【スポーツのみかた・第2回】競技力を向上させる生体リズムのコンディショニング(内田直)

 スポーツの国際化が進展している現代の中で、問題となるものの1つに「時差」がある。しかし、この問題に対して、メディアの報道の中では、「時差の関係で…」という短い言葉で流されてしまうことが往々にしてある。また、…

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 スポーツの国際化が進展している現代の中で、問題となるものの1つに「時差」がある。しかし、この問題に対して、メディアの報道の中では、「時差の関係で…」という短い言葉で流されてしまうことが往々にしてある。また、放映権などメディアビジネスの問題にのみ責を追わせることで議論が終わってしまい、そこで何が起きているのか、現場において選手やコーチがどのように対処しているのかが、いまひとつ伝わって来ないことが多い。    今回は、スポーツ神経精神医科学の内田直教授に、「時差」と「コンディショニング」の取り組みについて学ぶ。
時差とコンディショニング
 近年、スポーツシーンにおいては国際化が著しい。サッカーにおいても、ヨーロッパ組と呼ばれる選手が日本代表チームに招聘され、ヨーロッパでのリーグ戦の合間をぬって帰国する。時にスケージュールがタイトであると、ほぼ空港からスタジアムに直行するような状況も起きている。ここで問題となるのは時差についてである。一般的にスポーツに関わる身体活動は午後の時間帯(正午から午後10時頃まで)が良いとされている。日本での試合時間は、このような時間に設定されている場合が多いが、海外から帰国した選手の体内時計は、帰国直後は海外の時間帯で動いており、本人にとっての試合時間がスポーツにはふさわしくない時間帯になることがある。また、日本から海外に出かける場合も同様である。    更に、先に行われた北京オリンピックでは試合時間の設定が問題になった。アメリカのテレビ放映のゴールデンタイムに、アメリカで人気のある競泳が設定され、北京の午前中に決勝などが行われることとなった。もちろん、選手にとっては、現地の時間帯としては同じ条件であり、問題はないという考えであるが、一方でベストタイムの出せない試合となる可能性が高い。また、このような時間帯に最高の力を出して試合を行うことは、安全上からも好ましいとは言えない。このような状況は、改善されるべきであるとは思うが、一方でこれに対応するコンディショニングも必要となる。

時間生物学的コンディショニング
 我々早稲田大学スポーツ科学学術院の内田研究室では、このようなアスリートの生体リズム調節の試みを行っている。生体リズムを測定する上で重要な指標に、深部体温がある。深部体温は体の奥深くの体温で、これは気温などの外的な環境の影響を受けにくい。深部体温は、24時間のリズム(概日リズム:Circadian Rhythm)をもっており、夕方から夜間にかけて高く、早朝最も低い値をとる。スポーツ活動は、この体温リズムと深い関連があることが知られている。アメリカの研究によれば、水泳でもっとも早く泳げたのは夜11時の記録であったと言う報告もある。    このようなリズムは、通常の生活の中でもより早い時刻に体温の最高値をずらしたり、逆にこれを遅い時間帯にずらしたりすることが可能であることが知られている。このような、時間に関連した生物の研究を時間生物学と呼んでいる。我々はこのような時間生物学的コンディショニングを、アスリートに行って試合時間の体調を整える試みを行っている。具体的な例を示そう。 =next=
高照度光とメラトニン投与による生体リズム調整
 早稲田大学から北京オリンピックに出場した竹澤健介選手が2007年にカリフォルニアで行われた記録会に参加するときの試みである。カリフォルニアは、日本と比較し(日付を無視すると)夏時間で8時間進んだ時間帯にある。すなわち、日本で午後6時であれば、カリフォルアは午前2時ということである。生体リズムから考えれば、カリフォルニアで試合の行われる午後9時は、日本の午後1時であるからさほど悪い条件ではない。しかしながら、問題は現地についた後の睡眠覚醒リズムが適応するまで、睡眠がうまくとれなくなることである。現地の午後10時は、日本の午後2時であるから、現地で午後10時に眠ろうと思ってもなかなか寝付けない。朝7時に起きた後も、日本の時刻は午後11時であるので、これから眠くなると言う体内時計の状態がある。このような条件では、試合前の調整もうまく行かない。    我々は、これを克服するために、日本を離れる前に竹澤選手の体内時計を3時間前進させる(早寝早起き方向にずらす)ことを試みた。一つの方法は、3時間早寝早起きすることであるが、これはある程度の効果しか得られない。我々はこれに加えて、高照度光(非常に明るい光)を早朝に浴びさせ夕方の早い時刻にメラトニンを投与して調整を行った。メラトニンは、生体リズムの調整に関わる物質であるが、アメリカではサプリメントとしてスーパーマーケットに売っている。また、メラトニンそのものにはやや眠けを引き起こす作用があり、WADA(編者注:世界アンチ・ドーピング機関)のドーピングリストにも無いため問題は無い。これまでの時間生物学的な研究では、これらを用いると効率的に生体リズムを前進させられることが知られている。

生体リズム調整の意義と役割
 日本において、生体リズムがずれた時期には、トレーニングコンディションが悪化するなどの心配も見られたが、カリフォルニアに移動してからは非常にスムーズにトレーニングに入れた。結果としては、17年ぶりに10,000mの学生日本人最高記録を塗り替える素晴らしい成績(27分45秒59)を収めることができた。もちろん、記録は本人や指導者の努力の賜物であり、このようなコンディショニングはごく限られた影響であろう。しかしながら、生体リズムの悪い時期と良い時期での差は、順位に影響を及ぼすほど大きいものでもあり、このような調節は今後競技力を向上させるために重要な要素となることは間違いない。    このような生体リズムの調節は、高度な専門的知識が必要とされることは言うまでもない。ここに紹介した高照度光やメラトニンも投与のタイミングが非常に重要であり、また睡眠覚醒に伴う生活上の注意事項も、あるいは飛行機の中でのすごし方など、多くの要因が生体リズム調節に影響を及ぼす。我々の研究室では今後もこのような研究を続けていくが、同時にこれが競技力向上のために多くの競技関係者に理解してもらう努力もしていきたい。これは、競技力を向上させるだけでなく、アスリートの負担を減らし事故を防ぐ重要な役割ももっている。

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【執筆:内田直(スポーツ科学学術院教授)、構成:佐藤哲也】