被災地の記憶を後世へ
歴史資料の保存進める福島大教授
2011年の東日本大震災から7年。阿部浩一福島大学教授(50)は、「ふくしま歴史資料保存ネットワーク」の代表として、震災で危機に瀕した歴史資料を保存する活動を続けている。被災地の記憶を次の世代へ残すため活動する阿部教授を追うと、福島の人と共に歩もうとする姿が見えてきた。
(トップの写真:明治期の手紙を一枚一枚、丁寧にめくり、シャッターに収める阿部教授と学生たち=2018年5月23日、福島大学、門間圭祐撮影)
5月23日、福島大学の一室では、カメラのシャッター音が響いていた。「先生、この文字は何と読んだらいいですか」。学生が阿部教授に尋ねながら撮影していたのは、福島県富岡町の民家の蔵にあった明治期の手紙である。虫食いで穴が開いたページを慎重にめくり、1ページずつ撮影を行う。難しい文字は辞書を片手に解読し、パソコンで目録を作成していく。
阿部教授は10年10月、福島大学に赴任した。所属した行政政策学類は、地域貢献を目標として掲げていた。恩師や前任者からも、地元の歴史を大切にするよう聞いていた。ただ当時は、自分が歴史学者として、どのように福島に貢献できるのかまだ明確には見えていなかったという。そんな折、当時の福島県歴史資料館の担当者から、災害に備えて歴史資料を保存する団体へ協力してほしいと頼まれ、11月、「ふくしま歴史資料保存ネットワーク」の立ち上げに参加した。その頃は、「福島は地震もおきないが、万が一のために今から団体を設立して備えておこう」という思いだった。
しかし、その4カ月後、東日本大震災が起こった。考え込む間もなく活動が始まった。
震災後の3月30日、文化庁は被災地域に散在する様々な文化財を保護する「文化財レスキュー」を実施する通知を出した。阿部教授と「ふくしま歴史資料保存ネットワーク」は、県内の文化財関係者たちと共に、資料保存活動を始めた。
まずは被災して取り壊しの決まった蔵など、個人蔵の古文書等を救出する活動に着手した。2012年夏からは、国と県・自治体を中心に、原発事故によって避難区域に指定された地域の博物館での文化財レスキューが本格化した。阿部教授と学生たちは、区域外へとトラックで運ばれた山のような資料を、バケツリレーで保管場所に搬入する作業を支援した。現在は、富岡町職員の有志が民家から運び出した資料を記録する活動を、教員・学生と一緒に行っている。
こころの復興を助けたい
しかし、原発に近い地域では、今でも多くの文化財資料が震災当時のまま残されている。放射線量が下がらない限り、簡単には運びだすことができない。
震災と原発事故は、慣れ親しんだふるさとを破壊し、奪った。それでも被災者の傷ついた気持ちを癒すのはやはり、ふるさとの記憶である。「何も残ってない状況の中で、家に伝わる資料だけでも救えるなら、(その人にとっての)数少ないアイデンティティーになるかもしれない」。資料保存活動は、歴史的に貴重な遺産を守るだけが目的ではない。むしろ、地元の人が今まで意識してこなかった地域の良さを再発見し、被災者のこころを復興させる活動でもある、と阿部教授は考える。
飯舘村から避難を続け、資料保存活動に参加している佐藤俊雄さん(69)は、仏像や絵画など、村史にも残っていないふるさとの記憶を再発見したという。「うちの村にはないと思っていたけど、実はいろいろなものがあったのだと知った」。また、中間貯蔵施設の建設もあり、震災前とは異なる光景が広がる大熊町では、「せめて被災地のDNAを残したい」という声が聞かれる。
課題は多い。活動の知名度は高いとはいえず、震災から7年が経過して県外からのボランティアも減少した。阿部教授は、「やはり、生の声は、地元にこないと分からないですよ」。多くの人に、直接足を運んでもらい、福島の現状を知ってもらいたいと望む。
阿部教授らは現在、富岡町で民家の古文書や民具といった地域資料と、津波被害を受けた時計などの震災遺産を展示するアーカイブ施設建設の話し合いを進めている。「決して故郷というものは切り離されるものではないし、捨てられるものではない。いつか、ふるさとを感じたいと思った時に、つながりを感じられるような施設づくりを目指しています。それが本当の意味でのこころの復興につながると思います」
【追記】
・被災地のDNAを残す 歴史資料保存活動がつなぐ記憶→被災地の記憶を後世へ 歴史資料の保存進める福島大教授(2018年10月3日訂正)
・ふくしま資料保存活動ネットワーク→ふくしま歴史資料保存ネットワーク(2018年10月3日訂正)
・福島県立博物館→福島県歴史資料館(2018年10月3日訂正)
・県の文化財担当者→県内の文化財関係者たち(2018年10月3日訂正)
・活動内容を明確にするために、該当部分を次のように修正した。
「まずは被災して取り壊しの決まった蔵など、個人蔵の古文書等を救出する活動に着手した。2012年夏からは、国と県・自治体を中心に、原発事故によって避難区域に指定された地域の博物館での文化財レスキューが本格化した。阿部教授と学生たちは、区域外へとトラックで運ばれた山のような資料を、バケツリレーで保管場所に搬入する作業を支援した。現在は、富岡町職員の有志が民家から運び出した資料を記録する活動を、教員・学生と一緒に行っている。」(2018年10月3日訂正)
・発言の主体を明確にするために、最後の段落、最後から二段落目に文章の追加と変更を行った。該当部分は下記の通り。
「また、中間貯蔵施設の建設もあり、震災前とは異なる光景が広がる大熊町では、「せめて被災地のDNAを残したい」という声が聞かれる。」
「それが本当の意味でのこころの復興につながると思います」
(2018年10月3日訂正)
この記事は2018年春学期「ニューズライティング入門(朝日新聞提携講座)」(柏木 友紀講師)において作成しました。
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