20110311

震災から立ち上がる青年たち~被災者を支援する被災者~

宮城県塩竈市。宮城県のほぼ中央に位置する人口5万6千人ほどの港町。2011年3月11日に発生した東日本大地震による被災地の一つだ。マグロの水揚げ高日本一を誇る港町であったが、今は見る影もない。津波の影響により、沿岸部の家屋は200戸以上が浸水の被害に遭い、町の機能は完全にマヒしている。そんな中、地元青年団体を中心とした活動が疲弊した町に元気を与えている。

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「手と手を合わせ助け合いながら、ともに上を向いてがんばろう」。こう発言するのは塩竈青年会議所理事長の鈴木貴資さん(34)。震災のあった当日から町の復興のために尽力している。鈴木さんを中心に青年会議所メンバーは、交通整理、炊き出し、瓦礫の撤去などのボランティア活動に奔走している。いまだ震災の爪痕が深く残る町で、被災者でもある彼らが、被災者の救援活動に励んでいる。 

  鈴木さんは仲間とともに2011年3月20日正午頃、塩竈市内の保健所前で炊き出しを始めた。実際の会場は宮城県議会議員の事務所敷地に当たるが、建物だけは辛うじて残るも、塀は流され、もはや原形を留めていない。「これから保健所前で炊き出しを始めます。お茶碗とお箸をご持参のうえ、お越しください」と拡声器で呼びかけると、瓦礫の町から被災者が集まり始めた。通信手段が制限されているにも関わらず、口コミで人は集まり、用意していたおにぎりや豚汁は見る間に減っていった。「ごちそうさまでした」「感謝しています」などの声に頭を下げて答える鈴木さん。炊き出しをする理由について訊ねると「みんなに食べてもらって、元気をつけて復興を目指す。そういう思いで(炊き出しを)している」と笑顔で答えた。

 

届かぬ行政の手、空洞化する被災地

  しかし、いまだ光明が見えない復興への道。今、塩竈市にとって一番必要とされているものは何かとの問いに対して、鈴木さんは「とにかく全てが足りない。物資が来てもガソリンがないから、輸送するための車が動かせないし、断水しているので水も足りない。炊き出しをするための材料も不足している」と肩を落とす。

 炊き出しの場に居合わせた宮城県議会議員の柏佑整議員はガソリンの調達について「徐々に調達できるようになっているが、まだまだ。ガソリンスタンドは夜通し長蛇の列。配給も制限されている」と、燃料確保の困難さを語った。柏さんは4月の統一地方選挙に五期当選を目指し出馬する予定だったが、「(選挙は)無理ですよ。名簿が(津波で流されて)全くないでしょ。それから用意したリーフレットやポスターがみんな流れちゃってない」と語った。塩竈市は2011年3月23日、特例法に基づき、統一地方選を延期する対象市町村に指定された。しかし、延期幅について柏さんは「延期の幅は2ヵ月から6ヶ月ということだけしか決められていないが、(延期幅が)2か月では全然足りない」と不安をあらわにした。

  鈴木さんは行政に対しての不満を漏らした。「これ(支援物資)は全国の(日本青年会議所の)仲間から送ってもらった物。役所に問い合わせても、食材も何も出してくれない。ここは被災地だけど空洞化している」と語った。空洞化している理由について鈴木さんは「町にまだ建物が残っているから。町がまるごと飲み込まれた南三陸の「しづがわ」などに、全部(救助要員が)取られている」と説明した。

  被災地であるのに行政の手が行き届かない箇所は塩竈だけではない。被災地は未だ県外からのボランティアの受け入れ態勢が整っていない。被災者が被災者を助けなければならい現実に直面している塩竈市のような場所のために私たちは何ができるだろうか。

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※この記事および動画は、東北地方太平洋沖地震が発生した後にジャーナリズムコースの学生2名(水田昌男, 三好尚紀)が自ら被災地に赴き自主的に制作しました。