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ある雑食動物の思案 

~食肉と命を追って~

僕らは他の命を食べて生きている。でも僕らが食べるその命が、どのように育てられ、どのように断たれたのか、僕らは知らない。そのぐらい知っておきたいと思った僕は、食肉の現場を歩き始めた。

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一 屠場にて

  立ち並ぶ高層ビル群の中、楕円形のビル(当たり前だけど垂直方向にじゃなく水平方向に楕円形)がひときわ目立つ。僕は楕円形のビル、品川インターシティA棟を見上げながら、その隣、東京都中央卸売市場食肉市場の敷地内にある飲食店「一休」に入る。

  ここで食事をするのは二度目だ。空席を見つけて座り、壁一面に貼られたメニューの中に「牛もつ煮込み三八〇円」と「ライス一九〇円」があるのを確認し、水を持ってきた店員に「煮込みとライス」と告げる。

  「煮込みライスですね」

  ……前回もそうだった。僕はもう一度壁を眺め、「煮込みライス」を探す。店内の反対側に置いてある、日替わりメニューを書いたホワイトボードも確認する。僕のこの動作も前回と同じ。やはり「煮込みライス」というメニューはない。あったら最初からそう注文している。どうでもいいことだとは思うけど、なんかすっきりしない。

  「煮込みライスです」

  ライスと煮込みをのせた金属のお盆を手にした店員が早口で僕に告げ、テーブルにお盆を置く。伝票には、横書きの「にこみ」「ライス」が縦に並んで走り書きしてある。やっぱりすっきりしない。

  気を取り直して、僕は食べ始めた。ウマい。本当にウマい。前回、ソフトボールを二つに割ったくらいの大きさの小鉢に入った煮込みを見て、最初は「少なっ」と思ったのだが、ご飯と一緒に食べ始めると、おかずとして十分な量であることがわかった。味付けがしょっぱいという意味ではない。モツの持つ本来の濃厚な味わいが、ご飯を口に入れたい衝動を際限なくかき立てるのだ。そしてそれは今回も同じ。満足できそうだ。

  僕は危うく一気に食べてしまいそうになった。まずい。いやウマい。だけどまずい。今回はただ昼飯を食べに来たわけじゃない。ある串焼き屋(以前僕がバイトしていた)の主人が言っていた、「牛とか豚をつぶす現場を見ると、肉の味が変わるよ」という言葉の意味を確認したかったのだ。だから湧き上がるガツガツ食べたいという衝動を抑え、一度箸を置き、水を一口飲み、深呼吸してから、もう一度煮込みを食べた。確かに、前回とは何かが違う気がする。

  たぶん、小鉢の中の煮込みは前回と同じ味付けだ。入っているモツはもちろん別の牛のものだから微妙に状態は違うはずだけど、その違いを味の差として認識できるほどに僕の舌は肥えていない。だから変化があったとすれば、口に入れたモツを味覚として認識する僕自身だ。今日の僕の舌は前回より深く、モツの味を探り、感じている気がする。その感覚をうまく形容できない。適当な例えも見つからない。でも僕が「前回とは味が違う」と感じたことだけは確かだ。

  この日、二〇一〇年十一月二十五日の午前中、僕は東京都中央卸売市場食肉市場(芝浦屠場)を見学した。屠畜の現場をこの目で見るというのは、僕の数年来の念願だった。この芝浦屠場にも過去に何度か足を運び、係留されている牛や豚を眺めたり、市場内の「お肉の情報館」も見学した。いつかどうにかして屠畜の現場に入れてもらおうと考えていた。でも今回、屠場内の見学を企画したのは残念ながら僕じゃない。ある若者の働きかけで、何人かで見学させてもらえることになったのだ。彼女の行動力に脱帽するとともに、いままで何かと言い訳しながら何のアクションも起こさなかった自分にがっかりする。しかしせっかくの機会だ。迷わずメンバーに入れてもらった。見学の前の晩は、珍しく興奮したのか、妙に寝付きが悪かった。

  ここ東京都中央卸売市場食肉市場は、JR品川駅の東口(港南口)から徒歩で三分ほどの距離にある。JR品川駅の東側地域はもともと貨物車の車庫とパチンコ屋と食肉市場しかないような地域だったが、一九九〇年代からの再開発で近代的な高層ビルが雨後の筍のように建設された結果、現在の市場は林立する高層ビル群に取り囲まれたような格好になっている。ついでに書いておくと、駅の改札から港南口まで、今はかなり幅の広い立派な通路になって大勢の人が行き来してるけれど、以前は長い地下通路になっていて大雨の時には通れなくなったりしていたらしい。

  市場の敷地内にある建物で敷地外から一番目立つのは、二〇〇一年に完成した食肉市場センタービルだ。九階建てのこのビルには、市場を管理する都の事務所や、市場での卸売業務を一手に引き受ける東京食肉市場株式会社、その他の仲卸業者などの事務所のほか、枝肉を一時保管する巨大な冷蔵庫などが入っている。前述の「お肉の情報館」があるのもこのビルの中だ。

  センタービルの背後には(背後、と書いたけど、どちらが前でどちらが後ろかは確認していない。そう見えただけだ)、豚の屠畜・解体を行う小動物棟、牛の屠畜・解体を行う大動物棟が並び、それぞれ豚、牛の係留所が併設されている。夕方に市場に行くと、翌日の屠畜に向けて送られてきた豚や牛がここに係留されているのを見ることができる。

  市場の敷地内には他に市場棟、水処理センター、有機物リサイクル棟など多くの施設があり、また全国から集まってくる牛や豚を運ぶトラックのために十分な駐車・走行スペースが確保されているので、全体としてはかなり広い。その面積は六万平米を越え、東京ドームより広いらしい。でも僕は東京ドームに行ったことがないので調べてみた。東京ドームのグラウンドの面積は一万三千平米で観客席や通路なども含めた建築面積は四万七千平米ほどだ。「東京ドームの面積」という表現をする場合には後者が使われるそうだ(東京ドームのホームページより)。とはいえ、僕と同じように東京ドームに行ったことがない人にとってはまだピンとこないだろうと思う。とにかく広いということだけわかってほしい。東京ドームがじゃない。市場がだ。

  東京都中央卸売市場食肉市場は、東京都の施設だ。屠畜解体業務も都が直営している。つまり、屠畜解体に関わる職人さんたちは基本的に都の職員だ。採用試験の倍率は三十倍から四十倍にもなるという。相当に狭き門だ。現在、牛で百三十五人、豚で九十人の職人が屠畜解体の仕事をしている。

  ここで屠畜される動物の数は、日によって大きく違う。僕が何度か屠場を訪ねた中では、牛は四百頭前後のことが多かったが、豚は五百頭台のときもあれば千二百頭くらいのこともあった。年末になると肉の需要が激増し、休みの日にも作業が行われたりする。屠場の能力としては、最大で牛が四三〇頭、豚が一四〇〇頭まで処理できるそうだ。

  さて、見学当日の話に戻る。屠場の職員の方に案内され、十人ほどのグループで場内を歩き回って見学した。

  まずは豚。これから屠畜される豚たちが係留されている。豚の姿が見える前から、「キョー」とか「ゴフッ」とか声が聞こえてきて、明らかにすぐ近くに豚の気配を感じる。においはさほど気にならない。隣を見ると、同行したメンバーの一人が不安そうな顔をしている。でも他人から見たら僕もそう見えていたかもしれない。少なくとも平常心ではない。年甲斐もなくドキドキする。

