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放射線リスクの自己判断ができるような環境を整える―—福島民報 編集局次長 早川正也さんに聞く

 福島原発事故が発生してから三年が経つ。放射線リスクに関する報道は未だに重要である。『福島民報』は地元メディアとして、この三年どのようにリスクコミュニケーションを行ってきたのか。実際の報道の難しさ、県民からの反響及び今後の展開について、福島民報の編集局次長兼社会部長の早川正也さんにお話を伺った。

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苦労してきたリスクコミュニケーション

——放射線リスクに関する今までの報道の方法を教えてください。

 震災直後の非常に混乱した状態の中で、色々な問題が起こる度に放射線や放射性物質に関する記事を掲載してきました。放射線に関する知識は、県民も、我々も、ほぼゼロの状態だったと思います。基礎的なことから理解してもらうにはやるべきことはかなり多いわけですが、事故直後の混乱もあり、順序立てて進めるのは難しかったというのが実情です。

 2011年12月から週に一回「放射線・放射性物質Q&A」を始めました。福島県放射線健康リスク管理アドバイザーを務めている長崎大の高村昇教授にお願いし、県民の疑問に答える形で執筆してもらっています。放射線の話は、かなり取っ付きづらい部分があるし、Q&A形式のほうが親しみやすいだろうということで、よくある質問を中心に問いを設定しています。

 また、紙面には毎日、放射線や放射性物質の各種モニタリング結果を載せています。自ら放射線リスクを判断するのに必要な情報であり、公的な機関が公表したものをすべて掲載しています。今、セシウム134の減衰はほぼ終わったので、各地の空間放射線量はほとんど変わりません。それなら、載せなくてもいいじゃないかという指摘もありますが、変わらないことを毎日確認して安心している県民は少なくありません。

 もう一つ力を入れてきたのは、1月から掲載してきた連載「ベクレルの嘆き 放射線との戦い」です。放射線の健康影響について悩んでいるお母さん、県外へ避難した家族などの話から始まり、これまで専門家は何をしていたのか、なぜ放射線をめぐる混乱が起きたのか、今、研究者は何をしようとしているのかといった内容です。もつれた糸を解きほぐすことで、冷静に放射線リスクに向き合ってもらえれば、というのが企画の狙いでした。

——放射線リスクについて報道する際に苦労するところや難しいところを教えてください。

 二つあります。一つは基本的な知識をどのように伝えるかということです。例えば、低線量長期被ばくの健康影響については科学的な知見が定まっていません。通常の発癌リスク、例えば、喫煙であるとか、肥満であるとか、そういうリスクと区別するのが難しい水準のリスクであるということなのですが、まずそこを理解しもらうのに、ものすごく苦労します。もう一つは社会的な側面です。放射線や放射性物質は目に見えず、数字でしか測れません。低線量の場合、科学的に知見が定まっていないこともあり、その数字の評価は人それぞれです。現在の状況を安全と見るか危険と見るか、逃げるのか逃げないか、ここで作られるものを食べるか食べないか、除染はするかしないか…、こうした判断の二極化が起きます。二極化が何を招くのかというと、対立や分断、差別、風評です。下手をすれば地域や友人、家族の絆さえも断ち切られてしまいます。われわれは地元の報道機関として、対立や分断が起きないよう注意を払わなければなりません。

対立・分断に気をつける

——対立を避けるために具体的にどのような点に気をつけていますか。

 事故直後、よく読者から「安全なのか、危険なのかはっきりさせろ」、「マスコミは正しいことを伝えるのは使命だろう」という声がたくさん寄せられました。「農作物は安全基準をクリアしているのだから、地元マスコミは食べようと書くべきだ」というご意見もいただいたし、「子供にそんなものを食べさせるのはおかしい」というご意見もいただきました。ただ、どちらかのサイドに立った記事は書けません。一方の側に立つと、もう一方の側を切り捨ててしまうことになる。例えば、農家のサイドに立てば、小さな子どもを持つ親御さんたちの思いを切り捨てることになる。だからといって、消費者の側に立てば、今度は農家が切り捨てられてしまう。この辺のバランスの取り方はものすごく大変で、それは今も続いています。

