端島という「廃墟」

 2008年8月某日、私は長崎の海の上にいた。目的は、その威容から「軍艦島」として知られている「端島」を見るためである。 「廃墟の聖地」端島   軍艦島=端島は、廃墟の もの悲しい風情を愛好する人々には「聖地」とすら呼ば…

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 2008年8月某日、私は長崎の海の上にいた。目的は、その威容から「軍艦島」として知られている「端島」を見るためである。

「廃墟の聖地」端島

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  軍艦島=端島は、廃墟の もの悲しい風情を愛好する人々には「聖地」とすら呼ばれ、巡礼の対象となっている。かく言う私も巡礼者の一人として、そこにいたわけだ。

 もともと端島は19世紀日本の重要な炭坑地の一つであり、そこには石炭採掘のために多くの人が働き、住んでいた。学校から病院、さらには映画館まで、島にはありとあらゆる施設が整備され、住民は何不自由なく暮らすことができたと言う。また、端島のアパートは日本最初の高層鉄筋アパートと言われ、建築史上においても大変貴重な遺構とされている。

 1970年代以降、石油エネルギーへの転換により、石炭産業は衰退し、端島も閉山へと追い込まれた。以降、島から住民は徐々に去っていき、いつしか無人島となってしまった。

 だが、その建造物は廃墟となりながらも、かつての面影をしっかりと残していた。雨風に長年晒されているにも関わらず、島の建物は思っていたよりも荒廃していない。私は厳しい横風を受けながら、往時の端島が持っていたであろう力強さを、ひしひしと感じた。

 

世界遺産運動

 残念ながら現在、端島に上陸することは禁止されている。私が船の上から島を眺めていると、船内アナウンスから「端島を世界遺産に登録する動きがある」との説明が流れてきた。その歴史的背景や建造物の重要性などから、NPOだけでなく、長崎市も端島の世界遺産の仲間入りに向けて尽力しているようだ。

 こうした世界遺産登録の流れに対しては、反対の声も少なくない。例えば「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」は、日本植民地時代に連行された朝鮮人が端島に住んでいたことから、「過去の歴史的罪悪を消し去る行為だ」と批判している。

 だが何よりもまず、反対の声の中心は「端島を世界遺産に登録する根拠自体が薄弱である」というものであり、これには私も同じ考えを持っている。端島の一番の魅力は建造物の歴史的価値ではなく、島全体が持つ廃墟としての哀愁・郷愁だと考えるからである。

 その本来の理念からかけ離れた発想だが、「観光客の呼び込みを目論んで世界遺産を目指す」という取り組みは、ままあることだ。しかし今回のケースでは、そもそも景観の保全のために建物を修復したり手を加えたりすることは、端島の廃墟としての魅力を薄れさせることになる。これは本末転倒ではないだろうか。

 

 無論、こうした想像は私の杞憂に過ぎないのかもしれない。とはいえ、端島に対して取り返しのつかない「加工」を施してしまう前に、もう少し慎重になるべきではないだろうか。未来に向けて保存されるべき世界遺産と、いずれ朽ち果てていく運命にあるからこそ美しい廃墟とは、そもそもの性質が異なるものなのだから。

 

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【取材・執筆・撮影:風斗雅博】

 

 ■外部リンク:「軍艦島を世界遺産にする会」