0911-kamata2

チャンピオンベルトを巻きたくて

 早稲田大学出身のプロボクサーがいる。殿村雅史(とのむら まさふみ)26歳。角海老宝石ボクシングジムに所属する、日本フライ級7位のボクサーだ。

 2009年6月24日の試合は、彼にとって大きな意味を持つ一戦となった。初めて日本ランカーとなって臨む試合。相手は、その日本ランクを奪われた金城智哉。立場を逆にしての再戦となった。

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - チャンピオンベルトを巻きたくて
Share on Facebook
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Livedoor Clip

 ラッキーパンチじゃないことの証明

 「前回勝ったときは4ラウンドに右フック一発で終わって。だけど、試合後にはラッキーパンチで勝ったと言われることがあった。それが悔しかったです。再戦は正直怖かったけど、僕は、あの右フックはラッキーパンチじゃないんだということを今回の試合で証明したかったんです」
 格下の選手が格上の対戦相手を派手にKOした場合、パンチが当たったのは運が良かっただけと見られることがあり、それをラッキーパンチと呼ぶ。

  半年ほど前の2月7日、殿村は初めて日本ランカーに挑戦した。相手は当時日本フライ級7位にランクされていた金城。2006年の全日本フライ級新人王で、14連勝の記録をひっさげ、2008年8月にはオリンピック出場経験のある日本王者をあと一歩まで追いつめた実力者である。
 この試合を4ラウンドKO勝利で飾った殿村は日本ランキングを手に入れ、月間新鋭賞にも選ばれた。

 「再戦はドローという結果に終わりましたが、ランキングに入ったこともあって、自信を持って試合に臨めました。気持ちの強い金城選手に、気持ちで負けることもなかったです。今後に向けていい経験ができ、結果には納得しています」

 そう語る殿村は、とても温和な雰囲気をまとっていて、一見ボクサーには思えない。アルバイト先で出会う人にも、ボクシングをやっている、と言うと驚かれるそうだ。しかしながら、傷跡の残る瞼、異様に膨れた拳は、確かにボクサー以外の何者でもない。

 

ずっと泣いたデビュー戦

 殿村選手とボクシングの出会いは偶然だった。9年前の10月11日、大学受験を目前に控えた高校三年生の殿村は、テレビで、王者畑山隆則対挑戦者坂本博之のWBA世界ライト級タイトルマッチを見た。その瞬間に「ボクシングをやろうと決めた」と言う。
 奈良県内の進学校に通っていた殿村は、中学一年時に卓球部に所属したほかは、目立ったスポーツ経験は無かった。一年の浪人を経て、2002年に早稲田大学商学部に入学。東京の街と、伝統のある早稲田に憧れての念願の入学であった。大学入学と同時に、板橋区内のボクシングジムに入会し、練習にのめり込んだ。以後四年間の大学生活は、ボクシング中心の生活だった。

 2003年4月にはプロライセンスを取得。デビュー戦が「サウスポーということで相手に敬遠されてしまって」何回か流れてしまうという憂き目にあったが、無事9月にデビュー戦が行われることが決定した。

 当時の心境を「とにかく嬉しかった。やっと決まったなとホッとしました。恐怖心は全くなかった」と語る。

 2003年9月17日に後楽園ホールで行われたプロデビュー戦は、判定で勝利した。普段、ほとんど緊張をすることがないという殿村だが、デビュー戦に限っては、試合の記憶は全くない。逆に試合直前のことは、細部に至るまでよく覚えている。

 「当日、初めて試合用グローブを渡された時、本当に小さくて、薄くて、びっくりしました。こんなもので殴るのかと」。さらに、同じ控え室で同日デビュー戦を迎えた選手が1ラウンドKO負けで戻ってきたときには、恐怖を感じたという。

 デビュー戦で自らの名前を呼ばれた時は「人生で一番嬉しかった出来事。」と振り返る。「これまでの試合の中でも、デビュー戦の勝利が一番嬉しかった。リング上から控室まで、ずっと泣いていました」

就活よりもボクシング

 その後、デビューから4連勝。これまでに17戦11勝(5KO)5敗1分けの戦績を残している。その間に大学を卒業したが、ボクシングを辞めるという選択肢は考えなかった。

 「ボクシングを、やるだけやりたかった。だから、就職活動も一切しなかった」

 現在はスポーツクラブで9時から15時までアルバイトをする以外は、ボクシングに没頭している。

 ボクシング界ではタブーとされている、所属ジムの移籍も経験した。「ボクシングを始めた時からずっと教わっていたトレーナーが辞めてしまって。色々考えたんですが、移籍をしようって」。

 現在所属している角海老宝石ボクシングジムは、これまでに3名の世界チャンピオンを輩出している名門ジムである。このジムに移籍を決めたのは「直感です。とにかく雰囲気が良かった。スパーリングの相手も強い選手ばかりで」と説明した。

 移籍後の初戦(2007年2月22日)をKO勝利で飾ったが、その後2連敗。でも、辞めようとは思わなかった。

 「限界を感じたら辞めたかもしれないです。でもそうは感じなかった。まだ、出し切れていない。自分に不足しているものを補えていないと感じたんです」。

 

ボクシングを続ける理由

 ボクシングというスポーツは、殴り合う、という特性のためか、スポーツとしての認知度は高くても、一般に幅広く受け入れられている、とは言い難い。それでも、ボクサーが戦い続けるのはなぜだろうか。

 「もちろんボクシングが好きだから、ということになりますが、好きなだけではやっていけないかもしれません。やはり夢があるからですね」と殿村は語る。「僕の場合、ボクシングを始めたのは、チャンピオンになりたいと思ったからなんです」。

 いざ始めてみると、チャンピオンになる難しさにすぐ気づいた。順風満帆で来た訳でもない。しかし、日本ランキングにも入り、少しずつ自信もついてきたのも確か。「この先、自分がどこまで行けるか、試してみたいんです」

 そして、取材の間、笑顔を絶やすことのなかった殿村の目が、鋭くなった。「やっぱりベルトを巻きたいです。だから頑張れる。ボクシングを続けていることに対しては、正直なところ理解してもらえないこともあります。でも僕は本当にボクシングをやって良かったと思いますし、これからも精一杯頑張って、チャンスが巡ってきたら絶対モノにするつもりです」

 現在日本フライ級7位。チャンピオンへの道のりはこれからが本番だ。

j-logo-small.gif

 

※この記事は、09年J-School講義「ニューズルームG」において、富重圭以子先生の指導のもとに作成しました。