  そして僕たちは、豚たちの頭上の通路を並んで歩く。声だけでなく、豚たちの息づかいまで間近に伝わってくる。見下ろすと、鉄柵で仕切られた区画ごとに数頭から十数頭ぐらいの豚が入れられている。多くの豚はワサワサ動き回ってお互いの体を押し合ったりしているが、中には寝転がっているのもいる。ランドレース、デュロック、中ヨーク、LWDと、いろんな豚の品種(LWDは雑種)が頭にチラついたけど、もちろんどの豚がどの品種かなんて僕にはわからない。ただ、小さいころからの生き物好きの僕としては、やっぱりみんなかわいく見える。これが頭上の通路からではなく豚と同じ目の高さで、しかも直接触れて接していたら、もっとだろうなあ。

  屠畜する場所に向かわせるために、職員が豚たちを追う。手には何か棒のようなものを持ち、言うことを聞かない豚をつついたりしている。つつかれて右往左往し、逆走しようとして鉄柵にぶつかって「ゴッ」とか言っている姿を見ると、やっぱり、一瞬かわいそうになる。

  この「かわいそう」という感覚。それから二つ前の段落で書いた「かわいい」という感覚。いのちについて語る時、屠畜について語る時、食べるということについて語る時、これらの感覚が波風を立てる。時に誤解を招く。時に思考を停止させる。自分に生じるこの感覚を、注視しなければならない。

  僕は豚を追う職員を見る。身の危険を感じた豚に百十キロの体で体当たりされてケガをすることはないのだろうか。少なくとも僕が見た職員は、豚にそんな隙を与えないほど洗練された仕事ぶりに見える。この後で、係留所から牛を屠場に連れていく職員の様子も見ることになるのだが、七百キロの体重で踏ん張る牛(豚よりもっと危険だろう)を一頭ずつ引っ張っていく職員の姿はカッコイイとすら思えた。ここが不思議なところだ。「かわいい」豚や牛を「かわいそう」な目に遭わせる奴は憎らしく思えてもよさそうなものだけれど、そうはならない。職員が追う豚や牛の肉を食べるのが自分だということを知っているからなのだろうか。一緒に見学したメンバーの何人かにも聞いてみたけど、動物に対して「かわいい」「かわいそう」という感覚は持っても、職員に敵意を抱いた人は僕が聞いた限りではいない。

  次に見たのは、後肢に鎖をつけて逆さ吊りにした豚の胸にナイフを入れ、動脈を切断して一気に放血する工程だ。この工程の前に豚は炭酸ガスで仮死状態にされており、死んではいない。つまりこの放血が、生き物としての豚が正式に絶命する瞬間ということになる。でもこの作業を見ている僕に、「いま豚が死んだ」という意識は希薄だ。ついさっき「かわいい」と感じた動物としての豚と、炭酸ガスで眠って逆さに吊るされた豚との間には、僕の意識の中で明らかに断絶がある。でもその理由がわからない。

  動脈を切断された直後の豚が、吊り下がったまま大暴れして、借りた白衣にも血が飛び散る。胸の切り口からは心臓がのぞき、ラスト何拍かを刻んでいる。僕は少しうろたえる。それでも、職員の作業から目が離せない。次々に運ばれてくる逆さ吊りの豚の胸にナイフを刺し込み、正確に動脈を切断する鮮やかな技術。あと何頭かこの作業を見ていたいけど、後ろがつかえている。やむなく僕は、他のメンバーに場所を譲る。

  その後、順序が前後するところはあったものの、豚が肉になるまでのほぼ全工程を見学させてもらった。豚の次に牛も見た。でもここでは豚や牛の屠畜解体の流れを詳述はしない。それをした資料は僕が知っているだけでもいくつかあるし(特に内澤旬子さんの「世界屠畜紀行」が詳しい)、「お肉の情報館」でも展示パネルとDVDで知ることができる。とにかく豚も牛も最終的には、頭とシッポと四肢と皮と内臓を取り外され、背骨の真ん中で真っ二つに割られて枝肉と呼ばれる状態になる(つまり一頭の豚や牛から、右半身と左半身の枝肉ができることになる)。

  「見学する時は、動物ではなく人を見てください。動物を見ると動物に感情移入してしまいます。この職場で働く人間が何をしているかを真剣に観察してください」

  屠場の見学に先立つ研修会で、屠場職員の高城さんは僕らにこう語りかけた。正直、今回の僕はこの言葉を意識しながら見学に臨んでいたとは言い難い。でも、いつの間にか高城さんの言葉どおりになっていた。僕が動物としての豚、牛を見ていたのは、それらが動いている間だけだった。豚や牛が後肢で吊るされた後は、僕の興味の対象は主に職員の仕事ぶりに移り、豚や牛は動物というより作業の対象物として意識していたように思う。そしてここが自分としても意外なところだった。動物としての豚や牛と、逆さに吊るされたそれらとの間には、僕の意識の中で明らかに断絶があったのだ。ちなみにメンバーのうちの一人は、「頭がついてるうちは、どうしても動物として見ちゃう」と言っていた。境界線は人によって違うらしい。

  それから、高城さんは研修会の時にこうも言った。

  「職員の中には、見学を嫌う人もいます」

  それはそうだろう。僕だって、自分の職場に突然見知らぬ集団がやってきて、僕の仕事をじろじろ観察しだしたら気分が悪い。その人たちにあからさまに不愉快な表情や態度を示すこともあるかもしれない(いやきっとそうする)。場合によっては抗議もするだろう。だから今回の見学で、仕事中の職員に睨みつけられるぐらいのことは覚悟していた。

  しかし結果的に(僕が気付かなかっただけかもしれないけど)、そんな場面は一度もなかった。牛の放血の直後、吊るした牛から滴る血液が僕らの方に飛ばないように気を遣ってくれたり、僕らの行列が職員の動線を塞いでいるにも関わらず、そこを通る職員が「すいません」などと恐縮していたり。思っていた以上に、職員たちは僕らの見学を受け入れてくれていたような気がする。

  実は僕らのグループには、樋熊良夫さんという屠場OBの方が案内役としてついていてくれた。僕らが見学している間、職員が樋熊さんを見つけてはニコニコ会釈をしてきたり、それに応えて樋熊さんもニコニコうなずいたりしている場面が何度もあった。きっと現役の時はとっても面倒見のいい先輩だったんだろうな、なんて勝手な想像をして、僕は勝手にほっこりしていた。樋熊さんがついていてくれたことで、見学する僕らが職員たちにある程度すんなり受け入れてもらえたのかなとも思う。もちろんこれも勝手な想像だ。実際には、豚、牛、それぞれの作業について説明しながら僕らを誘導してくれた課長さんたちの細かい配慮があったことは間違いないし、そもそも見学者に不愉快な態度を示すような職員の集団ではなかったのかもしれない。

  樋熊さんには、現役の頃のことや、家畜、食肉に対する考え方など、あらためて聞いてみようと思う。

  見学のあと、屠場職員の栃木さんに話を聞くことができた。僕は自分の経験(これについては後述する)を踏まえ、人は他の生き物を犠牲にしながら生きている、ということについてどう思うか聞いてみた。

