ドキュメンタリー映画史の中におけるM・ムーア

 昨今、マイケル・ムーアほどその新作映画製作の動向に世間の注目が集まり、またその作品が物議を醸し続けている映画作家は他にいないだろう。オスカー長編ドキュメンタリー賞など世界中で賞を総なめにした『ボウリング・フォー・コロンバイン』では、全米ライフル協会のチャールトン・へストン会長への取材手法(相手に味方であると錯覚させてキャメラを回し始め、銃規制賛成派と判って狼狽する様子を撮り続ける)に疑問の声が上がった。『華氏911』ではドキュメンタリー映画としては異例のカンヌ映画祭パルムドールに選ばれたものの、ブッシュ大統領を再選させないことでイラク戦争を終わらせる、という明確な政治的目的を持つ映画である点が論議の的となった。今回の『シッコ』でも、医療保障を受けられない9・11救命員たちを米政府と国交のないキューバに連れて行った一件が政府から問題視され、一時はフィルムの没収を避けるためにカナダに隠したとまで伝えられた。

 本稿では、ムーアの諸作品の特徴とは何なのか、それがドキュメンタリー映画史の中でいかなる位置を占めるのか、いくつかの先例と比較することでその相対的評価を試みたい。

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ドキュメンタリーからの逸脱?

 ムーア作品に対する批判として、「ドキュメンタリー映画というよりはプロパガンダ映画だ」とか、「自らが何かを撮ろうというのではなく、自らの主張にうまく当てはまる映像を寄せ集めて切り貼りしただけ」といった声を耳にすることがある。換言すれば、それらはムーアがドキュメンタリー映画としての本来あるべき姿から逸脱している、という主張である。では、逆に“ドキュメンタリー映画の本来あるべき姿”とは何か。  

 1948年にチェコで開かれた世界ドキュメンタリー映画同盟会議において参加14カ国によって署名された定義に拠れば、ドキュメンタリー映画とは「事実の撮影または真実なかつ正当な再構成によって、説明されたリアリティのどんな側面をもセルロイド上に記録するというすべての方法を意味する」ものである。しかしながら、ここでいう“事実”とか“真実”とは何なのかが問題である。  

 「ハゲワシと少女」という一枚の有名な写真がある。戦争と飢餓に苦しむスーダン共和国で、地面にうずくまる少女をハゲワシが後方から狙っている様子を撮った写真だ。撮影したケヴィン・カーターは1994年度のピューリッツァー賞を獲得したが、人道的観点で批判の嵐に曝された末に自殺した、とされる。だが、当該の写真から受ける印象(少女は荒野の真ん中で近くに誰も守ってくれる者がおらず死を迎えつつある)とは裏腹に、“現実”にはこの写真が撮られた時に少女の母親は他の大勢の難民とともに救援物資をもらうために写真のフレームの外に停車していたトラックの傍におり、少女は物資をもらう間だけ地面にちょこんと置かれただけであった。カーターはより悲惨な物語性を想像させたくて件の構図を選んだのだ。この逸話は、写真に示された“真実”が、撮影者が見せたいと思った部分だけを切り取ったものに過ぎないこと、そして何をフレームに入れなかったかという撮影者の意思によって全く見え方の違うものになるという“現実”を示している。もちろん、写真に時間軸が付加された映像というフォーマットの場合も全く同じこと。ドキュメンタリー映画とは、すべからく作者が自分の提示したいものだけを示し、そぐわない要素を排除することで示したいことを強調するものであるはずだ。

 

フラハーティ、ロレンツ、マイケル・ムーア

 ドキュメンタリー映画を論じる際に必ず言及される人物にロバート・フラハーティとペア・ロレンツがいる。前者は『極北の怪異』(1922)で知られるが、『モアナ』(1925)の時に彼の作品手法を示す目的で作られた造語こそが“ドキュメンタリー映画”という言葉である。その名付け親であるジョン・グリアスンはドキュメンタリー映画を「現実の創造的処理」と定義している。では、フラハーティの『極北の怪異』ではどのように“現実”を創造的に処理していたか。  

