隣人と他人と外国人との60年/東京・中野北口新仲見世商店会

 ワールド会館。60年にもおよぶ中野北口新仲見世商店会の歴史を見守ってきた商店会の影の主役であり、住人にとっては、「他人」の象徴でもある。 トップ写真:中野北口新仲見世商店会入口。2008年7月15日火曜日15時ころ。写…

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 ワールド会館。60年にもおよぶ中野北口新仲見世商店会の歴史を見守ってきた商店会の影の主役であり、住人にとっては、「他人」の象徴でもある。
トップ写真:中野北口新仲見世商店会入口。2008年7月15日火曜日15時ころ。写真奥のオレンジ色の建物がワールド会館。(2008.7.15-15:00,筆者撮影)

中野北口新仲見世商店会

 はやりの歌が背中を離れると、自分の足音が近づいてきた。


 小料理店が立ちならぶ隘路を北に折れると、耳元でエアコンの室外機がブゥーンとうなって侵入者に警戒をうながした。商店会の入口で足を止めると、ダンボールと生ゴミのあたたかな香りに包まれる。


 大きな茶色のネズミが空をひと嗅ぎして、水色のゴミバケツの裏に体を隠した。バケツにひげが生えたように尻尾だけがはみだして揺れている。でこぼこで薄黒いアスファルトの脇に、人の代わりに自転車がそれぞれの個性を演出しながらあふれている。ちいさな公園ほどの区画は、焼鳥屋やスナックなどが一体となった中州を灰色の店々がぐるりと取り囲むように並び、東側にある一本の山桜が春にだけ白い花を添える。10階建ての中野ブロードウェイが西側にそびえるために昼以降は陽が射さない。15時の曇天がよく似合う場所、中野北口新仲見世商店会。そしてその北側、私の50メートルほど前方に建っているくすんだオレンジ色の建物がワールド会館だ。60年にもおよぶ中野北口新仲見世商店会の歴史を見守ってきた商店会の影の主役であり、住人にとっては、「他人」の象徴でもある。


 JR中野駅北口から北へ240メートル伸びる中野サンモール商店街は、アーケードの下に100以上の店舗を有しており、昼夜問わず音と光と人にあふれている。その突き当りにあるのが秋葉原に次いで「オタク第2の聖地」といわれる中野ブロードウェイだ。1961年オープン当初は現在の「六本木ヒルズ」に肩を並べるほどの超高級複合ビルで、元東京都知事の故青島幸雄氏や歌手の沢田研二氏が住んでいたことで知られる。中野北口新仲見世商店会は中野ブロードウェイ入口を東に折れてから徒歩2分、繁華街に挟まれた「かつての」繁華街である。


 元は「狸」と呼ばれていたらしい割烹旅館があった。その旅館を取り壊して土地を分譲した結果、昭和24年(1949)に店が四角形に並ぶような場所ができあがった。新仲見世商店会の誕生である。その割烹旅館の長屋があった場所に五木寛之のエッセイ「風にふかれて」に登場する内外映画館が建って、それにビジネスホテルが代わった。ワールド会館の誕生である。


 「むかしは水もまけないほど人が通った」。昭和24年の商店会発足当初からの老舗「コーヒーショップMARO」の主人である酒井康光さん(57)が、モノクロの写真を左手小指でなでた。ジーンズ姿に赤いエプロンをして、グレーの前髪だけキューピー人形のようにクルッと反り返った長身の紳士だ。その小さな写真は中野ブロードウェイがオープンする以前に撮られた新仲見世商店会の様子で、中央に「パリにあるような」先端だけがトガった円柱の広告塔があって、その回りは人であふれている。「ブロードウェイができてから人の流れがかわったせいで、(中野サンモールの北側にある)早稲田通りへはみんなブロードウェイを突っ切るようになって、こちらに人が来なくなった」。それが新仲見世商店会の長くてたしかな衰退のはじまりなのだという。


 ほとんどの店が代がわりしており、初代が今も店に立つのは「武蔵野そば処」と「北京亭」の主人だけという。MAROのように息子である酒井さんが2代目を継ぐ場合もあれば、うなぎ串焼き屋「川二郎」のように2代目の甥である3代目が継ぐ場合もある。しかしつぶれたり、よそへ移転する場合が多い。


 私が「世代が変わったり、新しい人が来たりして、商店会の雰囲気もずいぶん変わったんじゃないですか」と尋ねると、酒井さんは否定しない。「昔は隣近所で人を集めて流しそうめんをしたり、運動会をしたり……」。カウンターの奥でこちらの様子をうかがいながら花柄のカチューシャを直していた奥さんに主人が目くばせすると、奥さんが「そうね。やったわね、昔」と一言。 「今でも商店会としてイベントがあるんですか」と私。「全員を知ってるわけじゃないから」と奥さん。「たとえば誰とかを知らないんですかね」と重ねると、奥さんが主人をちらと見る。奥さんはその日一番の優しい口調で言った。「ワールド、会館」。