  「日常で、米とか野菜食う時に哲学の話とかする? それは他の生き物の命だとかなんとか。そんなことより、言われるのは、ご飯粒残すな、お百姓さんに感謝しろってことでしょ? 肉もそう言えばいいだけなのに、なんで肉だと牛や豚に感謝しろになっちゃうの? 手間暇かけて育てたお百姓さんでいいじゃん」

  僕もそう思う。作物を育てた農家に感謝するなら、家畜を育てた農家にも感謝する。これらは同じ位相の話だ。この位相に、生き物の命という視点を持ち込めば話が混乱する。だからその意味では栃木さんのセリフに賛成する。でもやっぱり、僕にとっては別の位相を考えることも重要なのだ。別の位相とはつまり、食べるために豚の命を奪うこと、食べるためにマグロの命を奪うこと、食べるためにイネの命を奪うことなど(ちなみにここでの「奪う」の主語は、屠畜する人や稲刈りをする人ではなく、生き物を食べなきゃ生きていけない僕ら全員だ)。そしてこの位相には無限の厚みがあり、木材生産のための森林伐採や新薬開発のための動物実験、カやゴキブリなどの害虫退治など、さまざまな目的のために人間が他の生物の命を奪う行為がその厚みの中に含まれる(ここでの「奪う」の主語も、林業家や研究者ではなく、その恩恵を受ける僕ら全員。くどいけど)。僕らは、この厚みの中にあるあらゆる行為のうち、その行為の目的、行為の対象となる生物の種類、行為の身近さの度合いなどに応じて、ある行為については抵抗を感じる一方で、ある行為については正当化したり見ないふりをしたり、場合によっては行為の存在自体に実際に気づかなかったりする。そんな自分自身の勝手さを、問題を整理した上で僕は自分に問いかけてみたいのだ。

  「俺らは、肉を解体する仕事を仕事として楽しんでやってる。でも、飼ってる猫が死んだ時は酒飲んで二、三日泣いてたりするわけ。でもそんなもんじゃない? 猫の命と豚の命は何が違うんだなんて哲学的な議論しないもん。それはそれ、これはこれでしょ。

  この仕事(屠畜解体)も、動物の命じゃなくて人の命を育むためにやってるわけで、対象はあくまでも人間なの。人の生活に必要なんだから必要、と考えるべきではないのかな。動物とか虫を殺すことについて議論しなければいけない理由があるとすれば、人を殺しちゃいけないからだと思う。大事なのは、人の命だと思うから。人が生活をしていくために他の生き物を殺さなきゃいけない。食べるためはもちろんだけど、衛生的な理由で、ネズミとか蚊を駆除するとか。人のために動物を殺すことを否定的に見ちゃいけないと思う。

  そもそも、こういう議論(他の生き物の命を犠牲にすることについて)をするのも日本人だからじゃないかな。モンゴルの人や中国の人は、そんな議論をしないよ」

  うーん、人の生活のために他の生物の命を犠牲にするのは当たり前のことで、わざわざ考えるようなことではない、ということか。栃木さんの話を聞きながら、隣で高城さんもうなずいている。でもこのあたりは、人によって、職種によって、立場によって、考え方は違うような気がする。栃木さんたちがこう考える背景には、「命は大事→生き物の命を奪うのは罪→だから屠殺の仕事は卑しい」という論法で屠畜の仕事が差別されてきた、という意識があるような気がする。差別の問題は「生き物の命を奪うことに痛みを感じる心」ではなくて、「誰もが抱えるべきその痛みを特定の職種の人に押しつけようとする心」「その仕事を卑しいとして蔑む心」にあるはずだと僕は思うのだけど、差別と闘ってきた側からすると、「命は大切」「殺すのはかわいそう」という気持ちがあるから差別が生じる、となってしまうのだろうか。……差別について考えだすと、頭の中がますますごちゃごちゃしてしまう。「食肉」と「いのち」なんて考えようとすれば当然「差別」の問題に触れるのは最初からわかっていたけれど、なるべく今回は深入りしないことにする。

 

  少なくとも現時点で、僕は、他の命を犠牲にするのは当たり前、と割り切るよりは、自分の生活の中のどんな場面でどんな形でどんな命を犠牲にしているのか、を時々意識してみようと思う。でも僕のこの考えは変わるかもしれない。

 

二 僕がこの取材を始めた理由

  僕らは、他の命を食べて生きている。でも、食べられる命は、最初から食べられるためにあるわけじゃない。たぶん。なぜ「たぶん」かというと、そもそもすべての命が何のためにあるのか、という問いに、今の僕は答えられないからだ。それに答えるためには、現時点の僕の知識と思考力はあまりにも不足している。ただ事実として言えるのは、実際には、食べられることを前提として育まれる命があるということ。さらに言えば、僕らは、便利で快適な生活のために、医療の発展のために、食べる以外にもものすごくたくさんの命を犠牲にしている。そのために命を育てることもある。そんなことをするのは人間だけだ。

  僕は以前、東北地方の高等学校で理科教員をしていたことがある。物理も化学も担当したことはあるけど、メインは生物。生きた教材を使って生徒たちと実験もした。例えば、ウニの受精。それから、アカムシ(カの幼虫)の唾液腺(細胞内の染色体が観察しやすい)。細胞分裂を開始したウニの胚(受精卵がウニになるまでの途中の状態をそう呼ぶ)を観察し終えて排水口に流すとき、それからアカムシの頭をつまんで引き抜く(唾液腺を取り出すためにそうする)とき、生徒たちは抵抗を示す。「残酷だ」「かわいそう」「私にはできない」「なんで先生こんなことさせるの」等々。

  生徒たちのこの感覚を、僕は否定する気にはならない。むしろ生きてるものを「殺す」ことに対する心理的抵抗は持っていてほしいと思ったし、僕自身も持っていたいと思う。ただ、どうしても気になったから、聞いてみた。

  「食べるために動物を殺すことをかわいそうだと思うか」

  「薬を作るための動物実験を残酷だと思うか」

  「道路を作るために木を切り倒しそこにいた生物が全滅することに痛みを感じるか」

  生徒たちは答えられない。明らかに困惑している。自分の手でアカムシの命を絶つことに抵抗してみたものの、自分が命を犠牲にしながら生きていることを意識したことがなかったのだ。間違いなく、知ってはいたはずだ。でも考えたことはなかった。だから今、自己の矛盾に気づいてうろたえる。「人のために必要なら仕方ない」なんて答えを出そうとしてみたりするけど、「何が必要で何が必要でないか」「そもそもヒトは特別な生き物なのか」の答えが容易には存在しないことに気づき、またうろたえる。

  エラそうに生徒に問いかける生物教師の僕はどうだ。頭では知っている。生徒と同じだ。頭で知っている知識で、生徒に説教しようとしている。でも生徒たちと比べて、僕はいったい何をわかっているというのだろうか。

