2018年9月10日
取材・執筆・撮影:平木場大器
「セクハラ」問題と戦い続ける弁護士
「セクシュアル・ハラスメント」は、29年前の裁判がきっかけで広まった言葉だった。この訴訟を担当したのは第二東京弁護士会所属の角田由紀子さん(75)。元財務事務次官による女性記者へのセクハラ問題で、財務省が被害者に名乗り出るように求めた際、撤回を求めて署名活動を行った。30年近く「セクハラ」問題と向き合う角田さんに、自身の体験と照らし合わせて現状をどう見ているか聞いた。
(トップの写真:「30年経っても性差別の構造は変わっていない」と語る角田由紀子弁護士=2018年6月21日、東京都千代田区の弁護士会館、平木場大器撮影)
日本で「セクハラ」という言葉が広まったのは、1989年、福岡の出版社に勤めていた女性が男性上司に性的な言葉で繰り返し嫌がらせを受け、その後に解雇されたことを不当と訴えたのがきっかけだった。
担当弁護士だった角田さんは当初、「性的嫌がらせ」という言葉を使っていた。しかし、嫌がらせとセクシュアル・ハラスメントは意味が違うという。「ハラスには、『繰り返し攻撃する』という意味がある。セクシュアル・ハラスメントとは性的に繰り返し攻撃するという意味なのです」。適切な訳語がないため裁判では「セクシュアル・ハラスメント」と原語のまま使った。
結果は原告女性側の勝訴。そして何よりも大きかったのは、会社としての責任を取らせたことだという。判決が確定した92年以降、労働省(現、厚生労働省)は、セクハラ防止に関するガイドライン作成のために動き出した。97年には、男女雇用機会均等法の改正で、セクハラ防止のための配慮を企業に義務付ける規定が加えられた。今年の6月に国際労働機関(ILO)は、加盟国間でセクハラ対策の条約を制定する方針を決めた。だが、日本ではセクハラそのものを禁止する法規制は、今もまだない。
角田さん自身も「女性」という理由で差別を受けてきた経験があった。高校の頃、1学年に女子生徒は1割弱しかいなかった。当時、男女共学は珍しく、同級生の男子学生からは「女子はバカだ」と蔑まれていた。
校内放送で「1年生は講堂に集合するように」と言われ、行ったところ、先生に「1年と言ったら男子だけだろ! 女子も必要なときは『女子も』というから」と怒られたこともあった。
それは就職の時もだった。国語の教師を志望し、東京都の教育委員会の窓口に相談したところ、「女性はいらない」と門前払いされた。そんな経験から司法試験を受け、75年に弁護士になった。
これまでに「セクハラ」や「DV」など女性の人権問題に関する裁判を多く手がけてきた。86年、東京強姦救援センターでリーガルアドバイザーに着任し、初めて強姦や性暴力の被害について直接当事者から話を聞いた。当時、被害者側にも問題があるかのような、いわゆる、「強姦神話」がはびこっていた。強姦事件の被害者が夜中一人で歩いていたのが原因だといわれたり、男性を誘惑するような服装していたのが悪いと非難されたりしていた。
95年、性暴力被害にあった人の支援者を増やすため「性暴力被害と医療を結ぶ会」を設立、その後、新たな組織としてNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」を立ち上げ、現在は代表理事として性暴力被害者の医療ケアにあたる看護師らに、性暴力に関する社会体制や法律について教える活動を続けている。
30年変わらぬ性差別構造
総務省の労働力調査によると、ここ30年で女性の労働力人口は、500万人近く増えた。また、「セクハラ」という言葉も定着し、2015年には女性活躍推進法が成立した。しかし、角田さんは「根本は変わっていない」という。それは、「セクシュアル・ハラスメントを生み出している性差別の構造。つまり、根っこにある男女不平等という考え方」だと指摘する。実際、男女格差について各国の状況を分析した「世界ジェンダーギャップ報告書2017」によると、日本の男女平等ランキングは144ヶ国中114位。
「セクハラの根絶は難しい。防止のために法整備は必要。だが、法律を作れば済む問題ではない。それ以上に、男性より女性の方が下だという考え方を変えないといけない。セクハラは、性暴力の一部であり、性差別であることを理解してほしい」
【追記】
代表理事になった時期、並びにNPO法人の設立理由を明確にするために、該当部分を次のように修正した。
「95年、性暴力被害にあった人の支援者を増やすため「性暴力被害と医療を結ぶ会」を設立、その後、新たな組織としてNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」を立ち上げ、現在は代表理事として性暴力被害者の医療ケアにあたる看護師らに、性暴力に関する社会体制や法律について教える活動を続けている。」(2018年9月19日訂正)
この記事は2018年春学期「ニューズライティング入門(朝日新聞提携講座)」(柏木 友紀講師)において作成しました。
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