「生きた証」を残す戦跡写真

「生きた証」を残す戦跡写真

 「知らないでは済まされない歴史がある。戦争で亡くなった人たちの無念の思いを伝えなければ」。戦跡写真家・安島太佳由さん(54)は日本全国、ときには太平洋の激戦の島々を訪ね歩き、戦争の爪痕をフィルムに収めてきた。『要塞列島』『日本戦跡』など、これまでに刊行した写真集は5冊にのぼる。旅の始まりは18年前、鹿児島県トカラ列島に浮かぶ悪石島(あくせきじま)で見かけた、ある慰霊碑だった。

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 慰霊碑は、戦時中に遭難した学童疎開船「対馬丸」の犠牲者のために作られたものだった。「こんな小さな島でさえ戦争と無縁ではなかったのか」。会社を辞めてフリーカメラマンとして独立しながら、あてもなくさまよっていた36歳。偶然の出会いだったが、今から振り返れば「目に見えない線路」があったような気がすると話す。



 活動を支えてきたのは、自らの信念と、昨年11月にがんで亡くなった妻・千恵子さんの励ましだったと言う。1959年に生まれた安島さんは、「戦後」という時代を生きる意味を自問し続けてきた。そして戦跡の撮影というライフワークに出会い、戦争の遺産を次世代に伝えていくことが、「人生を生きた証」になると考えるようになった。そのために、写真集の出版だけでなく講演活動にも取り組んでいる。



 「伝えることは本当に難しい」と安島さんは言う。一生懸命話しても、写真をたくさん見せても、思いが伝わるとは限らない。若者が戦争を知らないのは伝える側の責任ではなかったか。自省も込めて、講演会では聞き手との直接的な対話を大切にしている。思いは一つ。「まずはきっかけ。少しでも興味を持ってもらえたら」



 千恵子さんとは1987年に結婚した。安島さんは、今の活動は一人では絶対にできなかったと断言する。経済的に楽ではなくても、「この仕事はあなたにしかできない」と励ましてくれたのが千恵子さんだった。心に空いた穴は今も埋まっていない。それでも安島さんの足は、今度は中国へと向かう。安島さんが次世代に残す戦跡写真は、夫婦二人の「生きた証」でもある。

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※この記事は、13年度J-Schoolの授業「ニューズルームD(朝日新聞提携講座)」(矢崎雅俊講師)において作成しました。

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