  とりあえず食べ物に限って考える。人が食べ物を手に入れる手段は採取、栽培、狩猟、飼育など。それらの対象となる生き物の「生まれ育ち」はもちろん違うが、その「生まれ育ち」はどうあれ、食べられる命は多くの場合、僕らが食べようとする瞬間よりも前の時点で既に断たれている。それを断つのは、釣ってきた魚を自分でさばく場合なんかを除けば、食べる僕じゃない。もちろん、「命」を細胞レベルでみるか個体レベルでみるかで話は変わってくるし、植物の種子や動物の卵はそれ自体が一つの命であることを考えるともっとややこしくなるのだけど、細かいことはとりあえず置いておく。とにかく多くの場合、食べるためであっても、僕らは自分の手で生き物を殺さない。その瞬間を直接見てもいない。殺さなければ食べられないことは知っているけれど、自分が「殺している」という実感はきわめて希薄だ。そこに根本的な問題があるような気がする。

  物を食べる時、それが命であることを意識する。いつもじゃない。時々だ。……いやウソだ。ほんのたまにだ。たまにだけど、考える。この命はどこで生まれ育ち、どこで絶えたのか。なんとなくはわかるけど、でもちゃんと知ってはいない。だから僕は思った。自分が食べるものが自分の手元に来るまでの道のりを、この目で確かめたいと。特に、生きている時の外見と僕らが食べる瞬間の状態が最もかけ離れている、食肉(もちろん内臓なんかも)について。

  いま一つ、問題意識ははっきりしない。ただ、知りたいだけ。知っておくべきだと思うだけだ。

三 八千代台の喫茶店

  「お酒弱いの。しゃくにさわるほどね、弱いんですよ」

  「甘いもの食べるんですね」と意外さを隠さずに訊ねた僕に、樋熊さんはうなずきながらそう答えた。僕の質問に直接答えてはいないけれど、つまり「私は甘党だ」ということだろう。樋熊さんが注文したのは、「ロールケーキとレモンティーのセット」だ。

  僕の目の前には、「本日のコーヒー」。それが「グァテマラ」であることは、注文前にウェイトレスに聞いて知っていた。でも残念ながら僕は、「グァテマラ」がどんなコーヒーかを知らない。知らないけど、「じゃあそれで」と言って注文してしまった。こういうことってよくある。

 

  二〇一〇年十二月五日、日曜日。樋熊良夫さんと僕は、京王本線八千代台駅に隣接するデパートの一階にある喫茶店でテーブルをはさんで向かい合う。僕が樋熊さんに会うのはこれが二度目だ。芝浦屠場に見学に行った時に僕らのグループを案内してくれたのが樋熊さんで、その時に声をかけ、後日のインタビューをお願いしてあったのだ。

  「十代の頃から二十五歳までは民間の金属プレスの会社にいたんですよ。いずれ独立しようと思ってたんだけど、一人じゃ大変だからと頼みにしていた私の後輩が、この仕事は嫌だってやめちゃった。それで私もあきらめちゃったんです。その時に親父がね、東京都でこういう(屠畜の)仕事があるからっていうから面接を受けて、この世界に入ったの」

  樋熊さんは、穏やかな表情と口調で話し始めた。

  樋熊さんは東京墨田区、向島の下町で育った。現在の印象からは想像がつかないけれど、若いころは「暴れん坊で、ケンカっぱやかった」そうだ。父親が食肉の問屋で番頭をしていた関係で屠場の職を紹介され、一九六〇年、二十五歳で屠場の職員になった。牛の屠畜・解体の作業員として採用され、最終的には牛部門の統括技能長まで勤めて一九九五年に定年を迎えた。定年後の五年間は嘱託として解体作業を続け、六十五歳からは市場内にある検査室に九年間勤め、七十五歳の現在は月に何度か、依頼のあった時だけ屠場見学者の案内などをしている。屠場に勤め始めてから今まで実に五十年になるが、樋熊さんはこの仕事にどう向き合ってきたのだろうか。

  「やめたいと思ったことはないですよ、仕事大好きだから。私なんか足腰も強い方だし、体力もある。学生時代は短距離も速かったしね。だからなんとも苦になんなかった」

  僕は納得する。この日の待ち合わせ場所は京王線八千代台駅東口だった。駅の階段を降りきって外に出たあたりで僕らは落ち合った。樋熊さんは最初は駅の中の喫茶店に向かうつもりだったらしく、迷わず階段を登りはじめた。見上げると、この階段けっこう長い。左側には当然のようにエスカレーターが設置されている。普段の僕なら確実にエスカレーターを使っている。樋熊さんはずんずん登る。くどいようだけど、この日の時点で樋熊良夫さんは七十五歳。対する僕は三十三歳。さすがに僕だけ機械に頼るわけにはいかない。必死について行った。この年齢でこの健脚なのだから、もともと体力にはかなり自信があるのだろう。

  でも、いくら仕事が好きで、体力的にもまったく問題なくても、日本の屠場労働の歴史には必ず差別の問題が顔を出す。樋熊さん自身は屠場に勤めていることで何らかの差別を感じたことはないのだろうか。

  「うん、差別ね。確かにね、実際ありますよ。私、二十九の時にウチで見合いしたことがあるんですよ。親には三十まで自由にさせてくれって言ってたんだけど、昔は二十九にもなって独身だったりすると、近所の人が連れてきちゃって。時計のセイコー社の人だったんだけど、二、三回会って、私があそこに勤めてるっていうのがわかっちゃって、それで終わり。そういう考えならしょうがないよね」

  樋熊さんは特に怒るでもなく残念がるでもなく、またそういった感情を隠して強がるふうでもなく、相変わらずの穏やかな表情と口調のままでそう言った。職業が理由で縁談がダメになったのなら、それってけっこう衝撃的なことだし、そんなことがあるくらいなら他にも差別を感じる場面は多々あったのだろう。樋熊さんは、そんな不条理に対する怒りや苦悩をどう抱え、どう消化してきたのだろうか。少なくとも今の樋熊さんの表情にその痕跡は些かも感じられない。

  ともあれ次の年、知人の紹介で今のお連れ合いと出会い、結婚した。お相手はなんとお寺の娘さんだった。「変なものだよね」と樋熊さんは笑う。

  ところで、樋熊さんのロールケーキが運ばれてきてから既に二十分以上が経過した。ロールケーキはまだ無傷で皿の上。僕は気になって仕方がない。僕に遠慮して手を付けないのだろうか。インタビューが、食べるタイミングを奪ってしまっているのだろうか。まったく余計なお世話だけど、スポンジがカパカパになってしまわないだろうか。何より、そこにあると僕も食べたくなってしまう。はやく食べればいいのにな、と思いながら僕は本題に入る。

  「人が生きていく上では様々なかたちで他の生き物の命を犠牲にせざるを得ません。その、人が生きるために他の命を奪う、殺すっていうことについて、樋熊さんはどう考えますか。現役の屠場の職員何人かに話を聞いたら、人のために他の生物を犠牲にすることは当たり前のことで、それについて考える必要は別にない、みたいな感じだったんですけど」

  「うーん、獣魂祭って、昔は盛大にやったんですよね。舞台を作って踊りを踊ったり、供養しながら盛大にお祭りをやっていた。今はやることはやるけど、事務的なもので」

  「食べる動物の獣魂祭をするっていうこと自体がおかしい、という考え方もあります。食べるために殺しておいて、供養するなんて人間の勝手だ、というか。それはそれで僕も理屈としてはわかります。同意はしませんが。樋熊さんは、獣魂祭に意味があると思いますか」