 たとえば、セイウチ狩りのシーンで、当時のイヌイットたちは既に銃で狩りをしていたにも拘らず、より“未開の民”色を出すために一昔前の手法であった銛だけによる狩りをさせる。雪と氷の家=イグルーの内部を示すために通常より巨大でしかも半分に切った状態のイグルーを作らせて、吹き曝しの中で“暖かな室内”の様子を演技させる。—こうした“いい画”を撮るための「現実の創造的処理」は今日では“やらせ”と呼ばれる。  

 グアンタナモ基地の傍で拡声器越しに叫ぶムーアに対して基地からは何の応答もない、という予定調和的な展開は、ある意味で作品の製作意図に合うように意図的に作り出した“現実”だし、医療関係の大企業の重役陣がにこやかに談笑する映像の上に、彼らの年収額を記したプレートが付加されるようなアイロニカルな細工は、ムーア流の「現実の創造的処理」手法なのだろう。ムーアにあってフラハーティにない要素は思い当たらない。  

 ローズヴェルト大統領の秘蔵っ子ドキュメンタリー映画作家であったペア・ロレンツの場合、ドキュメンタリー映画を「劇的な事実に関する映画」と定義している。その代表作『河』(1937)では、森に立ち込める霧→木々から滴り落ちる水滴→小川のせせらぎ→大河ミシシッピー、と映像を繋いで、雄大な自然の中での河のイメージを形作る。やがて河は氾濫し、家々を押し流し、人々の暮らしに多大な被害をもたらす。それを食い止めるために必要なものは何か。一方で、貧困の中で必死に暮らす人々がいる。彼らの生活をよりよくするために農業以外に彼らが就くことの出来る仕事は何か。それは河の流れを制御し、雇用を生み出すためのダム建設である。ダムはまた水力発電によって人々の暮らしをより豊かなものとする。—こうして、映画を観た人々はニューディール政策の正しさを実感することとなる。ブッシュ大統領を再選させないことを目的とした映画や、アメリカの医療制度がいかに破綻しているかを他国と比較してこれでもかと示し、その制度改革を提言しようとする映画との本質的違いは、そこにはない。

 

マイケル・ムーア的手法

 ムーアの作品のもう一つの特徴として、資料映像の効果的な使い方という点が挙げられる。ここでケヴィン&ピアース・ラファティの名前をわざわざ出すのは野暮かもしれない。ムーアの出世作『ロジャー&ミー』(1989)が生まれた背景に、『アトミック・カフェ』(1982)を観て感動した彼がその作者に連絡して教えを請い、撮影監督を引き受けてもらって自ら真似をして作品を作ってみた、という事実があることは広く知られていよう。だが、我々が『アトミック・カフェ』を観て感じる心地よい編集のリズム、資料映像を用いることで生まれる意外な効果、という点をより一層推し進めて洗練させたのがつまりはムーア作品の持つ資料映像を駆使した編集の妙味であることは間違いないように思われる。  

 ラファティ兄弟とムーアの資料映像の用い方に違いがあるとしたら何か。『アトミック・カフェ』でラファティ兄弟が用いた資料映像は米政府の広報フィルムや昔のTVのニュース番組、討論番組などのアーカイヴス映像である。一方でムーアの場合、人気TVドラマ『ドラグネット』の一場面であったり、昔のバイキング映画であったり、と資料の出所はよりバラエティに富み、またより観客によく知られている娯楽的なものが多い。あるいは、保険料支払い対象の除外となる既往症リストがお馴染みの主題曲に乗って漆黒の大宇宙に延々と流れていく『スター・ウォーズ』風の処理もまた、観客がよく知っている手法の流用、引用である。  

 ムーア的手法というものがあるとしたら、それはアポなしの強引な取材、よく知られている娯楽的映像を記号として駆使する資料映像の使い方、そして重たい問題を軽やかに、かつ毒気をもって表現するために映像への処理を駆使する編集上のセンス、と定義できよう。もちろん、作品にする題材へのムーア自身の問題意識の持ち方こそが最も観客に支持されている点であろう。こうして整理してみると、一見、映画界における鬼っ子のような存在に見えるムーアだが、実際にはドキュメンタリー映画史における彼のポジションは、意外にもドキュメンタリー映画というフォーマットの本来あるべき姿の王道(メインストリーム)を行くものだと言えるのではないだろうか。

 
※「キネマ旬報」2007年9月上旬号より転載許可済。映画『シッコ(映画公式サイト)』については同誌当該号にて特集していますので、詳しくは同誌をご覧下さい