——報道に対する反応は。

 県外に避難した人たちから「もっと紙面で取り上げてほしい」と言われることがあります。一方で県外に避難した人たちのことをストレートに取り上げると、県内の読者から反発が出ます。「なぜ、苦しんでいる地元の住民ではなく、外に行った人たちを載せるのか」と。「県内と県外」という対立と分断の構図もあるのです。これは全国紙などが意外と気付きにくい点だと思います。確かに県外避難者は5万人もいて、全国紙などの取材対象となるケースが目立ちます。ただ、福島県内では今も195万人が生活を続けています。われわれは福島県の地方紙ですから、報道の軸足は195万人に置かざるを得ません。だから、足場をきちんと固め、県外避難者まで目配するという形にならざるを得ないわけです。

先ほどの話を含め、どちらか一方のサイドに立つのは危険です。放射線や放射性物質が健康影響以前に人と人の絆を断ち切ってしまうというのが原子力災害の特徴です。そこに置かれた人たちの思いを全部抱えて伝えていくのがわれわれの使命だと思っています。

正しい理解に繋げる報道へ

——放射線リスクを伝える上での地元メディアの役割を教えてください。

放射線リスクをめぐっては、事故後、福島県民は非常に戸惑ったし、混乱しました。低線量被ばくに安全と危険の境はないのだけれど、読者は「しきい値」というか「基準値」を求めたがります。その背景にあるのは、事故直後に、100ミリ、20ミリ、1ミリと様々な数字が飛び交ったためです。国は当初、避難や校庭使用の基準として年間追加被ばく線量を20ミリシーベルトにしましたが、反発を受け、長期目標として1ミリシーベルトを掲げました。こういった数字の変更が、専門家や国、マスコミを含めて、住民の不信を招く結果になったわけです。その混乱は未だに続いています。だから、われわれは一度混乱した状況をリセットして、冷静に状況を認識し、判断出来るような環境を整えていくのが一番の役割だと考えています。それが先ほど申し上げましたが「ベクレルの嘆き 放射線との戦い」の狙いでもあったわけです。

——地元紙には「福島民友」もあります。福島民友との違いは。

問題意識や伝え方はさまざまですが、基本的なところでは県内メディアにそう大きな違いはないと感じます。

——放射線リスクに関する報道の今後の課題を教えてください。

 一番問題になるのは、住民の帰還に向け、汚染された地域の放射線量をどこまで下げるかだと思います。国は長期目標として年間の追加被ばく線量1ミリシーベルトを掲げており、1ミリシーベルトにならないと帰らないという人が大勢います。果たしてそれは現実的なのかというような問題も、僕らはこれから伝えていかなければならないと思います。「ベクレルの嘆き」でも「1ミリの呪縛」をテーマに除染問題を取り上げていますが、これからも報道を続けていく必要があります。多分、年末までに国は帰還しない人への支援策を出してくるので、3年というのは大きな転換点になるのではないでしょうか。

 また、今日、環境大臣が来て、中間貯蔵施設整備の受け入れを地元に要請しています。県内の除染で出る廃棄物を引き受けてくれるところはないのですから、必要な条件整備をして、受け入れざるを得ないと個人的には考えています。そうなった時に、やはり、そこでもリスクコミュニケーションの問題が出てくると思います。世界的に注目されている汚染水問題とその影響についても冷静な判断ができるような報道を続けていきたいですね。

【2013年12月14日取材】 

 

取材を終えて  福島市内は原発の影響が一見しただけではわからない、ごく普通の町並みだ。ただ、時折見かける線量計が原発事故の存在を伝えてくれる。目に見えない低線量被爆のリスクをどのように県民に伝えるかについて、地元メディアは今でも苦悩し続けている。こまめにデータを出しつつ、読者が判断できるような環境を整えると早川さんはおっしゃっていた。その一言の裏に様々な立場の人たちに気を配り、真実を伝えよう、慎重に記事を書いてきた一人のジャーナリストとしての誠実さが見えてきた。(陶玲玲)

 

※この記事は、2013年度J-School秋学期授業「ニューズルームB」(担当教員・瀬川至朗)を中心に作成しました。福島取材班メンバーは大貫璃未、河野綾香、金サンウ、屈靖、陶玲玲、冷澄です。

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