  「動物に対して感謝して、供養するっていうのは、悪い事じゃないよね」

  どうやら、屠畜解体を仕事とする人の中にもいろいろな生命観、家畜観があるみたいだ。もちろんそうだろうと思っていたけれど、それが確認できたのはよかった。樋熊さんは自分の仕事を通じて、どう「いのち」と向き合ってきたのだろう。僕は質問を続ける。

  「最初に屠場に入って、初めて、生きてる動物を殺す、という経験をしますよね」

  「私自身はね、係として、放血とかはやらなかったの。ずっと背割りだったから。だから初めて体験したのが、六,七年たったころかな。緊急っていって、牛が具合悪い時、(次の日に屠畜する予定だった牛を)夕方につぶすんです。それをやったのが初めて」

  作業員になって最初に背割り(牛の体を背骨に沿って真っ二つに切り分ける作業)の専門っていうのはかなり珍しいそうなのだけど、とにかく樋熊さんの場合は、背割りやら他の仕事を何年も経験してゆっくり慣れていったので、勤め始めていきなり家畜を殺すことを経験する、という感じではなかったようだ。僕は続けて聞いた。

  「差別と闘ってきた人たちからすると、殺すことを「かわいそう」、って思う気持ちが差別につながる、という言い分もあるわけです。ただ僕としては、「かわいい」とか「かわいそう」とか思う気持ち自体は自然な感情のような気がするんです。自分は命を食べて生きていながら、牛や豚を殺す仕事を卑しいと思うこと、差別の問題はそこにあると思ってるんですが……」

  「私もそう思います」

  樋熊さんはハッキリ肯定してくれたけど、これは僕の質問が悪い。どの点について肯定してくれたのかわからない。一番明確に聞きたいことをもう一度聞いてみた。

  「生き物を殺すことをかわいそうとか残酷とか思う気持ちそれ自体は、自然なものだと樋熊さんは思いますか」

  「うーん、やたらにそういうことをするのは避けた方がいい、という考えだよね。虫でも、私はやたらに殺さない。かわいそうだっていうのはある。それは一人ひとりの性格で」

  質問がシンプルになったら、逆に回答がぼやけてしまった。僕は質問を重ねた。

  「係留所につながれている牛とか、鳴いている豚を見て、かわいいっていう気持ちはありますか」

  「うーん、そうね、目とか見ると、やっぱりね……」

  やはり歯切れが悪い。おそらく樋熊さん自身に、「かわいい」とか「かわいそう」という感覚が生じることがあるのは間違いない。ただ、その感覚を肯定していいのかどうかという点についてはほんの少し迷いがあるような印象を受けた。

  ひと呼吸ついたところで、樋熊さんはついにロールケーキに手を付けた。でも一口だ。依然としてロールケーキは僕らの目の前にある。ロールケーキの原材料になっていると思われる生き物をいくつかイメージしながら、僕は少しポイントを変えて質問を続ける。

  「肉や魚を食べる時、他の命を犠牲にしながら食べて生きてるな、なんて思うことはありますか」

  「うーん、ほんとはそういうふうに思わなくちゃいけないんだけど、感謝して食べますなんて、あんまり言う方じゃない。だから女房によく怒られるんだけどね」

  他の命を犠牲にして生きてるということを意識することと、他の命に感謝することは、ちょっと違う気がする。もちろん全然別のことではない、重なってるんだけど。

  話はもう少しだけ続き、喫茶店でのインタビューは約一時間半に及んだ。樋熊さんがロールケーキを食べきったのはインタビュー開始後一時間以上たった後だった。気づけばもうお昼に近い。僕はおなかがすいてきた。樋熊さんの自宅がこの近くだというので、僕は自宅の前まで一緒に歩き、そこでお礼を言って別れた。駅に向かう途中で昼飯を食べるつもりだったけど、結局どこにも入る気になれないまま駅に着き、電車の時間がちょうどよかったので空腹のまま電車に乗り、帰途についた。

四 養豚場にて

  二〇一一年一月十一日の昼、僕は仕方なく、チーズバーガーセットを注文した。数日前から不調が続く胃腸に負担になるのは承知の上だ。だからせめて飲み物はホットティーにする。

  本当は、チーズバーガーじゃなくてマックポークを食べるつもりだった。そんなに深い考えがあってのことじゃない。ただ今日の昼は豚肉を食べるべきだとなんとなく思っただけだ。ただそれだけの理由で、「ザ・モールみずほ」(東京都西多摩郡瑞穂町)の広い店内(客がほとんどいないから余計に広く感じる)をずいぶんウロウロした。そしてようやくたどり着いた3階のいちばん奥、まさに片隅と呼ぶにふさわしい場所に見つけたマクドナルドで、マックポーク(それ)は販売中止になっていた。理由はわからない。とにかくここで豚肉は食べられない。でも、これからまた豚肉を求めて歩き回る気にはなれない。それに、僕はもうレジの前で店員とのやり取りを開始してしまっている。気の弱い消費者の僕にとって、この状態から「じゃいいです」と言って立ち去る行為はなかなかハードルが高い。もともと、今の僕にとって豚肉を食べたい衝動がそんなに強いわけじゃない。だから仕方なく、チーズバーガーセットになったというわけだ。

  それにしても、いつも思う。マクドナルドのメニューはどうしてこうも見づらいのだろうか。セットメニュー優先で書いてあるから、単品での注文がものすごく不便だ。メニューの中から選ぶというよりも、自分の中で候補になっている商品をメニュー全体から一品ずつ見つけ出していく格好になる。とてもストレスのたまる作業だ。しかも店の入り口の脇に大きめのメニュー表があったりもしないので(すべての店舗でそうかはわからないけど)、「ご注文お決まりですか」と聞かれてからメニューを眺めることになる。メニュー表をはさんで店員と向き合った状態が続く緊張感に客は(僕は)耐えきれず、「面倒だからセットでいいや」となる。店としてはセットで売るのがラクで利益も出やすいんだろうから、むしろそれが狙いなのだろう。でもそれ以外の買い方をあからさまに拒否する傲慢さに、僕はどうしても腹が立つのだ。

  そんなに嫌なら食うなよ、と自分でも思う。それでもやっぱり時々ジャンクフードが食べたくなって、他より安いからといって結局マクドナルドに入ってしまう自分にまた腹が立つ。ただこの日は、閑古鳥の鳴く巨大ショッピングセンターの隅っこで今にもつぶれそうになっている(ようにみえる)マクドナルドの姿を見て、僕は少しだけ爽快だった。あろうことかそこで十二時きっかりに食事をしている自分の倒錯した姿に少し可笑しくもなった。

  食事を終えた僕は、「ザ・モールみずほ」の正面入り口に向かう。そこから電話を入れれば、今日の取材先である「いるまの里ポーク」の生産者、田中養豚のご主人の田中良平さんが車で迎えに来てくれることになっている。数日前に電話でいきなり見学・取材を申し込んだとき、大学院生を名乗る正体不明の人物からの突然の依頼を田中さんは快諾してくれた。しかも現地までの行き方を訪ねた僕に、「『ザ・モールみずほ』まで迎えに行きますよ」と言ってくれたのだった。仕事を中断して見学させてくれるだけでも申し訳ないのに送迎までしてくれるなんて、と僕はすっかり恐縮したものの、せっかくのご厚意にはあっさり甘えることにした。

