2009年10月5日
取材・撮影・執筆:正司 彩
学校に通えない子どもたち/日系ブラジル人社会のいま
午前9時、教会の一室で、日系ブラジル人のウエンデル・ショミジャ君(15)は漢字の練習帳を開き、ゆっくり書き写していた。日焼けした手に鉛筆が強く握りしめられている。昼休みに友達とサッカーをするのが毎日の楽しみだ。
2009年10月5日
取材・撮影・執筆:正司 彩
午前9時、教会の一室で、日系ブラジル人のウエンデル・ショミジャ君(15)は漢字の練習帳を開き、ゆっくり書き写していた。日焼けした手に鉛筆が強く握りしめられている。昼休みに友達とサッカーをするのが毎日の楽しみだ。
ウエンデル君は、浜松市中区富塚町のカトリック浜松教会が開く無料学級=写真=で4月から学んでいる。日本語はほとんど話せない。昨年12月まで地元のブラジル人学校に通っていた。
「やっと家族と一緒に住めるようになった。だからブラジルには帰りたくない」と言う。2歳の時、日系2世の両親は仕事を求め、自分を残して日本に渡った。2年前に呼び寄せられるまではブラジル中西部のマットグロッソ州で祖父母と暮らしていた。
母のサンドラさん(39)は、大手自動車会社の下請け工場で派遣社員として働いている。別の工場で働く夫との給料と合わせると、一時は月に60万円近い収入があったが、昨秋の経済危機で仕事が減り、半減した。祖父母への仕送りを除くと、生活費はわずかしか残らない。ウエンデル君の通うブラジル人学校の月4万5千円の授業料も払えなくなった。
ブラジルやペルーの日系人が多く加入している「神奈川シティユニオン」によると、「派遣切り」などの雇用に関する相談は、昨年9月は36件だったが、12月には103件、今年1月には105件にのぼった。相談者の8割以上が雇用保険に加入しておらず、生活に困っているという訴えがほとんどだ。
ウエンデル君のように、月に3~5万円の授業料を工面できず、地域のブラジル人学校に行けなくなった子どもも急増している。文部科学省の今年2月の緊急調査では、昨年12月からの2ヵ月間で、ブラジル人学校の生徒数は約6300人から3800人に減った。日系ブラジル人が全国で最も多い静岡県浜松市では8校あったブラジル人学校のうち2校が閉鎖に追い込まれた。
学校に通えなくなった子どもたちの多くは、家で漫然と過ごしていた。
ミウラ・サユリさん(13)もその一人。「何もやることがないのが一番つらかった」と言う。サユリさんは1年間、妹と2人でテレビを見たり、家事の手伝いをしたりしていた。
サユリさんの将来の夢は獣医になることだ。ブラジル人学校での成績は「トップクラス」だったという。「無料学級に通えるようになって本当に嬉しい。友達にも会えるし、宿題も出る。やることがあるのが本当にうれしい」と声を弾ませた。
浜松教会の就学支援教室にはいま、6歳から16歳まで50人の子どもたちが通っている。1日5時間、公立学校への「復学」を目標にカリキュラムを組んでいる。
就学支援教室の設立に奔走した浜松教会の佐藤伊三久さん(70)は、「言葉の壁が最大の障害になっている。50人中30人はポルトガル語しか話せない。高校に行きたくても現時点では、日本の中学校の卒業資格を得るだけの実力もない。両親が仕事をなくし、家庭が不安定な状況の中で、先が見えず、子どもたちは夢をもてずにいる。夢を持てるようにしてやりたい」と話す。
佐藤さんは今後、子どもたちが日本の公立学校に入学できた場合、中学卒業、できれば大学卒業までの間、経済的な援助をする「里親」を募集するつもりだ。
就学支援教室の指導員は、ブラジルの教員免許の資格を持つ。教材費や給食費、指導員への謝礼はすべて寄付で賄われ、子どもたちの車での送迎などもボランテイアによって支えられている。
※この記事は、09年前期のJ-School授業「ニューズルームD」において、
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