2019年7月17日
取材・執筆・撮影:梁 善実
早稲田大学の魅力を伝える 木綿洋平さん
やりがいがある仕事とは何か。学生なら一度は考えてしまう。「大学の魅力を伝えるという仕事は、すごくやりがいがあって楽しい」。そう語るのは、早稲田ウィークリー編集担当である木綿洋平(もめん・ようへい)さんだ。「働く」とは何か。就職活動を目前にする学生に、考えさせられる言葉だ。
(トップの写真:早稲田ウィークリー編集室 木綿洋平さん)
2019年7月17日
取材・執筆・撮影:梁 善実
やりがいがある仕事とは何か。学生なら一度は考えてしまう。「大学の魅力を伝えるという仕事は、すごくやりがいがあって楽しい」。そう語るのは、早稲田ウィークリー編集担当である木綿洋平(もめん・ようへい)さんだ。「働く」とは何か。就職活動を目前にする学生に、考えさせられる言葉だ。
(トップの写真:早稲田ウィークリー編集室 木綿洋平さん)
新聞記者から早稲田大学職員へ
編集室は、学生会館の受付カウンターの後ろにある。生徒が行き来する様子を見るには良い位置だ。編集部デスクの後ろ中央に座る木綿さんは、早稲田大学第二文学部を卒業後、新聞社に就職した。新聞社に応募したきっかけは、新聞記者が持つ社会的、正義的役割に興味を持ったからだった。入社後は、記者として文章や写真のスキルを一から身につけた。「ひたすら練習した」と話す。新聞社は8年間務めた。神戸市の地方支局から整理部、社会部へとステップアップを重ねた。
記者としての源流を振り返ると、記者1年目のある取材経験にたどり着く。初めて担当した「人もの」記事取材の際、取材相手であったアーティストに怒られた。芸術に長年情熱を注いできたアーティストに対して、自身の芸術への見解が少なく失礼な態度をとってしまった。取材は「グダグダ」だった。以降、取材対象者の内面にある情熱について考えるようになった。現在も、取材の際に心がけている。
取材者として、企業を取り上げる機会があり、企業の広報に興味を持ち始めていた。2006年の夏、甲子園取材を担当した経験が転機となった。母校の早稲田実業高校が目の前で全国優勝を果たした。「早稲田実業の卒業生として、母校の活躍の取材はわくわくした」。記者として挑戦したいことはまだあった。しかし甲子園取材で芽生えた愛校心に従い、2007年に早稲田大の広報室広報課に転職した。2015年に学生生活課に異動し、現在まで早稲田ウィークリー編集室を担当している。去年からは、GSセンター(Gender and Sexuality Center)も兼務している。
紙からWebへ
担当する早稲田ウィークリーは、主に早稲田大の学生に向けた実用情報を掲載する媒体だ。1966年3月に創刊した『早稲田』から始まり、50年以上の歴史を持つ。1966年9月、『WASEDA WEEKLY』に名称を変更した。紙媒体として多くの早大生から親しまれてきた。しかし時代は変わり、学生もソーシャルメディアで情報を得るようになった。紙媒体としてのウィークリーを手にとる学生が減り、2016年4月、Web媒体へ完全移行した。
Web移行後、紙媒体ではできなかったことが、できるようになった。例えば、ページビューとコンテンツの分析などだ。紙媒体では、どの企画がどれくらい読まれているのか把握できなかった。しかしWebの特性を生かすことによって、読者をよりつかめるようになった。紙媒体の費用をWebコンテンツや取材に当て、学生にとってより有益な実用情報を届けている。
早稲田大学の魅力を発信するために
読まれる記事を提供するために、トレンドを掴んだコンテンツの内容や文字数、記事の読みやすさを模索している。新聞社の整理部では、「読みたい」と思われるような見出しと、記事のレイアウト、読みやすさを工夫する「編集スキル」を身につけた。取材内容をいかに、短い文字数の中に凝縮させ、見出しで惹きつけられるか。現在も、読者が読みたいと思うように、工夫をしている。
取材中、「大学の魅力を伝える仕事は楽しい」と二度繰り返した。早稲田ウィークリーのコンセプトである、学生生活に役に立つ情報発信を継続しつつ、人生の刺激になるコンテンツも発信したいと話す。「何度でも失敗しても良いので、色々なことに挑戦してもらいたい」。早大生向け情報マガジン50年の歴史を引き継ぐ先輩がおくる、学生へのメッセージだ。
この記事は2019年度春学期「ニューズライティング入門」(担当教員:瀬川至朗)の実習授業において作成されました。
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