  田中さんの運転するシルバーの軽ワゴンはすぐに東京都と埼玉県の県境を越え、入間市に入った。と書いたけど、もちろん周りは初めて見る風景だ。ところどころに茶畑がある。本当のところ、どこまでが東京でどこからが埼玉かなんて、田中さんの説明がなければ僕にはわからない。

  「このあたりは昔は豚や牛を飼っている家が多かったんですよ。でも今は普通の住宅ばかりになったから、養豚場の臭いにはずいぶん気を遣ってます」

  そんな話を聞いているうちに、車は田中さんの自宅に到着した。「ザ・モールみずほ」から五分くらいだったように思う。

  田中さんのご自宅で一時間程度いろいろお話を聞かせてもらった後、いよいよ養豚場の中を見せてもらう。住居の裏手に、豚舎が立ち並ぶ。田中さんのお父さんの代にはここを鶏舎として産卵鶏を飼育していたが、国内の卵の消費が頭打ちになり、肉の消費が増えつつあることを感じ、一九六〇年代後半から養豚を開始したという。現在は鶏はいない。

  田中さんが一番手前の豚舎に僕を案内すると、鎖に繋がれた犬が静かに近づいてきた。番犬? 番犬なら、初見の僕に吠えなくていいのだろうか。田中さんが一緒だからだろうか。普段の僕ならすぐにしゃがんでこの犬とコミュニケーションをとろうとしただろう。でも今日ばかりは、犬より豚だ。

  田中さんが豚舎の窓を開けてくれた。中を覗くと、すぐ近くにでっぷりした大きな豚が横たわっている。膨れた腹に突き出したいくつかの乳房と乳首から、母豚であることはすぐにわかる。見学前に田中さんに教わった知識に基づいて判断すると、この母豚はランドレース種と大ヨークシャー種の雑種、いわゆるLWだ。このLWにデュロック種のオスをかけ合わせてできるLWDを、ここでは「いるまの里ポーク」として商標登録している。

  「妊娠中ですか」

  「いやいや、あの子豚たちの母豚ですよ。おっぱい飲ませるの。」

  よく見ると、横たわる母豚の背中側にちょうど大人の豚が一頭入るくらいの木の箱があり、箱の下のほうに開けられた二十五センチ四方くらいの小窓から二匹の子豚が顔を出している。あれがきっとLWDだ。箱の中にはさらに何匹かの子豚がいることが雰囲気でわかる。

  「あの箱は子豚たちの暖房用ですよね。母豚は寒くないんですか」

  「ここは全部床暖房になってるんです」

  床暖房。うらやましい。一九六五年築の僕のアパートでは、室内温度が設定温度に達してストーブが一時的に運転を停止することはまずない。そして灯油ストーブを止めると部屋の中はすぐに外と同じ温度になる。……ちょっとオーバーかな。とにかく寒い。

  僕は豚舎の中を見渡す。田中さんのところでは月に二十五腹の出産があり、産まれてから離乳まで約二十日とのことなので、ここに授乳中の母豚が二十頭弱いることになる。豚は一回の出産で十匹ほどの子を産むので(豚の種類にもよる)、この豚舎の中だけで子豚は二百匹近くいるはずだ。でも、豚たちの息づかいは感じられるものの、予想していたよりはずっと静かだ。動き回る物音はほとんどしないし、鳴き声も聞こえない。家畜の臭いはもちろん少し感じるけど、そんなに強烈というほどでもない。田中さんのいう「気を遣っている」結果なのだろう。豚舎の中は暗くて全体は見えない。母豚のスペースと子豚用の箱が交互に配置されている感じだ。少し遠いところで上体を起こした母豚が舌なめずりをしながらこっちを見ている。でも僕を見て舌なめずりしてるわけではなさそうだ。ただなんとなくこっちを見てるだけで、興味を抱いている風でも気にしている風でもない。乳飲み子を抱える母豚は神経質になってるのかな、などと僕は勝手に想像していたけれど、僕が窓から覗きこんでキョロキョロしてもカメラのシャッターを切りまくっても、母豚たちが意に介する様子はない。

  ところで、今回の一連の取材のテーマは、「食肉」と「いのち」だ。豚が生まれ育って肉になるまでの様々な過程を見学し、それらの仕事に従事する人たちの話を聞くことで、僕の中にどんな感覚が生じるか、がひとつのカギになる。

 

  母豚は、ただひたすら子を孕んで産み、授乳し、少し期間をおいてまた次の妊娠をする、という役割だけを与えられる。そう考えると、豚にそれをさせる人間(養豚業者ではなく、僕も含めたすべての人)は身勝手な存在だ、などと言いたくもなる。実際にそんな境遇にある母豚をこの目で見たら、そういった考えが増幅し、自らの罪深さにいたたまれなくなるんじゃないだろうか。見学前は、そんな予想もしていた。でも今、横たわる母豚を見る自分は予想していた心理状態と全然違う。自分たちの都合で他の命をコントロールしようとしたり、生き物の命を奪うことにある時は抵抗してある時は無関心だったりする、人間の矛盾や罪深さ……そんな理屈はどこかに置いてきてしまったかのように、今は目の前に横たわる母豚がただ愛おしい。もっと近くに行ってなでなでしたい。僕が自分のそんな心理状態にようやく気付いたのは、田中さんが豚舎の窓を閉めた後だった。

  自分の心の動きを分析しようという冷静さを取り戻したのもつかの間、田中さんの案内で次の豚舎に入った瞬間、僕はまた、ただの動物好きになる。そこにいたのは、タタミ半畳分くらいの正方形の囲いの中に十匹くらいずつ入れられた、三十センチぐらいの子豚たち。その囲いが奥の方まで続いている。子豚たちは明らかに、初めて見る僕におびえている。囲いの中で、僕から遠い方の柵にピタッと寄り添って静止し、みんなで僕を見る。その姿を見た僕は溶けそうになる。写真に撮ろうとするけど、僕がちょっとでも動くと子豚たちは囲いの中でワシャワシャ慌てふためくから、うまくいかない。ちょっと変形の「だるまさんがころんだ」みたいな感じだ。あとから考えれば、ファインダーを覗いたまま僕が静止していれば、撮りたい画はたぶん撮れたはずだ。でもこの時の僕は明らかに冷静さを欠いていた。だって、本当に、かわいいのだ。豚は他の豚のしっぽを噛んでしまう癖があるのでしっぽを短く切ってしまう(断尾という)養豚家が多いのだが、田中さんのところではそれをやっていないので、子豚たちにはいかにもブタという感じのしっぽがぴゅるりんとついている。それもまた僕をくすぐる。

  「かわいいですよー。癒される部分がありますよね、仕事してて。親でも子豚でも目はきれいですし、親が横になってておっぱいなんか飲んで、子豚がそのまま寝ちゃってるとこなんかみるとね、やっぱそりゃもう、ねえ。この仕事やっててよかったな、っていつも思います」

 

  ニコニコしながら、田中さんは確かに豚を「かわいい」と言った。豚たちを見る田中さんの眼差しと、手入れの行き届いた豚舎と、田中さんに寄ってきて愛嬌をふりまく豚たちの姿からも、田中さんがいかに愛情を持って豚たちを育てているかが伝わってくる。さらに、近いうちに別の場所に豚舎を新築して、豚にとってもっと快適な環境を整える計画になっているそうだ。こんなにも豚たちを愛して育てている田中さんにとって、豚を屠場に送り出す時の気持ちってどんななんだろう。

