市村さん

30年のキャリアより「孫」 料理人やめ学生寮の寮長に転身

 札幌市で料理店を経営していた市村位郎(ただお)さん(56)は5年前、料理人としての約30年のキャリアに終止符を打ち、都内の早大生専用寮の寮長に転じた。理由は「東京に行ってしまった孫に会いたかったから」。中野区鷺宮2丁目の寮「スクエア・サギノミヤ」で朝6時から夜8時まで、時には夜11時ごろまで働きながら、週末は孫の「良い遊び友だち」としてオフのひとときを楽しむ。

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - 30年のキャリアより「孫」 料理人やめ学生寮の寮長に転身
Share on Facebook
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Livedoor Clip

 市村さんは北海道の富良野市出身。高校を卒業後は料理人を志し、大阪の辻調理師専門学校で学んだ。フランス料理などを専攻し、アルバイト先の「かに道楽」では、和食の技術もたたきこまれた。卒業後は東京・青山のフランス料理店や札幌の懐石料理店などで勤務。43歳のとき、札幌・すすきので、居酒屋風の料理店を自ら始めた。店の名物は、鶏の半身揚げと釜飯だった。

 経営者として忙しい毎日を送る市村さんにとって、最大の楽しみは2008年2月、IT企業で働く長男夫妻のもとに誕生した初孫、梨杏(りあ)ちゃんと過ごす時間だった。「長男一家も徒歩圏内に住んでいたので、暇さえあれば孫のところに行っていた」と言う。

 ところが09年6月、長男から「東京転勤が決まった」と打ち明けられた。市村さんは「仕事も手につかなくなるくらい落ち込んだ。夢も希望もないような気持ちになった」と振り返る。

 それから約1年半の間は、スカイプでやり取りするなどして梨杏ちゃんの成長を見守ってきた。だが、10年7月には、2人目の孫である尚央(なお)くんも誕生。「近くで2人の孫を可愛がりたい」という気持ちが抑えきれなくなった。当時はリーマン・ショック後の不景気で、すすきのの賑わいに陰りが見え始めていたこともあり、札幌の店を畳んで東京に移住することを本気で考えるようになった。

 決め手となったのは、妻の美幸さん(57)が、いまの職場であるスクエア・サギノミヤの寮長・寮母募集の広告を見つけたことだった。美幸さんも孫を深く愛しており、仕事が忙しい夫を札幌に残し、2、3カ月に1回のペースで東京まで会いに行くほどだった。2人の思いが一致し、それ以降はトントン拍子で東京移住の話が進んだという。

 常連客からは「孫のために商売を辞めるなんて、聞いたことないよ」とあきれられた。だが、市村さんは「料理人のころはずっと学生アルバイトと一緒に働いていた。若者のことは大好きだったし、そういう仕事も良いと思ったんです」。

 いまは毎週のように、江戸川区東葛西に暮らす長男一家とランチをともにしたり、温泉へ出かけたりして、幸福な時間を過ごしている。ただ、「長男夫婦がいない時の方が孫たちを独り占めできるから、より楽しいんだ」といたずらっぽく笑う。8歳になった梨杏ちゃんと2人っきりになれたときは、買い物などをしてデート気分を味わう。6歳の尚央くんとは、一緒にサッカーや野球をして遊ぶという。

 料理人という職業柄、若いころは深夜まで働くことが多く、長男と長女が幼いころはあまり一緒に遊ぶことができなかった。だからこそ、「いま、孫たちとたっぷり同じ時間を過ごせることにすごく幸せを感じている」と言う。

 もちろん、寮の仕事も手を抜くことはない。朝夕食の準備や清掃、設備のメンテナンスなど、文字どおり朝から晩まで63人いる寮生の生活を支えている。「学生たちの成長を見守るのは楽しい。毎年孫が増えているようなものだよ」と笑う。

 

 

この記事は2016年春学期「ニューズライティング入門(朝日新聞提携講座)」(林 恒樹講師)において作成しました。

 

合わせて読みたい

  1. 若返る直島のおじいちゃん 原動力はアートと郷土愛
  2. 無言の父と靖国神社での再会
  3. 赤バス運転手は元船乗り
  4. 「ものを作るスキルがあれば生きていける」 石巻工房の千葉隆博さん
  5. 地域を盛り上げる伝統野菜 復活した早稲田ミョウガ