2010年5月31日
取材・執筆・撮影:田村真紀夫、矢部あずさ
突然の大雨予報に挑戦する
さっきまで晴れていたのに、突然発生する局地的豪雨」。二年前には、雑司ヶ谷で5名の作業員が雨水に流されて死亡する惨事も起こった。的確な天気予報ができれば、このような事故が防げたかもしれない。
2010年5月31日
取材・執筆・撮影:田村真紀夫、矢部あずさ
さっきまで晴れていたのに、突然発生する局地的豪雨」。二年前には、雑司ヶ谷で5名の作業員が雨水に流されて死亡する惨事も起こった。的確な天気予報ができれば、このような事故が防げたかもしれない。
2008年8月5日の正午頃、東京都で積乱雲が急速に発達し、11時30分から1時間で40mm(*1)を超える大雨が発生した。このとき豊島区雑司ヶ谷の地下で、6名の作業員が下水道管の補修工事を行っていた。多量の雨水が彼らを襲い、あっという間に5名が流されて死亡する惨事となった。朝は晴れていたにもかかわらず発生した局地的な豪雨。的確な天気予報ができれば、このような事故が防げたかもしれない。しかし、現在の予報システムでは対応が難しく、新しい手法の開発が期待されている。2009年11月、日本気象学会秋季大会で局地的大雨を予測する新しい手法(*2)を発表した気象研究所の川畑拓矢主任研究官に話を聞いた。
*1 多くの下水道設備は、最大で1時間あたり50mmの降雨を前提に設計されている。今回のケースは上限に近い雨量であったが、下水道管内部での作業という特殊要因が事故に結びついたと考えられる。
*2 共同研究者:小司禎教、瀬古 弘、斉藤和雄(気象研究所予報研究部)
世界的な気候変動の影響なのか定かではないが、
突然の大雨が増えたように感じる。大雨は台風のように多数の雲からなる巨大システムから降るだけではない。直径10km程度の積乱雲が急速に成長して、突然局地的に降らせることもある。「このような小さな降水システム(雨を降らせる雲の集団)が起こす突然の大雨は、従来の気象観測・予測システムでは予報が難しい」と川畑主任研究官は言う。
「現在は、100~200km間隔で全国に配置された気象レーダー、および気象観測気球や気象観測衛星から得られる観測データをもとに予報を行っています。これで台風や寒冷前線などの大規模な雲の集団は予測できますが、小さい積乱雲の集団を予測するのは困難です」
雲は上昇気流により湿度の高い空気が上空に運ばれることで発生する(トップ画像:急成長する積乱雲が大雨の原因になる。撮影:田村真紀夫)。
上昇気流は、風が山岳に吹き付けられたり、ある場所に集まるなどさまざまな要因で発生する。「ですから、局地的な雲の発生を予測するには、いままで以上に細かい間隔で風と湿度のデータを収集しなければなりません。風の情報は既存の気象レーダーから得られますが、細かい湿度情報の取得には新たに多くの観測機器が必要で、現実的ではありません。そこでわれわれは、従来の気象観測網以外の観測手段で湿度情報を得る方法を試みています」
川畑主任研究官らが着目したのは、GPS(Global Positioning System)を利用した位置計測システムである。これは、国土地理院が全国約1200カ所にほぼ20km間隔で観測点を配置する世界屈指の地殻変動観測網だ。GPSは、人工衛星から発射される電波を使って地上における観測点の位置を正確に測定する方法で、カーナビでもおなじみである。しかし、位置を測定するデータからどのように気象の情報を得るのだろうか。
位置を測定するとき、地上のGPS観測点に設置された受信機がGPS衛星から発射される電波を受信し、電波が受信機に到達するまでに要した時間を計測する。電波は真空中では光速で伝わるが、空気中では大気の密度の影響で速度がほんのわずか遅くなる。大気の密度は気圧、気温、湿度により変化するが、大気の下層においてはとくに湿度の変化が電波の遅れを大きく変化させる。この変化量を精密に測定すれば、地上の観測点とGPS衛星間の大気の湿度情報が得られるのだ。このGPSを利用した情報から、川畑主任研究官は2種類の湿度データを得た。
「1つはGPS観測点の真上方向の水蒸気の総量、専門的には可降水量(PWV)といいます。複数のGPS衛星から得られた情報を平均化し、水蒸気の影響のみを取り出したデータと考えるとわかりやすいと思います。このデータについては、以前からわれわれのグループで研究しており、2009年秋から気象庁の天気予報に用いられるようになりました。もう1つが個々のGPS衛星と観測点を結ぶ経路上の大気による電波の遅れから算出する視線遅延量(SD)とよばれるデータです。PWVと比較すると、大気のいろいろな方向に対して、気圧、気温、湿度の情報が細かく得られますが、取り扱いは難しくなります。この情報を有効に取り扱う手法を、いま開発しているところです」(図1)
川畑主任研究官はこの2種類の観測データを用いて、2008年8月5日の雑司ヶ谷豪雨における雲の発生と変化に関するシミュレーションを試みた。
「午前11:00~11:30までの観測データを同時刻のシミュレーションの計算結果に反映させ、水蒸気などの値を修正後、14:30までのシミュレーション予測を行いました。その結果、豪雨をもたらした積乱雲の大きさの変化や移動をある程度は予測できましたが、まだ十分に予測できたとは言い難いですね。しかし、この方法は改良の余地があり、予測精度を向上させられると期待しています。また平均値的なPWVデータとより細かい情報を含むSDデータ、どちらを利用すべきかについても、さらに検討する必要がありそうです」(図2)
「雑司ヶ谷のような大雨を、マスメディアなどで『ゲリラ豪雨』と表現することがあります。しかし、自然はゲリラのように悪意をもって人間に危害を加えることはありません。気象庁では、狭い領域で降ったものを局地的大雨、そして被害が出たときには豪雨と表現します。ですから、私は雑司ヶ谷の例を『局地的豪雨』と表現しています。みなさんも正確な表現を意識してもらえればと思います」
シミュレーションを利用した局地的豪雨の予報には2つの方向性があるという。まず、可能な限りシミュレーションの精度を上げて1つの結果を出し、それをもとに予報を出す方法。もう1つはアンサンブル予報とよばれる、可能な限り多くのケース分けをし、さまざまな発生可能性を計算して確率として予報を出す方法だ。「シミュレーションと観測結果をどのように組み合わせて天気予報に役立てていくか、日々研究を進めています」と川畑主任研究官。人命にも関わる突然の大雨を、的確に予報できる新手法の開発をおおいに期待したい。
※この記事は、09年後期MAJESTy講義「科学技術コミュニケーション実習4B(吉戸智明先生)」において作製しました。