  「今朝も出荷したし、毎週二、三十頭ずつ出荷するんですけど、それはあくまで経済行為で、やらなきゃしょうがない。その辺は、シビアというか、都合よく考えてるというか。ははは」

  出荷のたびに豚に感情移入して別れを惜しんだりしていたら、きっと仕事にならない。送り出す人間の心ももたないだろう。養豚を仕事としている以上は、豚を商品として次々に出荷するのは当然のことだし、田中さんのいう通り、経済行為だ。その行為によって、自分自身の生活が担保される。それでも、こういう話をする時、田中さんは少し自嘲気味に笑う。大事に大事に、かわいがって育てた豚たちを、淡々と、流れ作業で出荷する、そのギャップに対する居心地の悪さみたいなものが田中さんの中にあるのだろうか。

  「畜魂祭」について聞いた時も、田中さんは少し笑った。

  「毎年かならずやりますよ、仲間と。豚を飼うことを生業にしてて、その、罪をあらためるために。ははは」

  「罪」という言葉に僕は少しうろたえた。自分の仕事を経済行為として割り切ろうとする一方で、心のどこかで「罪」の意識を持っている。出荷や畜魂について語りながら僕をまっすぐ見て「ははは」と笑う田中さんの目に、一瞬、普段はどこかにしまってある深い煩悶がにじみ出たように見えた。

  「育てた豚を、自分の手では殺せないです。病気になった豚を解剖のために研究所に連れて行ったときも、自分で育てた豚が目の前で殺されるっていうのはね……。なんとも言えない、胸に迫るものがありますよ。肉になるときだって、育てた豚が目の前で殺されるのと、自分の見えないところで、八王子の屠場でつぶされるのとは、また違います」

  書き忘れていたけれど、このあたりでは品川や大宮のような公設屠場に出荷するのではなく、生産者から豚を引き受けた卸業者(博労とよばれる)が八王子や和光にある私設屠場に豚を運びこんで屠畜解体だけを屠場に委託し、できた枝肉を受け取って小売店に売るという形をとっているらしい。だから「いるまの里ポーク」は、公設屠場で通常行われているようなセリは経ずに流通することになる。

  「育てた豚を自分では殺せない」という田中さんの言葉が、少し僕には引っ掛かった。意外でもあった。殺して食べることを目的として豚を育てていながら、自分では殺せないって、どこか矛盾している。身勝手にも見える。自分が生活するために他の生き物を殺していることから目を逸らしてみたり「かわいそう」と言ってみたりする僕らの身勝手さに少し似ている。決して同じではない。似ているだけだ。

  でも僕は同時に思う。「殺して食べる」という「目的」はあくまで理屈だ。自分が育てた豚を殺せないのは育てた人の感情だ。感情は理屈だけで規定されるわけじゃない。ある程度は矛盾して当たり前だ。そして田中さんはその矛盾や身勝手さを認識しているからこそ、「殺せない」という素直な感情を僕に吐露し、「ははは」と自嘲気味に笑うのだろう。だとすれば、その矛盾を認識している分だけ、田中さんが少なくとも僕らより身勝手じゃないのは間違いない。

  ちなみに、日本の屠畜場法は原則として屠場以外での屠殺を禁じている。でも病気の場合などの例外規定はあるし、養豚を営んでいればその例外にあたる状況に直面することもあるはずだ。だから田中さんが豚を殺せない理由は法律じゃない。むしろ養豚業者の責任として、殺すべき場面だって本当はきっとあるはずだ。

  自分で愛情をかけて育てた豚だから、自分では殺せない。殺されるのを見るといたたまれない。それは肉にならなくて残念だからじゃない。「なんとも言えない、胸に迫るもの」があるからだ。田中さんは豚に対して「申し訳ない」とも「かわいそう」とも言った。仕事の対象としての豚だけど、仕事だけじゃないのだ。そこには感情が介在する。肉を生産する流れの一過程として割り切って仕事をしているようで、やっぱり完全には割り切れない。その割り切れなさや矛盾をどこかに抱えながら、それでも田中さんは、日々、目いっぱいの愛情を注いで豚を育てる。

  養豚だけじゃない。世の中、マルかバツか、クロかシロか、善か悪か、きれいに割り切れることばかりじゃない。その割り切れなさを常に抱え、逡巡し、煩悶しながら、僕らは生きている。

  「ザ・モールみずほ」まで送ってもらって、田中さんにお礼を言い、帰途につく。駅に向かうバスの中で、女子高生の三人組が、窓の外に見えたラブホテルの外観について語り合っている。内装の話じゃなくてなぜかちょっと安心している自分が少し不思議だ。帰宅途中の記憶の中で一番鮮明なのがその瞬間だというのもワケがわからない。

 

  自宅のある阿佐ヶ谷に着き、今度こそはと豚肉を食べられる店を探す。たまに利用する「富士ランチ」が閉まっていたためさらに少し歩き回り、たまたま見つけた定食屋に入り、生姜焼きを注文する。養豚場で愛嬌を振りまく子豚たちに目を細めた数時間後、僕がどんな気持ちで豚肉を口にするのか、自分の心の動きを観察するのが目的だ。でも正直に言うと、ほんとは今はあまりそんなことを考えずに食事をしたい。ちょっと疲れているのかもしれない。結果、豚肉を食べる僕はいつも以上にいつも通りだった。もちろん肉を食べる瞬間、それが豚の命であることは意識していたし、さっき見たばかりの豚の姿も思い出した。でもそれだけだった。味もよく覚えていない。むしろこの時の僕の心を占めていたのは、初めての店で食事をする落ち着かなさと微かな高揚、それからこの食事が不調の胃腸に及ぼす影響に対する不安の方だった。

=next=

五 ふたたび屠場

  二〇一一年一月十九日の朝。いい天気だ。真冬のわりには、気温も高めのような気がする。楕円形のインターシティビルA棟のガラスに反射した太陽の光が、市場のセンタービルにゆがんだ模様を映している。

 

  僕はまた品川にきている。市場に出入りしている業者に会うためだ。市場の正門を抜け、約束の時間ちょうどに「一休」の前から電話をかけると、間もなくして、がっちりした体格の親切そうな男性が目の前に現れた。今日の約束の相手、「石橋ミート」の柴﨑秀敏さんだ。「石橋ミート」は市場内に作業スペースを持つ仲卸業者のひとつで、競り落とした豚の枝肉を市場内でロース、バラなどのパーツに切り分け、小売店に卸している。柴﨑さんは社長の息子で、専務取締役となっているが、実際には経理のほか、セリ、カット作業、営業、配達など必要に応じてどの仕事でもやるという。今日の僕のような外部からの取材者などに対応するのも柴﨑さんの役割なのだろう。

  「一休」の前で名刺を交換した後、柴﨑さんは早速、建物の中に案内してくれた。「一休」のちょうど向かい側、市場の見取図では「市場棟(増築部分)」となっている建物だ。中に入ると更衣室のようになっており、柴﨑さんが貸してくれた白衣と長靴とキャップを着用する。

