2010年1月15日
执笔・撮影:上崎贵実代
渋谷のテント村・宮下公園の終わり
東京・渋谷の宮下公園の野宿者たちが追われようとしている。桑原敏武・渋谷区長は6月の区議会で同公園の命名権をナイキジャパンに売却し、秋にも全面改修することを明らかにした。着工が始まれば野宿者たちは住み続けることができなくなる。彼らの声を聞いた。
2010年1月15日
执笔・撮影:上崎贵実代
東京・渋谷の宮下公園の野宿者たちが追われようとしている。桑原敏武・渋谷区長は6月の区議会で同公園の命名権をナイキジャパンに売却し、秋にも全面改修することを明らかにした。着工が始まれば野宿者たちは住み続けることができなくなる。彼らの声を聞いた。
JR渋谷駅から線路沿いに数分歩き、階段を上ると高台に宮下公園がある。緑のけやきの葉と青いテントが目に入る。
2009年の初夏。ここには約30人の野宿者が住んでいる。公園にはフェンスが建てられている。野宿者が増えるのを防ぐためという。夏になると暑くて中に居られないこともあるというテントは、野宿者の増加防止に立てられたフェンスの合間をぬって、まるで湧き出たかのように広がっている。
「早く説明がほしい」。野宿者の1人、通称「オヤジ」さん(60)は困惑した表情を浮かべていた。ここに住みついて10年。6月末に区役所の職員が来て、来週中に公園の整備計画について説明すると言ったが、2週間経っても説明が無い。「ここに荷物がある。近くで仕事もある。突然出て行けと言われても困る」とつぶやく。
新聞などで宮下公園の命名権が売却され、「ナイキ公園」になるという話が出ていることは知っている。支援団体からも教えてもらった。工事が始まる前には出て行かなければならないだろうと、半分あきらめもついている。でも、納得できない。
「本当は、ここを出て行きたくない」。オヤジさんは言う。24年前に大阪を離れてあちこち転々として、この公園で初めて「安定した暮らし」を得たからだ。
オヤジさんが私に語った話。
――どうして、ここに来たのですか?
高卒で大阪の鉄鋼関係の企業に就職した。営業の仕事などをして17年になろうとしていた頃、ギャンブルで作った1000万円の借金を返済できず、夜逃げ同然で家を捨てた。借金が増えたのは、ある時競輪で数百万円儲けたことがきっかけだ。これは遊んで暮らせると考え、借金をしてギャンブルをするようになり、返済できなくなった。自己破産も考えたが、それ以来仕事が一切できなくなるかと心配で、できなかった。
その後、舞鶴でパチンコのホール係の仕事をしてから岐阜でビルの配線をする電気工事関係の仕事をし、貯金を貯めた。電気工事関係の仕事はいくらでもあり、金には困らなかった。そこで遊び癖が戻り、仕事を辞めて街をぶらつくようになった。貯金はすぐに底をついたが、どこかに行けば、仕事は見つかると思った。しかし、甘かった。結局仕事は見つからず、横浜スタジアム付近で野宿をするようになった。その後東京の渋谷に移り、2年ほど駅前で野宿をした。
――路上での野宿生活は?
過酷だったね。捨ててあるタバコを拾って吸い、コンビニのゴミを漁り賞味期限切れの弁当を食べる、そんな一文無しの生活をしばらく続けた。それから、食わなければいけないと、野宿仲間がしている古本を回収して売る仕事を、見よう見まねで身につけた。食えるようになったある時、知人が宮下公園のテントを出るというので、そこを明け渡してもらうことにした。着替えなどの荷物を持ち歩き、寝る場所を宛ても無く探す必要は無い。雨に降られても居場所がある。テント生活は、最高だった。
路上からテントへ。それは野宿者たちが生きるためにたどる、ひとつの道だ。宮下公園で野宿して2年になる通称「フジイ」さん(63)は「路上で寝るのは、本当に大変。アスファルトは硬く、寝ると全身が痛くなる。また、通行人に危害を加えられる可能性が高い」と話す。テントには寝床があり、公園は路上に比べると安全だ。トイレや水道もある。家を失った野宿者にとって街は生きにくい砂漠だが、公園は生きていけるオアシスなのだろう。
しかしそのオアシスはまもなく、渋谷区とナイキによって消える。区によると、宮下公園の命名権をナイキに年間1700万円で10年間に渡って売却する。公園の全面改修費も全額ナイキ側が負担する。
渋谷区の計画では、公園南側スペースにスケートボード施設、中央にロック・クライミング施設といった有料施設を新たに設け、遊具などのある北側スペースは、誰でも利用できるオープンスペースとして残す。また、バリアフリー化し、エレベータも新たに設置する。
以前から、区役所には「怖くて公園に入れない」というような苦情が寄せられていた。宮下公園が「一等地」にありながら、市民がふだんから活用できるような場になっていないことは確かだろう。渋谷区土木部の小沢明彦課長は「区単独の全面改修は無理だ。命名権を売却し、明るく安心してみんなが利用できる公園を作りたい」と話す。命名権を売ることで公園が「きれい」になり「便利」になれば、多くの人たちにとって「幸せ」だろう。
では、野宿者への対応は。小沢課長は「野宿者は公園を不法占拠しているというのが、区の考えだ。着工前には退去してもらうしかない。その際、自立支援センターへの時限的な入居を勧める予定だ。病気の人は病院に、仕事ができる人には仕事を自分で探すように促したりして、アパートに移っていただくことになる」と説明する。
野宿者を支援する人たちは反発している。その1人、中郡千尋さん(28)は「自立支援センターは、既にいっぱいだと聞いている。宮下公園の野宿者たちは入れるのだろうか。そもそも野宿者の多くは中年や高齢者だ。自立支援センターに入って自力で仕事を探せといわれても見つからず、諦めて野宿生活に戻り、路上で暮らさざるを得なくなる人もいる」と反論する。
6月13日、命名権売却に反対する「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」が主催する野宿者や会社員、フリーターなど約130人によるデモが渋谷であった。守る会の植松青児さん(48)は「公園の一部が有料化することになり、無料のスペースが減少する。もっとも影響を受けるのは、公園の野宿者だ。彼らは他に行く場所がない。野宿者が存在するかぎり、公園は社会全体のセーフティーネットとして必要だ」と訴えている。
オヤジさんは、宮下公園を退去させられた後はどうなってしまうのかと、不安な様子だ。「鳩に餌をやり、野宿仲間と馬鹿話をする。そして生活に必要なだけ金を稼ぐ。そんな今の生活が大切だ。自立支援センターはこの近くなのか。今の仕事は続けられるのか。友人とはこれからも連絡が取れるのだろうか。」
そして、顔をこわばらせてこう語った。
「今後もし路上生活に戻るようなことがあったら、死んだ方がましだ」
※この記事は、2009年前期のJ-School講義「ニューズルームE」において作製しました。