150メートルの「格差」/埼玉県所沢市

 52年間、人口が増え続けている街がある。埼玉県所沢市。およそ34万人が住むこの街は、埼玉県西部に位置し、かつて綿織物の一大集散地として栄えた。何年前だろうか、所沢駅前の商店街に新しくマンションが建った。すると、連鎖反応…

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 52年間、人口が増え続けている街がある。埼玉県所沢市。およそ34万人が住むこの街は、埼玉県西部に位置し、かつて綿織物の一大集散地として栄えた。何年前だろうか、所沢駅前の商店街に新しくマンションが建った。すると、連鎖反応のように次々とマンションが建ち始め、同時に商店街の店はシャッターを閉めていった。  住む人が増える一方で活気を無くす商店街。今、この商店街でいったい何が起こっているのか。歩いてみることにした。 0904_katsu1.jpg 「こんにちはー」。赤いランドセルを背負った少女が二人、店内に入るとすぐにひげ爺の元に駆け寄った。野口萌里ちゃんと、横田夏帆ちゃんは所沢小学校の四年生だ。「今日は暑かっただろう」。口元に髭を蓄えた三上博史さん(71)が眼鏡越しに優しいまなざしを投げかける。ここ、「野老澤町造商店(ところざわまちづくりしょうてん)」は市役所と商工会議所が共同で町作りのために商店街に設けた施設で、店内には週代わりで様々な展示が催される。ちょうど、所沢の歴史紹介コーナーがあり、授業で所沢の歴史を勉強した地元の小学生が、町の物知りひげ爺に会いにやってきたところだった。    それにしても、驚いたのは僅か8畳ほどの店内に目的が違う人々が集い、談笑している姿だった。時計の針が14:00を指す頃。太陽ばかりが元気にアスファルトを照らし、時々人が通る程度の商店街の中で、店の扉を開くと同時に耳に届く笑い声は商店街の寂しさを忘れさせる。     「地元出身のアーティストを応援する人たちのたまり場にもなっているんです」と店長の榊原美和さん(51)が言う通り、店の奥にはカラフルなポスターに混じって応援メッセージが貼ってあり、先ほどの小学生二人も目を奪われているようだった。    平和な昼下がりの人々の集い。のんびりとした気分に浸っていた私に、「ただね」と榊原さんは言った。「商店街を元気にするためにイベントやお祭りを仕掛けて行こうと思うんだけど、商店街の人たち自身が乗り気じゃないんです。高齢化で店主さんたちも歳をとっていってるからかもしれないんですが」。彼女の視線の先には、店の外を杖をついてゆっくりと歩いて行く高齢の女性の姿があった。 =next= 0904_katsu2.jpg ひげ爺こと三上博史さんはこの商店街の出身だ。「昔は、村山、入間、秩父を除いた地域の織物が全部所沢に集まって、所沢の名前がついて出回っていたんですよ」と振り返る。この地は、かつて「所沢飛白」と呼ばれる綿織物の一大散地として、明治30年代に全盛期を迎える。商店街には「蔵作り」の商屋が競い合うように軒を連ね、中心市街地としての賑わいを見せていた。    町の様子が変わったのは商店街近くにあった市役所が移転した1987年頃からだという。交通量が減り、バスの本数も一時間に一本やっとある程度になった。そこに再開発の波が押し寄せ、土地の地検を持つ商店の店主は店をたたみ、その土地にできたマンションに移り余生を過ごす。人の流れが商店街を変えたと言えば、それまでだろう。しかし、変化が豊かさに繋がった店もある。    「チリンチリーン」。子供達を乗せた自転車が、歩道を弾むようにして通り過ぎた。「フォーラスサイクル」は野老澤町造商店の真向かいに位置するマンション、フォーラスタワーの一階に構える自転車屋だ。店長の小峰美代次さん(69)はこのマンションの住人でもある。「前までこの敷地に店があったんだけど、等価交換方式で立替の時にマンションに住むことにしたんですよ。マンションは私ら高齢者には住みやすいですよ、草むしりもしなくていいし」。話を聞いている間にもお客さんがやってきて、対応に追われている。現在は奥さんとの二人暮らし。娘さんの旦那さんが店を継ぐことになっている。マンションが建って、お客さんは増えているのだという。真新しい建物に、新品の自転車が並ぶ店内には古臭さが少しも感じられない。創業97年の自転車屋さんは、「今がこの町は一番住みやすいよ」と答えた。    そこからわずか150メートル先に小さな自転車屋さんを見つけたのは、一日目の取材が終わって帰ろうとしている時だった。そこが自転車屋さんなのだと気付いたのは、夕方になり、商店街の街頭が灯ったからだった。「堀内自転車店」と書かれた看板から店の中に目を向けると、古びた自転車が一つ、置いてあった。 =next= 0904_katsu3.jpg 「ごめんくださーい」。二度ほど声を投げかけると、ややあって物音と共に店主の堀内精一さん(84)が現れた。開いたガラス扉の奥には沸騰した鍋の湯気が見え、味噌汁の温かな匂いが漂っている。    町の変化についてたずねたら、「いいんじゃないの、変わっても」という、ちょっと投げやりにも聞こえる答えが返ってきた。聞くとフォーラスタワーが建った当時、この店のあたりもマンションが建つ計画があったのだという。「バブルがはじけて無くなってしまったけれど」。頭にかぶった埼玉自転車協同組合の緑の帽子を手に取り、眺める目が寂しそうだった。「もう、後を継ぐ者もいないし、この辺は売れなかったからね。今考えているのは、どうにかこの店を有利に処分して老人ホームに入ろうってことだけだよ」。    「みっともないから」と写真撮影には応じてもらえなかった。礼を言って帰ろうとした時、散らばった工具に躓き、地面の上を工具が滑った。がらんどうの店内に響いた金属の音が、少し寂しかった。  今、全国の地方都市では中心市街地の空洞化が進んでいる。所沢でも中心市街地の衰退は激しく、市は活性化のための計画を練っている。しかし、所沢の町で進んでいたのは150メートルの距離が生んだ格差だった。商店街の再開発の過程は、本当に住人が望んでいたものなのだろか。商工会議所で事務局長の大舘安治さんに尋ねた。「再開発は5メートルごとの単位で決まる。そこを買う企業は様々で、売る側も長年続いた店を自分の代でつぶすことになるから相当迷って決めるわけです。だから全体をコーディネイトすることは難しいんです」    2010年、フォーラスタワーの隣に新しい公民館が建設される。商店街は変わることから逃げられない。見た目の足並みがそろうことが難しくなった商店街。せめて心だけは繋がっていてほしい。夏祭りのちらしを見ながら私は強くそう思った。

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○外部リンク:野老澤町造商店


※この記事は、08年前期のJ-School講義「ニューズルームE」において、刀祢館正明先生の指導のもとに作成しました。