  柴﨑さんに促され、もう一つ扉をくぐると、天井が高く薄暗い空間に出た。冬用の上着の上から厚手の白衣を羽織っていても、少し寒く感じる。真冬の外の寒さとはまた違う空気感だ。部屋全体が冷蔵庫のようになっているのかもしれない。奥のほうに明るい部屋があり、そこで六人ほどの男の人がたくさんの肉の塊を相手に作業をしていた。

  競り落とした豚の枝肉はまず、カタ、ムネ、モモの三つの部分に分けられる(今回はその分ける工程は見ることができなかった)。そしてそれぞれの部分から骨を取り外したり余分な脂を切り取ったりしながらさらにパーツに分けていく。今回僕が近くで見ることができたのは、ムネの部分から背骨と肋骨をはずし、脂を切り取り(もちろんこの脂も商品だ)、バラの塊とロースの塊に切り分ける作業だ。

  枝肉の状態でセリにかけられるために一度中断するけれど、本質的には、屠場に運び込まれた豚が肉になるまでの連続したプロセスの一工程だ。いま僕は、二ヶ月前に見学した屠畜・解体作業の続きを見ていることになる。ところで二ヶ月前の見学の時のことについて、僕はすでにこう書いた。

  僕が動物としての豚、牛を見ていたのは、それらが動いている間だけだった。豚や牛が後肢で吊るされた後は、僕の興味の対象は主に職員の仕事ぶりに移り、豚や牛は動物というより作業の対象物として意識していたように思う。そしてここが自分としても意外なところだった。動物としての豚や牛と、逆さに吊るされたそれらとの間には、僕の意識の中で明らかに断絶があったのだ。

  係留されている生きた豚を見た直後でさえそう感じたわけだから、解体の延長としていま目の前で切り分けられていく肉に「動物」を感じないのは当然といえば当然だ。しかし一方で、つい先日、養豚場で暮らす子豚たちに接してきた経験が僕の感覚に影響を及ぼす可能性は十分にあったし、自分の感覚に何らかの変化が生じていることを多少期待もしていた。でも結果として、それはほとんどなかった。肉をカットするこの作業を見つめながら子豚のことを少し思い出しはしたけれど、でもやっぱり僕は、肉と、それをテンポ良く切り分ける作業員、として目の前の光景を見ている。自分が溶けそうなほど「かわいい」と感じた子豚と、いま目の前で切り分けられていく肉との間には、相変わらずの断絶がある。

  作業を見せてもらったあと、柴﨑さんに話を聞く。ただし午前中のこの時間、柴﨑さんは明らかに仕事を中断して僕の相手をしてくれている。僕を案内してくれている間も、ちょくちょくどこかから電話が来たり、従業員に仕事の指示をしたりしていた。そう長時間のインタビューはお願いできない。時間を気にしながら、肉と豚に対する想いを聞いてみた。

  「生きてる豚に触れる機会はあるんですか」

  「僕らの仕事にとって生産者とつながることは大事なことなんです。だから何度か養豚場は見に行ってますよ。養豚は、休みないですよね。三六五日、大事に育ててる。それを見てるから、少しでも肉が高く売れるように、僕らも大事に仕事をするわけです」

  柴﨑さんは終始穏やかに、しかししっかりと僕の目を見て語り続けた。

  「豚、かわいいですよね。柵の中で、慣れてる人だと近寄ってくるけど、僕なんか行くと逃げようとしたり」

  「かわいい」と思うポイントが僕と全く同じで親近感がわく。

  「仕事してる時に豚の姿がよぎることもありますよ。生き物を扱ってるんだなと。そうすると、また大事に仕事をするわけです」

  「碑とか畜魂祭も大事だと思います。命を扱ってるっていうことをあらためて思いだす。食べる時も、肉じゃなくても、米でも野菜でも『いただきます』『ごちそうさま』っていう気持ちを僕は忘れません。仕事だって同じ気持ちでやってます。最初から最後まで。その気持ちがないとおかしいですよね」

  平易な言葉で語る柴﨑さんは、愚直なまでに真摯だ。一度会っただけの僕がこんな評価をするのが甚だ失礼なのは百も承知だ。でも、たった十五分のインタビューの中で、僕が柴﨑さんに何度も感じた想いだ。自分が命を扱っていることに真摯に向き合い、だからこそ自分の仕事を大切にする。生きてる豚と、自分が切って売る肉を切り離していない。そこに葛藤や逡巡はあっても、開き直りはない。

  柴﨑さんにお礼を言って市場を出た僕は、芝浦屠場の隣の楕円形のビルに入ってみた。エレベーターで二十七階に上がり、窓から隣の市場を見下ろす。市場近辺のマンションの住民から、ここに屠場があることに対する苦情があるという。もちろんマンションができる前から市場はそこにあったし、みんなそれを知ってて入居したはずだ。それでも苦情を言う。市場に移転してほしいとまで言う。そして今日も肉を食べる(食べないかもしれない。ベジタリアンかもしれない。でもそれは今はどうでもいい。本質的なことじゃない)。立場によって、状況によって、人はそれほどまでに身勝手になる。いや、僕は市場に苦情を言うマンション住民に直接話を聞いたわけじゃないから、身勝手と言い切るのは少し乱暴かもしれない。でもいくら考えても筋の通る理屈は思いつかない。

  エレベーターで一階に下り、コンビニエンスストアの飲食コーナーでコーヒーを飲む。そしてこの二カ月のことをぼんやり想う。養豚場で子豚や親豚と触れ合い(この手で直接触れることはできなかったのが心残りだ)、屠場では生きてる豚が吊り下げられて屠殺され解体される工程を見学し、肉のカット作業も間近で見た。自分の食べてる豚肉が豚という動物だということが、僕の中で、知識ではなく経験として、つながった。

  それでも結果的に、僕は変わらなかった。

  豚がトコトコ歩いていればかわいいと思い、豚肉はおいしいと言って躊躇なく食べる。状況に応じて見方や感覚は変わるし、豚をかわいいと思う自分と豚肉をおいしいと思う自分は相変わらず断絶したままだ。「食べ物」の「いのち」を意識した時だけ、ちょっとつながる。これも以前と同じ。ただ、以前よりもほんの少しだけ、そのつながりにリアリティがある。僕はようやく、コーヒーももとは生き物であることを思い出す。

  コーヒーを飲み終わった頃には、自分が楕円形の中にいることは忘れていた。同じものでも、どこから見るかで見えかたは違う。二十七階から見下ろした市場は小さく、広い東京のほんの一部だった。ところで、「広い東京」という表現も初めて使った。東北の田舎にいた時には絶対に生じなかった感覚だ。やっぱり、どこから見るかで見えかたは違う。大事なのは、自分に生じる感覚の違いを自分で意識していることだ、などととりあえず結論づけて、外に出る。

 

  以前は大雨の日に通れなくなっていた地下通路は今はどうなっているのだろう。新しい立派な通路の真下に、空洞のまま残っているのだろうか。それとも完全になくなったのだろうか。なぜか僕は、ないはずの地下通路からぞろぞろ出てきて屠場に向かう豚の群れを空想し、その中の一匹の子豚になる。

  僕は、子豚のまま、豚の波をかきわけながら、JR品川駅に向かった。

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※この記事は、2010年後期のJ-School講義「ノンフィクションの方法」において、吉田敏浩先生の指導のもとに作成しました。

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