ジャーナリストに期待!−科学者からのメッセージ

 研究プロジェクトをどう評価するか——すなわち、どのプロジェクトを報道に値すると判断して記事にするか——ここでジャーナリストの真価が問われる。東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授は、10月3日、「第66回日本癌学会」発表後のインタビューで、研究プロジェクトの評価は、【1】学術的に画期的な知見を提供したか、【2】世の中のためになる製品が生まれたか、のいずれかの観点から「総合的・定性的」に評価すべきだと主張した。

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 研究プロジェクトに限らずだが、昨今、一見客観的な定量評価が大流行である。国などから資金助成を受けたプロジェクトでは、「特許出願件数」や「論文件数」などの報告が求められる。しかし「特許を出願しただけでは何の意味も無い」と児玉教授は指摘する。まったくその通りだ。特許は、それが使われて製品が作られて世の中に提供されなければ何のメリットも生まない。  

 ところが、そう指摘されると今度は、「特許の実施件数」(実施とは、特許が使われること)を評価に使おう、論文も発表件数ではなく「被引用件数」で評価しようという話になる。意図は間違ってはいないが、どこか本質とはかけ離れたところで、イタチごっこが行われている様相だ。  

 こうした「部分的・定量的」な指標で判断する方法は、研究者を誤った行動に導きかねないと、児玉教授は指摘する。つまり、本来の研究成果ではなく、評価対象となっている定量的項目を上げることにのみ執心する研究者が現れかねないからだ。どのような定量的項目であろうとも、これらは、研究成果を上げれば“自然と付いてくるもの”と考えるべきだろう。研究成果に対する本質的な評価をおろそかにして、定量的評価項目で代替させようとする限り、定量的項目を上げさえすれば高い評価が得られるという状況が生まれる。それが将来の研究費獲得につながるとすれば、そちらを目がけてしまうのが人情だ。  

 報道側も、ついつい分かりやすい定量的指標に頼りがちになるが、そのことの危うさを肝に銘じなければならないと感じさせられた。また、研究成果を門外漢が評価・判断するのは難しく、手間もかかる。簡単に比較評価できる“数値”を安易に利用してしまう姿勢にも自戒が必要だ。  

 「ジャーナリストは、的確な判断をするための参考情報を得られる人脈を持つことが重要だ」と児玉教授は言う。ジャーナリストが研究者と同じだけの専門知識を持つことはできないが、多角的な情報を入手し、一市民の視点で自分なりの判断を下すことはできる。「社会がどう見るかを研究者にフィードバックするのがジャーナリズムの役割だ」と児玉教授はエールを送った。ジャーナリストに期待される役割は重い。

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