い紙に刻まれる。作る際には模様もさることながら、作品の「手触り」に気を使うという。(提供:岩崎秀雄准教授)

j-logo-small.gif

*この記事は、09年前期のMAJESTy講義「科学コミュニケーション実習1A」において、吉戸智明先生の指導のもとに作成しました。

合わせて読みたい

  1. 果てなきアスベスト問題(1)
  2. 女性と骨粗しょう症
  3. 現代の産婦人科が抱える問題
  4. 小児がんの子どもたちを描いた映画の上映会とトークショーが開催
  5. 見直される自然免疫