2013年10月23日
取材・執筆・撮影:休波 希
45歳、「投手兼営業」。木田優夫選手が抱く想い。
今年、北信越の独立リーグで、45歳の選手がプレーした。木田優夫投手は、巨人などでプレーし、米メジャーリーグのマウンドも知る。その彼が、なぜこの年齢で、独立リーグでプレーを続ける決意をしたのだろうか。彼の思いを追った。 …
2013年10月23日
取材・執筆・撮影:休波 希
今年、北信越の独立リーグで、45歳の選手がプレーした。木田優夫投手は、巨人などでプレーし、米メジャーリーグのマウンドも知る。その彼が、なぜこの年齢で、独立リーグでプレーを続ける決意をしたのだろうか。彼の思いを追った。 …
今年、北信越の独立リーグで、45歳の選手がプレーした。木田優夫投手は、巨人などでプレーし、米メジャーリーグのマウンドも知る。その彼が、なぜこの年齢で、独立リーグでプレーを続ける決意をしたのだろうか。彼の思いを追った。
45歳。サラリーマンでいえば、働き盛り。しかし、スポーツの世界では、ピークをとうに超えた年齢だ。第一線で活躍するのはおろか、この年齢で現役を続けている選手すらも数えるほど。だからこそ、46歳になってもプレーを続けるサッカーの三浦知良選手(横浜FC)や、48歳でもマウンドに立つ山本昌選手(中日ドラゴンズ)などの大ベテランは特異な存在なのであり、「中年の星」として同年代の人々から熱烈な支持を受ける。
北信越地方を中心に展開する野球独立リーグ、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCL)。日本プロ野球(NPB)や米メジャーリーグ(MLB)と比べると知名度が劣るこのリーグで、今年45歳になる投手がマウンドに立ち続けている。石川ミリオンスターズで9回を締めるクローザー、木田優夫選手である。1987年に読売ジャイアンツでプロとしてのキャリアをスタートさせ、MLBの経験もある木田選手。華やかなマウンドに立ち続けた男だが、昨年日本ハムを戦力外となった後、石川へやってきた。
野球選手でいるということが、カッコいい。
野球のトップレベルを知る木田選手が、なぜ石川を新天地に選んだのだろうか。彼は、去年でユニフォームを脱ぐ予感がしていたのだという。「公私にわたってお世話になった栗山(英樹、日本ハムファイターズ監督)さんや吉村(浩、日本ハム統括本部長)さんに『もういいだろう』と言われたら、本当に辞めていた」と木田選手は言う。しかし、彼らから掛けられた言葉は、予想外のものだった。「ウチでは契約しないけど、(現役を)続けろよ」。その言葉を聞いた木田選手は「え?って思いました」。
その後、12球団合同トライアウト[※]を受けることを決め、一縷の望みに賭けることにした。しかし、トライアウト後にどの球団からも声がかからなければ、ユニフォームを脱がなければならない。木田選手は、トライアウトに向けて練習を続けていくうちに、野球選手でなくなってしまうことへの寂しさがこみ上げてきた。「サッカーを見たりしていたときに、選手でいるってことがカッコいいなと思って。じゃあどうにか続けられる道はないかと」。そこで知人を通じて石川の端保聡球団社長を紹介され、顔を合わせることになった。
二人が話を進めていくうちに浮かんできたのが、現在の木田選手の肩書きである「投手兼営業」という奇抜なプランだった。以前から球団運営やサービスといった分野に興味があったという木田選手。「栗山さんから、『数年後の木田優夫が何をしているのかではなく、何をできるのかが大切で、それを考えながら過ごしていってほしい』と話をされ、一緒にそういうことをやらせてもらえたら自分の勉強にもなるので、手伝わせてもらえませんか、と」。これが観客数の伸び悩みやスポンサー獲得に苦しむ球団側の思惑と一致。「投手兼営業」というプランが走り始めた。
[※] 12球団合同トライアウト:毎年シーズンオフに、NPBの球団から自由契約となった選手のうち、現役続行を希望する選手が一堂に会し、各球団のスカウトの前でプレーする機会。1年に2度行われ、その年に戦力外となった選手だけでなく、以前NPBに在籍したことのある選手であれば参加できる。
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