 昭和48年から2代目鈴木正治さん(66)が経営するうなぎ串焼き屋「川二郎」は、漫画「美味しんぼ」に登場するうなぎ串焼きの有名店である。うなぎの血が茶色の斑点を残したデニムのシャツの袖口や履き古した黒いサンダルのすきまから、主人のごわごわした褐色の手や足の指がのぞく。職人気質の主人はワールド会館についての私の質問に一度目をつぶってから、遠い目をして答える。「昔はいろいろあったけど」。「たとえばどんなことですか」と私。「(土地主が)台湾人だったから」と主人。私が「たとえば?」と聞く前に、「あそこのことはよくわからない」。


 しかし修行中の3代目鈴木規純さん(38)が「少ししか知らない」と言いつつも、看板が規定より数センチでも道にはみ出しただけで土地主から余分にお金を請求されていたこと、台湾人の土地主は亡くなっていて韓国人に土地の権利が移ったようだ、などと話す。2代目は背中で聞いていた。

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ワールド会館へ
0903-iwa1-400px.jpgワールド会館前。私有地であるために駐輪は交通整理の対象にならない。昼間は人気がない。(2008.7.15-13:50, 筆者撮影)

 ワールド会館の中を歩いた。地下は5店のスナックと、1店のDVD店が入っている。日中も階段が暗くて、踊り場は黒白チェック柄の床で水漏れ受けのバケツが1つとその回りに黄ばんだ新聞紙が数枚敷いてある。バケツの水も黄色く濁っているようだ。人気がしたので地上に駆け戻った。2階はバーやカラオケスナックが数店入っていて、中からこもった演歌の歌詞が流れてくる。3階へ続く階段はホコリにまみれて灰色になった電子機器や自転車、イス、ガラスなどが置かれて封鎖されている。そこに黄色い布をかけた木製の飼育カゴがあり、中に小さな豚のような生き物のお尻が見えた。布を上げて見ると、子犬大の毛のないネズミが赤目で音もなく私を睨んだ。


 階段を降りると、「森田建設グループJR環境『日環HOUSE』」と書かれたワールド会館地上階の扉の前で、グレーのTシャツに青いサンダルを履いている、長身でにきび顔の青年が座ってタバコを吸っていた。私は彼の前を少し通り過ぎてから、引き返して、話しかけた。

 「すいません、日本語わかりますか」

 「あ、あ……少し」

 タバコと日本語と戸惑いで口が落ち着かない青年に、私は質問を投げ続けた。韓国人ですか、日本語を勉強していますか、どうして日本に来たんですか――。

 「日環HOUSE」は韓国人学生寮だった。タバコを吸っていた青年は日本語学校TOPA21の学生ノ・ジュン・ソクさん(男性、24)。将来日本で働くために日本語を勉強しているそうだ。扉の前で私が30分ほど話し込んでいると、寮から出ていく者、寮に帰って来た者、男女合わせて7人ほどと知り合いになった。いずれも日本語学校に通っている20代の韓国人で、「日環HOUSE」は韓国の日本語専門学校(「学院」と呼ばれている)で紹介されたらしい。家賃は月々5万から6万円。ピンクのTシャツにデニムのショートパンツをはいたキム・チョ・ロンさん(女性、24)は私を終始じっと見つめながら、「日本人ともっと話したいです」「日本はビールがおいしいです」「日本人のオジサンとあそこでビールを飲みました」と言って女友達と楽しそうに思い出し笑いをして、うなぎ串焼き屋「川二郎」を指さした。「ここは住みやすいですか」と聞くと、「はい、住みやすいです」と即答するアニメーション会社勤務の韓国人男性(27)。「日本人は好きですか」と聞くと、「はい、とても好きです」と答えるボイラー会社に勤める韓国人男性(28)。


0903-iwa2-400px.jpg日環HOUSE前にて韓国人学生たち。写真中央右がタバコを吸っていた青年ノ・ジュン・ソクさん(24)、写真中央左が日本のビール好きの女性キム・チョ・ロンさん(24)、写真右がその友達(24)、写真左がアニメーション会社勤務の男性(27)。みんなはじめは恥しがったがカメラを向けるとまんざらでもなくなった。(2008.7.15-17:30)

 60年経てば商売も世代も、人も変わる。中野北口新仲見世商店会の歴史を通じて、「他人」の象徴であったワールド会館。いまは住人との付き合いもなく、話すことも避けられてしまった。だが、韓国人学生たちに写真撮影を頼むとあまりに快諾するので、撮っているうちに私はだんだん恥しくなった。手早く集合写真を取り終えて、寮の管理人と名載る女性に名刺を渡して立ち去ろうとするとみんなに、「バイバーイ」と手を振られた。


(了)

【取材・執筆・撮影:岩澤康一 構成:樋口喜昭】

※この記事は、08年前期のJ-School講義「ニューズルームH」において、刀祢館正明先生の指導のもとに作成しました。

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