高橋さん 仕事風景

「泣きながら放送しました」   ラジオ石巻 アナウンサー 高橋幸枝さん インタビュー

使命感と家族への思いで葛藤

 石巻のコミュニティFM「ラジオ石巻」のアナウンサー高橋幸枝さんは、震災当日、自分の子供たちの安否を心配ながら、被 災者が求める地震・津波情報や安否情報をスタジオから生放送で伝え続けました。15年のアナウンサー歴を持つ高橋さんに当時のお話をうかがいました。

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地震発生直後からスタジオで伝え続ける

― 震災当時の様子を教えていただけませんか。

インタビューに答える高橋幸枝さん

インタビューに答える高橋幸枝さん

 地震発生当時は録音放送だったので、私は、すぐに生放送に切り替える作業をしました。スタジオに飛び込んだ別のアナウンサーが地震情報を伝え、3分、4分後にはすぐに私とスタジオをチェンジして、そこから放送が止まるまでずっとスタジオの中で震災の状況を伝え続ける役目でした。

<ラジオ石巻は、放送局は津波の被害を免れたが、市内にある送信所との回線が途絶えたため、震災当日の午後720分ごろに放送が止まった。市役所内の臨時スタジオを作り、そこから放送を再開できたのは2日後の313日だった。> 

― スタジオでずっとしゃべり続けられたのですか。

 そうですね。もう余震が繰り返し襲ってくる中、近辺の状況、目に入ってくるものと、あとはネットからの情報とテレビの情報をもらったりして、とにかく得られる情報は全部得て、その都度伝えるといった形でしたね。ラジオ石巻は少し内陸の方にあったため、海の状況が全然分からなくて、「メールができる状態の方は情報を提供してください」と呼びかけました。リスナーの方々のメールで、市内の状況がやっと分かったという部分もありました。

「とにかく落ち着いて伝えようと」

― 当時のご自身の心境や災害状況を伝えていた時の気持ちを教えてください。

 とにかく落ち着いて伝えようというのが頭の中にあったので、冷静には伝えられたんじゃないかなと思います。落ち着いた後、頭の中をよぎったのは、やはり自分の家族でしたね。2人の子供は保育所に預けられていて、自分の母親のメールで大丈夫らしいのは分かったんですけど、やっぱり目で確かめないと不安だったんですよね。そんな気持ちで放送に向かっていたような状況でした。無事だと分かったのは、震災3日目です。地域のために自分は動いたけれども、家族のために何かしたかなって思うと、ちょっとした葛藤もありました。

「家族のために何ができたのか」

― 無事を確認するまでの間、自分の感情をどうやって抑えましたか。

 放送が一時止まった次の日、放送局から実家に歩いて向かいました。すごく水没していて、家に入れる状況じゃなくて、そのまま放送局に帰って来たんです。大泣きですよ。「何で何にも出来なかった」みたいな感じで。近くの避難所に行って、家族の姿を確認できなかった時は相当ショックでした。避難所の中で知り合いを見つけて、ほっとしたのか何だか分からない感情で、人前も気にせず、すごく泣きましたね。避難所の一階も水没でした。実は、うちの小さい子供たちと足の悪い母親は、家の近所にあるアパートの、雨風をしのげるような屋根がついている階段にいて、何とか2晩しのいでいたんですね。逆に、避難所に行けば、すごい人数だったので、寝るスペースはありませんでした。

― 放送中に、自分の感情が溢れて話に詰まったりしたことはありましたか。

地震発生時用の放送原稿

地震発生時用の放送原稿

 皆で泣きながら、放送していました。私は(自宅近くで)腰まで水に入った後に風邪をひいて声が出なくなってしまい、放送は休んで、ラジオ石巻のロビーで一人一人の情報を聞くことに従事しました。ただ、やっぱり生々しい声が多くて、一人一人のお話を聞いて、メモに書いて、それを放送局に持っていって、といった仕事をしていました。でも、中には子供と奥様と、要するに家族を探している人、あと、死亡者リストとかに名前が載っていたりすると……(高橋さんの目から涙がこぼれる) 。ああ、思い出すとしゃべれない……。それを伝えるっていうのは辛かったですね。

 卒業式シーズンでもあったので、卒業式ができない子供たちも大勢いました。それを取材して、子供たちの声を聞いた時は、もう何とも言えない思いでしたね。卒業おめでとう、と同時に黙祷みたいなのもあったんですね。

聞く人が笑顔になれる情報を

― 最大の被災地である石巻のアナウンサーとして、これから何か取り組みたいことはありますか。

 とにかくラジオに携わって、この街でこの地の人たちと一緒に歩いていきたいです。「石巻アーカイブスプロジェクト」という任意団体があるので、月に一回30分の番組を作って、震災の体験談を伝えて、後世の人に残していこうという活動をしています。

― 地元メディアのアナウンサーとして、ジャーナリストを目指す若い人たちに一言お願いします。

  情報を聞いてくださる方々に役立つものを、そして笑顔になれるものを届けてほしいですね。「誰に何を伝えるのか」についてちゃんと明確な目標を持っていれば、ぶれません。そして、有事の際に正確な情報を伝え続けるという使命感は持ち続けてほしいです。

― ありがとうございました。

 【2012年10月26日取材】

 

 インタビューを終えて  私は今年8月、毎日小学生新聞のインターンシップで岩手県山田町と大槌町を訪問しており、石巻は2回目の被災地訪問でした。岩手県と宮城県で、大切な人を失い、地獄のような災難から生還した人の話をお聞きし、経済の復興よりも、人の心を癒やすのはもっと難しいと思いました。今回の取材で、ラジオ石巻の高橋幸枝さんは、涙を流しながら当時の話をしてくださいました。でも、涙を見せながらアナウンサーとして前向きの気持ちで頑張っている姿に、心の強さを感じ、とても感動しました。私も心を強く持って、これからジャーナリストとして日中間の誤解を解くために頑張っていきたいと思いました。一日も早い復興をお祈りいたします。(段文凝)

・ラジオ石巻 FM76.4
http://www.fm764.jp/
 
・ラジオがつないだ命 FM石巻と東日本大震災 (鈴木孝也 著)
http://www.kahoku-ss.co.jp/fmishinomaki.html
 
 
※この記事は、2012年度J-School秋学期授業「ニューズルームB」(担当教員・瀬川至朗)を中心に作成しました。石巻地域メディア取材班のメンバーは、太田啓介、斉ガンユウ、斉藤明美、段文凝、藤井栄人、藤本伸一郎です。

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