「世界一周」が未来を開いた

「世界一周」が未来を開いた

2009年5月から12月まで22カ国に青春の足跡を残した濱田真里さん(23) は、現在早稲田大学教育学部の4年生だ。大学3年のとき、1年間休学して旅に出ることを決断した。様々な国での体験を通じて、学生時代を満喫し、将来への繋がりができたという。世界一周の旅は、濱田さんの人生に何をもたらしてきたのか。彼女の変化について聞いた。

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――旅行のきっかけは何でしたか。

「大学2年の時、カンボジアに教員を派遣する教育支援活動をしました。セミナーを開いてカンボジアの現状などを伝えるのです。伝えることがすごく好きだから楽しんだけれど、ちょっと考えるとそれは私の言葉じゃないですね。当時私は現地に行ったことがなかったし、それまでカンボジアに興味を持ったこともありませんでした。だから、全く現地に行ったことがないのにそれを伝えるって、違和感がありました。やっぱり自分の目で見て自分の言葉で語りたい。現場主義ですね」

――なぜカンボジアに関する教育支援活動を始めたのですか。

「『マイクロソフトでは出会えなかった天職』という本の影響です。作者のジョン・ウッドはマイクロソフトで重役になった人です。その彼が休暇でネパールに行った時、小学校に本が数冊しかないことに気付きました。その後また行って、図書館を作ろうと。作るうちに、幸せな自分を感じました。貧しい人たちに本を送ることで、彼の考え方が変わっていくのです。会社を辞めて社会企業家として活躍している彼にすごく共感を覚えて、こういう生き方をしたいと思って、興味を持ちました」

――両親は世界旅行に賛成しましたか。

「最初は反対されました。親を説得するために、自分で資料を集めてプレゼンをしました。旅するときのルートとか連絡先とか、全部自分で調べました。親に反対されないように、『これ何?』と聞かれたら、『これはね』と言えるように、全部準備しました。プレゼンをした結果、父が『そんなにやりたいだったら、行ってきなさい』と言ってくれました。父が母を説得してくれて、行くことができました」

――旅行の資金はどうしましたか。

「大学2年の時にアルバイトを5つぐらいやって、30万円ほど貯めました。でも、私の計画した旅行は130万円かかります。130万円って、私のような大学生には無理でした。それで、親の力を借りました。親に誓約書を書いて、これだけやりたい、でもお金が足りないから、出してください、と。社会人になったら、絶対に返します」

――旅行を通じて、自分はどう変わったと思いますか。

「私はそれまで自分の価値観の軸だけで、日本という軸だけで『幸せ』を定義していました。貧しくて苦しんでいる人たちを不幸な人と扱いました。でも現地に行って、人って、いろんな生き方をしていいかなと思いました。別に日本でこういうきれいな服を着て、おいしいご飯を食べるだけが幸せじゃなくて、アフリカで、何もなくても、月を見ながら、家族や友達と美味しいお酒を一杯ずつ飲んだりすることもすごく幸せだし、本当に自由だなと思いました」

 ――旅行から帰った後、自分の将来を心配しましたか。

「帰国してから就職する前の1年間ずっと悩み続けて、自分にとっては悩んだ1年でした。旅行に関する講演会やイベントに参加したりしたけど、日本の社会で旅行の経験をどういう風に生かしていくか、今後の生き方で迷いました。でも一人で悩むのではなく、人に会って悩みました。自分の考え方にこだわらず、いろいろな人の話や意見を聞きました。視野を広げてから進路を決めようと思ったからです」

「人は、自分にとって都合のいいものしか吸収しないです。ほしいものを見つけることも大事だけど、たまたまそれにぶつかることもあります。ちょっと人から自分と違うものを取り入れたら、それがほしいものかもしれません。そのぶつかる瞬間に化学反応が起きて、自分のやりたいことをパーっと見つかります」

――世界を体験して、海外で就職しようとは思いませんでしたか。

「就職活動をしていた間、すごく悩んでいたのは、海外に出て行くか、それとも日本企業で働くか、ということでした。5月に日本のIT系企業から内定をいただいて、どうしようと思って。海外にいきなり飛び込むこともすごくやりたいと思いました。カンボジアではビジネスという視点で見ていなかったので、カンボジアでビジネスをしている日本人女性にも会いに行きました。現地の様子を見て、話を聞いて、日本人として日本で働いても、海外との交流の機会があり、情報交換もできると思ったので、日本で就職することを決めました」

――チャンスがあったら、もう一度世界旅行をしようと思いますか。

「チャンスがあってもなくても、人生でもう1回やります。その時見えるものって、今とは変わると思います。私の今回のテーマは、途上国とか、先進国とか、世界の現実を見るということにフォーカスしていた。でも、今度は一人旅じゃなくて、誰かと行く旅をしたいです。例えば、結婚して夫と一緒とか。大事な人と世界を楽しみたいです。両親に世界一周をプレゼントするのも夢です」

 

取材を終えて

私の先祖は、儒教の「中庸の道」に基づいて子孫の教育方針を設定した。本分を守る生き方は今までの人生の軌跡だった。私にとって、家族の決定に従うことは、リスク回避の無難な策だ。一つ扉が開くと、将来の風景が一望のもとに見渡せる。生まれてからずっとそのような環境で育てられてきたので、そのことに違和感がなかったが、知らず知らずのうちに冒険精神を失ってしまっていた。濱田さんに会って、「違う自分」につながる扉を無視してはいけないことに気付いた。そして、「何とかなる」という楽観的な態度に感心した。

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※この記事は、2011年度J-School春学期授業「ニューズルームE」(刀祢館正明講師)において作成しました。

 

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