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目が見えない子どもたちが撮った写真展

 昨年夏、毎日新聞社でのインターンシップ3日目の出来事だ。デスクに呼ばれた私はこう言われた。 「渋谷で、すごく小さな写真展をやってるから、ちょっと取材しておいで」

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  デスクに手渡されたパンフレットには「キッズフォトグラファーズ 盲学校の子どもたち23人が撮った!」とある。目の見えない子どもたちが撮る写真?…風景を切り取った静止画のような写真の展覧会なのだろうか、もし本当にそうであったらどんな記事にしようかと、気もそぞろに私は会社を後にした。

 左手にNHKが見える坂道を上っていくと、ガラス張りの大きなビルが見える。写真展は、そこで開かれていた。四方から日の光が差し込む広々としたロビーに、会議室用の長テーブル6つをロの字型に組み合わせて展示スペースがしつらえてあった。見過ごしていまいそうなほど、こぢんまりとした写真展だ。

 

写真を包む、あたたかい空気

 テーブルの上には、生徒自身による点字付きの紹介文と共に18作品が並んでいた。

 「どれどれ…」と写真を覗き込んだ私の目に飛び込んできたのは、今にも動き出しそうなものばかりだった。

 口を大きく開けて笑っているおばあちゃんのピースサイン、学校の先生のおどけた表情、弟の寝顔を寝息の音と共に切り取ったような写真など、はじめに想像していた静けさとは無縁の、音にあふれた世界がそこにあった。

 写真展の企画者に話を聞くと、子どもたちは、音や声、感触を手がかりにしてレンズを向けたという。

 写真には、撮る者と撮られる者の関係性が如実に現れる。この写真展の作品は、子どもたちとその周りにいる人々の深い信頼関係と、お互いの存在を大切に思っている気持ちがじんわりと伝わってくるものばかり。視界を閉ざされている子どもたちは、普段人の表情を直接見ながら会話することができない分、声色や空気感、触感から、たくさん想像を膨らませながらコミュニケーションをしているのだろう。相手のことを考え、思いやりながら人との関係を築いていくことの愛おしさが、写真から漂ってくる。

普段の私に思いをめぐらす

 シャッターを切るときの子どもたちの心には、どんな像が浮かんでいるのだろうか。聞けば、彼らの写真の楽しみは出来上がった写真がどのようなものかを家族に説明してもらうときだという。写真が彼らの目の代わりとなり、それが言葉となって再生されるのだ。

 私が目をつぶって、今いる環境を撮ったとしたら、そこには何が写るだろう。盲学校の子どもたちのように、あたたかな空気は写りこんでくれるだろうか。相手と共有する見えない空気を想像することの大切さ、それを子どもたちの写真は語りかけてきた。