「農業で食っていけることを証明したい」と、東京から招いた学生に語りかける川村博さん=2017年5月5日、福島県浪江町、森江勇歩撮影

「日本一の花をつくる」

花卉栽培による復興をめざして

 今年3月31日、福島県浪江町の避難指示が一部を除き解除された。同町の特定非営利法人Jinの代表である川村博さん(62)は、浪江を花の一大産地として復興させようと、3年前から花卉栽培を続けている。原発事故後、野菜の栽培が難しくなり、花の栽培に切り替えた。当初は出荷方法さえわからず、価格も伸び悩んだ。だが、苗の仕入れや取引方法を独自に工夫し、現在では全国で5本の指に入るほどのトルコギキョウを出荷するまでになった。避難指示解除から1か月のこの地で、川村さんは今何を思うのか。ゴールデンウィーク真っただなかの5月5日、復旧したばかりの常磐線に乗って会いに出掛けた。

(トップの写真 : 「農業で食っていけることを証明したい」と語る川村博さん=2017年5月5日、福島県浪江町、森江勇歩撮影)

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 「長かったなぁ、解除を待ち望んだよ。でも、環境は大きく変わってないねぇ」。同町幾世橋の国道6号線沿いに広がるビニールハウスで、お彼岸用の菊を植えながら川村さんはつぶやいた。

福島県浪江町の街並み

避難指示解除から約1カ月が経った市街地

 浪江駅から農園に向かう途中に通った市街地に人の気配はない。歩道には草が生い茂り、家は崩れたままだ。原発事故後、浪江は1つの町が避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域に分けられたことで、住民のコミュニティーも分断され、町民の3分の1は県外に避難した。5月現在、帰還できた住民は元の人口のわずか1%。このような環境の中、なぜここで花を作り続けるのか。

 「浪江を元気にするには、『日本一』というキーワードがあった方がいい」。原発事故後、川村さんが農業を続けるために掲げた目標は、日本一高値が付く花を作ることだった。当時、福島県は人々が口にする食物よりも花卉、中でもトルコギキョウの栽培を推奨していたこともあり、川村さんも栽培を始めた。何もかも手探り。適切な出荷方法もわからず、価格も思うように上がらなかった。だが、取引先から花の切り揃え方から切るタイミングまで細かな指導を受け、価格は少しずつ上がっていった。現在では1本500円の値が付く。

 「ぼくのトルコギキョウの苗は、特別な苗なんだよ」。原発事故後、福島県が行った花卉栽培の研修会を通じて、トルコギキョウ栽培の第一人者と出会った。その人の会社がある長野県に何度も通い、栽培方法を学んだ。その後、講師の会社の花としてトルコギキョウを栽培しないかという申し出を受け、浪江に苗を仕入れて栽培するようになった。

 取引方法も特殊だ。栽培した花は、東京の大田市場にある花卉専門業者が浪江まで直接引き取りにくる。業者は事前に花の様子を見ることなく契約していくという。それだけ川村さんに対する信頼は厚い。「これからは個々の農家が独自で事業を行って取引していかないと食っていけない」。

 これまで常識とされてきた方法にこだわらず、新しい農業を積極的に採り入れる必要があるのだという。近い将来、浪江町全体で1億円を稼ぎ、花卉栽培を産業化することが目標だ。

 もちろん、課題はある。若者が浪江に戻ってこない可能性があるのだ。「農業を始めるにあたっては、補助金もある。今がビッグチャンスだ」。若者にも魅力ある「かっこいい農業」を川村さんは日々模索し続けている。

 「若者なりの柔軟な発想がほしい」。この日も東京から学生を招き、ワークショップが開かれていた。学生からは、元住民が1日限定で浪江に帰る日を設ける案や、有給インターンシップという形で若者に農業を体験してもらう案などが挙がった。川村さんも学生に復興への思いをぶつけた。「他人事として考えるのではなく、地域を元気にしていくために何ができるかをイメージして行動しなければならない」

 避難指示解除から1か月。人々は帰還を始め、少しずつ元の生活に戻っているものだと考えていた。だが、現地を訪れてみるとそれは違った。一定の除染が完了し、避難指示が解除されたところで、すぐに住民が安心して帰還できるわけではない。これが浪江の現状だ。

 だが、希望はある。最近、新たに5人の元住民が花を作りたいと、川村さんのもとを訪れたという。川村さんの思いは少しずつ地域に広がり始めている。

 

 

この記事は2017年春学期「ニューズライティング入門(朝日新聞提携講座)」(柏木 友紀講師)において作成しました

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