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情報流通を巡る旅(3): クリエイティブ・コモンズの基本的思想は共有(commons)

2008年07月30日に札幌で講演するレッシグ教授。「クリエイティブ・コモンズ(CC)について語るのはこれっきり」なんて言っていた気もするが、2009年05月01日にも東京でCCの講演会がある。

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All or Nothing?

 著作権法を適用すると、全ての作品にはAll right reservedとno right reservedの2つの状態しかない。音楽が好きな人は「リミックスはどうなの? 」と思うだろう。もちろん、無断でやれば著作権侵害だ。写真が好きな人は「フォトショップでの合成は? 」と思うかもしれない。もちろん、他人の写真やイラストを無断で合成すれば著作権侵害である。マンガの人気キャラクターを使って新しい話を作るのも、勝手にやれば著作権侵害。替え歌を作るのも著作権侵害である(例外規定はあるけれど……)。あれも侵害、これも侵害。地球上の全員が、著作権侵害で犯罪者である。

 これでは何もできないことになってしまう。だけど実際には、クラブで毎夜リミックスが流され、お見合い写真には修整がほどこされる。コミケでは同人誌が売られ、小学生は学校からの帰り道に替え歌を歌っている。まあ、黙認されていたり、侵害に気づかれなかったり、訴訟するのも面倒くさいとか、いろいろな理由により、実際には著作権者の許可なく、さまざまな作品が使われている。そのおかげで、クラブのナイトシーンは盛り上がり、お見合い写真に心ときめき、同人作家の腕は磨かれ、小学生の頭はひらめいて成長する。他人の作品が自由に使えると、みんながハッピーなのだ。

 その反対に、もらえるはずのお金がもらえずに涙する作者もいる。悪意ある合成に自分の写真が使われて傷つくカメラマンもいる。元の作品はほとんど売れてないのにリミックスや替え歌が大人気なんてことになると、やる気もなくなっちゃうってものだ。

 デジタル時代になって、クリエイティブのコストも技術的ハードルも一気にさがった。誰でもそれなりの作品が気軽につくれる時代だ。他人の作品を元ネタにすれば、新たな作品(っていうほどの崇高じゃなくてもね)を作るのは簡単だ。もちろん、手の込んだ作品だって作れる。気軽な作品が他人から見たらビックリなんてこともある。みんなで作って、みんながひらめいて、みんながハッピーな世界がやってきた。でも、法律的にall right reservedしかないから、これでは潜在的にみんなが全員犯罪者である。いつどこから訴えられるかわからない。訴えられなくても、影で恨まれてるかもしれない。

 

reserveからcommonsへ

 これはちょっと嫌だし、困ったぞ、何とかした方が良いぞ、と考えたのが、スタンフォード大学の憲法学者であるローレンス・レッシグ教授だった(本当はもっと難しい理屈で考えた)。それで頭を絞って考え出したのが、クリエイティブ・コモンズである(実際には簡単に思いついたかもしれない)。

 Reservedって考え方がそもそも問題だとレッシグ教授は考えた。だって、デジタル時代になってコピーは簡単だし、インターネットで転送も気軽だ。実際には技術的にReserveできないじゃないか。だったらreserveなんか止めてしまえ。すべての作品は、みんなのものにすれば良いんだ。すべての作品はできた瞬間から世界中の人で共有(commons)すれば良いんだ。なんてグッドなアイデアなんだ! ごく大雑把にいって(おおざっぱすぎ?)、クリエイティブ・コモンズの考え方は、こういう単純な思考の上になりたっているといえる。

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<以下、順次掲載>

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  1. 情報流通を巡る旅(2): All right reservedってどんな意味?
  2. 情報流通を巡る旅(1):オバマ就任式の日に変わったホワイトハウスのウェブサイト