写真提供:千叶大学大学院医学研究院 堀口茂俊医师

花粉症を根本から治すために 舌下免疫療法

スギ花粉症の患者が近年急増している。98年には国民の罹病率は16.2%だったが、08年には26.5%に達した。それに対して唯一、花粉症を「治す」可能性があるのが免疫療法である。これは、原因となる抗原を体内に取り込むことで患者の体質を変える治療法である。その一つ、舌下免疫療法について、第59回日本アレルギー学会秋季学術大会にて講演した、千葉大学大学院医学研究院の堀口茂俊医師に話を聞いた。

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 広まらなかった皮下注射法

 免疫療法の歴史は100年以上に及ぶ。日本でもスギ花粉症に対する免疫療法として皮下注射法が行われてきた。「原理は非常に簡単で、スギ花粉を体に徐々に慣れさせていくのです。アレルギーを引き起こす抗原を、症状が出ないくらい非常に薄い濃度で皮膚の下に注射します。そこから徐々に濃度を上げて注射を繰り返していくと、かなり高濃度であっても反応が起こらなくなります」。日常の生活で症状が現れないほど十分な濃度に達するまでには、2年以上の時間をかけて、合計50回以上の注射が必要である。

 皮下注射法は効果の高い治療だが、広く受け入れられていない。それは「2年間以上、50回以上の注射というのはかなりの負担です。その上、低い頻度ながら強い副作用症状が出て家に帰れないこともありえる」からだ。患者にこれを説明すると、多くの人はこの療法を選ばない。注射に伴う痛みはもちろん、時には命をおびやかすこともあるアナフィラキシーなどの副作用のリスクがある。このように皮下注射法は、医師にも患者にもリスクの高さとつらさがつきまとう。

 こうした負担を軽減するのが舌下免疫療法だ。この方法の利点は痛みがないこと、そして副作用のリスクが低く安全性が高いことである。アナフィラキシーはスギ花粉症の舌下免疫療法では今までに報告がない。また、自宅において自分で治療を行うことができ、1日の治療回数を増やして短期間で治療をすることも可能になる。

 舌下免疫療法では、海外から日本に伝わったときには、パン(保持剤と呼ばれる)を舌の下に置き、そこに抗原エキスを滴下していた。現在は1mlずつ出てくる特殊な容器を使い、粘性が高くとろりとした薬を直接舌の下へ滴下する方法が用いられている。この方法なら、保持剤を準備する手間も不要だ。

 

どうして舌の下なのか?

 しかし、なぜ舌の下なのだろうか。これまで、抗原を鼻から摂取する方法や、食べる方法、同じ舌下からでも後で抗原を吐き出すのか、飲み込むのかなどいろいろな実験がされてきた。「すごく不思議なんですよ。同じ粘膜でも、腸管では違う結果が出ます。実際、花粉症のネズミの胃に直接抗原を入れて免疫治療をしてみてもあまり治らない。でも、ネズミの舌の下に抗原を置いておくと、こっちは治ってしまう。」

 「ただ最近、粘膜の抗原の吸収の仕方が、腸管で吸収されるのと口の中で吸収されるのとでは違うとわかってきたんです」。スギ花粉のおもな抗原は特別なタンパク質。鼻や肺、気管支の粘膜が出会う外来タンパク抗原は、おもに体に取り付いて害をなす微生物由来が多いのに対し、さまざまな未知の食べ物由来のタンパク抗原と触れる機会の多い口の粘膜では、免疫応答も寛容にはたらくのではないかと堀口医師は話す。

 また、堀口医師らは現在、抗原が体内のどこへ移動するのかを調べる「トレーサー試験」を行っている。その結果、鼻の場合と口の場合では、別々の免疫器官(リンパ節)に抗原が移動していることがわかった。抗原の処理のしくみが異なることについて調べ、そこで何が起きているのかを確かめることで、本当のことがわかるのだという。いまは「なぜそうなっているのか」を調べている段階だ。

 

日本独自の研究が必要

 良いことずくめの舌下免疫療法だが、実際に医療現場で使えるようになるためには、乗り越えなくてはならない壁がいくつもある。現在はスギ花粉症の舌下免疫療法専用の抗原エキスがないため、臨床試験でも抗原濃度の薄い皮下注射用のものを用いている。それに、スギ花粉から得られる抗原の濃度を上げることは、まだ技術的に難しいという。

 また、スギ花粉症は日本に特有の病気であり、海外の花粉症に対する臨床試験の結果をそのまま当てはめることができない。そのため、日本での検討が重要となる。現在までに、この治療法が有意差をもって効くという結果は得られているが、薬に取って代わることができる治療となりえるのかはわかっていない。堀口医師はこう話す。

 「医療の現場で治療として受け入れられるために、どのくらいの割合の人にどれくらい福音があればよいのかは、社会学や医療経済学的な要素も絡んでくるのです。どんな医療を患者さんや私たちが求めているのか。そういったゴールを設定して、それをクリアできるかどうか。1000人の方を治療して、何人の人が救われるのかが大事なんです。いままでそういったことはあまり検討されてきませんでした。これからの大きな課題です。」

 堀口医師が臨床医でありながら新規治療の開発研究をはじめたのは、現場で医者が行う治療法は科学的論拠に基づくことが強く求められるようになり、科学的臨床研究なしに新しい治療法を提案することが不可能になったため。現在は、がんなどの疾病や、花粉症を含む「生死に関わらないが治らない」といわれるアレルギーに対しても、免疫学的なアプローチから治療法を開発している。

 今回の取材を通じ、患者だけではなく、医師もまた病気と戦っているのだと強く感じた。花粉症はいまや日本国民の4分の1が患っている「国民病」になりつつある。この状況も踏まえ、スギ花粉症の舌下免疫療法のこれからに期待したい。

 
※この記事は、09年後期のMAJESTy講義「科学コミュニケーション実習4B」において、吉戸智明先生の指導のもとに作成しました。

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