2011年7月7日
取材・執筆・撮影:北見英城
銅人形で「楽しい街」づくりを
「僕の作った銅人形が、夜中にひとりでに動き出す姿を想像するとワクワクするじゃない」。東京都立川市に住む赤川政由さん(60)は、大きな体を揺すりながら話した。25歳で銅版造形作家となって以来、作り続けた300体以上の銅人形が、全国の街角で道行く人をなごませている。
2011年7月7日
取材・執筆・撮影:北見英城
「僕の作った銅人形が、夜中にひとりでに動き出す姿を想像するとワクワクするじゃない」。東京都立川市に住む赤川政由さん(60)は、大きな体を揺すりながら話した。25歳で銅版造形作家となって以来、作り続けた300体以上の銅人形が、全国の街角で道行く人をなごませている。
熱でやわらかくした銅版をハンマーで叩いてパーツにし、それを組み合わせて作るのが銅人形だ。少年のあどけない表情などを、銅で表現するのは難しい。「最近になって、やっと優しい表情が出せるようになったんだよ」
2011年5月、1ヶ月かけて作った「母と子の像」が、立川市にある普済寺の墓地に設置された。福祉問題に取り組む友人の弁護士の依頼で、引き取り手がいない遺体を納めるための墓作りに参加したのだ。墓の周りには、他にも赤川さんの作品が10点近く並んでいる。仁王立ちしている少年や、葉っぱのバイオリンを奏でる少女の人形などだ。「来てみて楽しいお墓にしようと思ったんだ。死者を弔うときに、気分が沈むのは嫌だから」
19歳のころ、大分県から上京して芸大を繰り返し受験した。合格しないまま、銅版画を作るアトリエを開いたものの、暗い作品ばかり作っていたという。そんなとき、後に結婚する、人形作家のさとうその子さんと出会った。さとうさんの作る人形は明るくかわいらしかった。いつしか、版画の素材の銅を使い、自分も「ユーモアのある愛すべき人間」を表現したいと思うようになっていた。
ビルの雑踏の中に自分の作品があることで、来た人が温かみを感じて心が躍るような街を作る。それが赤川さんの願いだ。「楽しい街に入れば、自分も友達も好きになる。社会のことにも関心がいく。そんな街に僕たちがしていかないとね」と、屈託なく笑った。
※この記事は、2011年度J-School春学期授業「ニューズルームD(朝日新聞提携講座)」(林美子講師)において作成しました。